派閥の裏金事件を受け、自民党が提出した政治資金規正法改正案は6日、与党と日本維新の会の賛成多数で衆院を通過し、今国会での成立が確実となった。この間、改正をめぐる自民、公明両党の協議は難航し、岸田文雄首相が自ら調整に乗り出す異例の事態に発展。連立政権の基盤が揺らごうと、自身の主張を譲れない公明党の事情も浮き彫りにした。(時事通信解説委員長 高橋正光)
◇首相「丸のみ」を決断
政治資金の透明化や再発防止に向けた自公両党の駆け引きは昨年12月17日、公明党の山口那津男代表の強烈な一言で始まった。「同じ穴のムジナとは見られたくない」。山口氏は動画投稿アプリ「TikTok」で、自民党を「ムジナ」に例え、違いを強調した。そして、公明党は1月、他党に先駆けて「政治改革ビジョン」を発表した。
改革ビジョンは(1)政治資金パーティー券購入者の公開基準(現行は20万円超)の5万円超への引き下げ(2)政党から議員に支給する「政策活動費」の使途公開の義務付け(3)政治資金を監督する独立した第三者機関の設置検討(4)政治資金収支報告書が適法に作成されたことを議員本人が確認する「確認書」の提出と連座制の強化―などが柱。立憲民主、維新、共産、国民民主の野党各党も順次、具体案をまとめた。
これに対し、自民党は裏金事件の実態解明や関係者の処分などに追われ、具体案をまとめたのが4月下旬。与党案作成に向けた自公両党の実務者協議がようやく始まった。しかし、パーティー券の公開基準と政策活動費の扱いで折り合えず、自民党は5月17日、単独で規正法改正案を提出した。
公明党の強硬姿勢について、自民党内からは「想定外」などの戸惑いの声が漏れた。一方、山口氏は意に介さず、「与野党で幅広い合意形成を図るのが、立法府の基本的な在り方だ」と述べ、野党を交えた協議で自民党に譲歩を求めていく立場を強調した。
公明党は一時、3年後の見直し規定を盛り込むことなどで自民党案への賛成に傾いたが、山口氏は「そのまま賛同はできない」とさらなる修正を要求。自民党は岸田首相の判断で、パーティー券の公開基準の「5万円超」への引き下げなど、「改革ビジョン」をほぼ丸のみした。政策活動費についても、岸田首相は維新の主張に沿い、使途を10年後に公開することを受け入れた。
◇創価学会会長のメッセージ
もっとも、同党の支持母体である創価学会の動きを見ていれば、容易に想像できた。というのは、学会幹部が党側に、政治改革をリードするよう求めるメッセージを繰り返し送っていたからだ。
創価学会の機関紙「聖教新聞」は週に1回程度、原田稔会長ら幹部による座談会の記事を掲載する。テーマは、信仰や日常活動、国内外のイベントなどに関することがほとんどだが、重要政策を取り上げることもある。実は1月に1回、2月に2回、3月に1回、自民党の裏金事件に触れている。
この中で、各幹部は公明党が結党以来、一貫して政治の浄化に取り組んできたことを強調。党がまとめた「改革ビジョン」を高く評価し、原田会長の一言で締めくくっている。「公明党は政治改革をリードし、衆望に応えてもらいたい」
衆望とは、大勢の人から寄せられる期待や信頼を意味する。原田氏の発言は、政治資金の透明化や再発防止に向け「公明党は、野党も含めた幅広い合意づくりを主導してほしい」とのメッセージに他ならない。
与党だけで規正法を改正しても、衆望に応えたことにはならず、改正案を自民党と共同提出してしまえば、その内容に縛られて、与野党協議で独自の主張を展開するのが難しくなる。公明党には最初から、調整が残った状態で自民党と改正案を共同提出する選択肢などなかったと言える。
同時に、山口氏が与野党協議の重要性を訴えたのは、「衆望に応えよ」という原田氏のメッセージを意識してのことだろう。学会員の関心が高い重要案件では、学会側の意向を軽視できない。いわんや、トップのメッセージは重い。
◇次期衆院選に危機感
支持母体の創価学会において、昨年11月に死去した池田大作名誉会長ら歴代3会長は「師匠」で、学会員は全員が「弟子」。原田会長はあくまで、弟子の1人として組織のトップを務めているにすぎず、信仰上の権威は持ち得ない。そして、年内にも実施される次期衆院選は師匠の「弔い合戦」で、弟子だけで戦う初の国政選挙となる。
池田氏が存命だった前回2021年の衆院選と比べ、議席や得票数、得票率が後退すれば、会員の士気が低下しかねない。学会員の高齢化は進んでおあり、集票活動を負担に感じる会員も増えるだろう。議席や票の落ち込みが激しければ、小選挙区からの撤退を含め、衆院選への取り組みを全面的に見直す可能性もある。
党や学会幹部にとって、マイナス要因を極力取り除いて次期衆院選に臨むのが至上命令で、裏金事件で激しい批判にさらされる自民党と距離を取るのは当然の判断。山口氏らが「国民の信頼回復」がないままでの衆院解散に反対しているのも、こうした事情による。
◇離脱のハードル、池田氏死去で低下?
規正法改正協議で公明党が強硬姿勢を変えなかった背景として、池田氏の死去もありそうだ。公明党は1964年、池田氏が自民党・大企業、社会党・労働組合のイデオロギーの対立のはざまで、大衆の利益を代弁するために創設。以降、「平和」「クリーン」を看板としてきた。
その後、99年に自民党と連立政権を樹立すると、連立維持を優先、自民党に譲歩するケースが目立ち、看板は色あせた。その象徴が、集団的自衛権の限定行使を容認した安全保障法制の制定だ。こうした中、昨年の池田氏の死去により、会員の間で、池田氏の教えにより忠実であろうとする「原点回帰」の傾向が強まっているとされる。
公明党執行部が一時、3年後の見直し規定を盛り込むことで自民案の賛成に傾いたのは、対立が決定的になり、連立の基盤が揺らぐことを懸念してのこと。しかし、山口代表の下、強硬姿勢に戻ったのは、学会員の激しい反発があったからだ。
次の重要政策に関する協議でも、公明党が自身の主張にこだわり、妥協を拒めば、自民党との対立が激化し、政権はさらに揺らぐ。最終的には、連立解消に発展しかねない。それでも、公明党は強硬姿勢を貫くのか? 実は、池田氏の死去で、連立離脱のハードルが下がったと見ることもできる。