32年前、福岡県飯塚市で小学生の女の子2人が殺害されたいわゆる「飯塚事件」で、すでに死刑が執行された元死刑囚の再審=裁判のやり直しについて、福岡地方裁判所は「弁護側が新たな証拠とした2つの証言は信用できない」として、再審を認めない決定をしました。
1992年、福岡県飯塚市で小学1年生の女の子2人が登校途中に連れ去られ、遺体で見つかったいわゆる「飯塚事件」では、殺人などの罪に問われた久間三千年元死刑囚の死刑が2006年に確定し、その2年後に執行されました。
元死刑囚は一貫して無罪を主張し、3年前、新たな目撃証言を証拠として、家族が2度目の再審=裁判のやり直しを求めていました。
これについて、福岡地方裁判所の鈴嶋晋一裁判長は5日、再審を認めない決定をしました。
決定では、弁護側が新たな証拠とした、事件当日に通学路で被害者の女の子2人を最後に見たとされる女性が「目撃したのは事件当日ではなかったのに、捜査機関に無理やり記憶と異なる調書を作成された」と、当時の調書の内容をみずから否定した証言など2つの証言について、いずれも「信用できない」と判断しました。
このうち女性の証言については、鈴嶋裁判長は「女性の調書が作成されたのは、事件発生からおよそ10日後で捜査が流動的な状況にあったにもかかわらず、捜査機関が無理に女性の記憶に反する調書を作成する動機や必要性は見いだせない。女性の証言は変遷しており記憶が一貫性のない不確かなものである可能性が高い」と指摘し、いずれも無罪を言い渡すべき明らかな証拠とは認められないとしました。
支援者「不当決定」
福岡地方裁判所の前には支援者など数十人が集まり、午前10時すぎ「不当決定」と書かれた紙を掲げて「裁判所は国民の声を聞け」などと、声を上げていました。
支援者の1人は「怒り心頭です。新たな証拠が出てきたのであれば再審を開くべきです。もとの判決がいかに証拠のない判決か、全国の人に判決文を読んでほしいです」と話していました。
また、弁護団の岩田務弁護士は「先は長いですから、次の闘いを見ていかないと」と話していました。
弁護団 即時抗告する考え
会見で岩田務弁護士は「無実を明らかにするために、人間としての良心に従って協力していただいた2名の証人の貴重な証言の新証拠としての価値を認めないものであり、全く不当なものであって強く抗議する。新旧証拠を真摯に検討する姿勢を放棄したものというほかなく、裁判所としての使命に反するものである」とする弁護団の声明を読み上げました。
そのうえで、「再審開始を目指して闘い続けることを表明する」と述べ、福岡高裁に即時抗告する方針を示しました。
また、徳田靖之弁護士は「予想した中で最悪の決定だった。2人の証人が30年近くたって自分と全く関わりのない人の無実を明らかにするために、人間としての良心にかけて法廷に立った。裁判官はそれを受け止めず、再審を開始することが死刑制度の根幹を揺るがしかねないという思惑で、2人の貴重な証言の価値を認めようとしなかった」と述べ批判しました。
証言者「非常に腹立たしい」
弁護団の会見には、今回の申し立てで新証拠とされた、女児2人が乗った車を目撃したと証言した75歳の男性も出席しました。
男性の証言は、32年前の事件当日、飯塚市のバイパスの登坂車線で、元死刑囚と特徴が全く異なる人物が運転する軽乗用車に女児2人が乗っているのを目撃したという内容で、非公開の審理で証言しましたが、きょうの裁判所の決定で「信用できない」とされました。
会見で、男性は「私の証言が信用できないと言われて非常に腹立たしい。当時、1メートルも離れていないところで見た証言で、すぐに警察に連絡したが、『あなたの証言は違う』と却下されました。決定では30年以上前の証言で信用できないとされましたが、わたしはこの話を繰り返してきました。今でもしっかり覚えています」と話していました。
福岡地検次席検事「裁判所が適切な判断」
再審を認めない決定について、福岡地方検察庁の細野隆司次席検事は「裁判所が確定審の証拠関係や再審請求審における主張を的確に検討し、適切な判断をされたものと考えている」とコメントしています。
福岡県警「被害者の冥福を祈る」
福岡県警察本部・捜査第一課の勝木敬一次席は「裁判所の判断についてはコメントは差し控えさせていただきます。改めて、被害者のご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。
「飯塚事件」とは
32年前の1992年2月、福岡県飯塚市潤野の住宅街で、登校中の小学1年生の女の子2人が行方不明になりました。
翌日、およそ20キロ離れた現在の朝倉市にある八丁峠の山の中で2人の遺体が見つかりました。
およそ3キロ離れた場所からは、2人のランドセルと衣類などの遺留品も見つかり、警察は、2人が学校に向かう途中に何者かに車で連れ去られ、首を絞められ殺害されたとみて捜査を始めました。
警察は、被害者の遺留品が見つかった場所の近くで事件当日、不審な人物と車が目撃されたとして車種を特定し、所有者の中から容疑者を絞り込んだとしました。
そのうえで、犯人のものとされる血液をDNA鑑定した結果などから、事件発生から2年後の1994年9月、久間三千年元死刑囚を殺人などの疑いで逮捕しました。
当時56歳で、女の子が最後に目撃されたとされる通学路の近くに住んでいました。
元死刑囚は逮捕された当初から一貫して無実を訴えましたが、1審と2審に続き、2006年、最高裁判所でも死刑判決が言い渡されました。
判決は、車の目撃証言や、当時行われたDNA鑑定などは信用でき、状況証拠を総合すれば、合理的な疑いを超えて犯人だと認められると判断しました。
一方で、直接的な証拠は存在せず、一つ一つの証言や鑑定の単独の結果だけでは、元死刑囚が犯人だと断定できないと指摘しました。
判決が確定した2年後の2008年10月、福岡拘置所で死刑が執行されました。
元死刑囚は当時70歳で再審=裁判のやり直しを求めようと準備を進めているさなかでした。
その1年後、元死刑囚の家族が当時の警察のDNA鑑定は信用できないなどと主張して、再審を求めました。
福岡地方裁判所は2014年、犯人の血液と元死刑囚のDNA型が一致したとする鑑定結果は「直ちに有罪の根拠とできない」とした一方で、「元死刑囚が事件に使われた車と同じ特徴のある車を所有し、車内に残された血痕の血液型が被害者と一致したことなど、証拠を総合すれば犯人と認められる」として再審を認めず、福岡高裁も認めない決定をしました。
そして、3年前の2021年、最高裁判所も「DNA鑑定に関する証拠を除いたとしても、そのほかの状況証拠を総合すると犯人と認めた判断は正当だ」などとして退け、1度目の再審請求について再審を認めない判断が確定していました。
2度目の再審請求 最大の争点は“新たな証言”
2度目の再審請求では、事件当日の、被害者の女の子2人の最後の目撃者とされる女性の新たな証言をどう評価するかが、最大の争点になりました。
女性の当時の目撃証言は、確定した判決でも認定されていますが、女性は、今回新たに「目撃したのは事件当日ではない」などと当時の調書の内容をみずから否定し、弁護団は、警察官などの誘導で説明と違う調書が作られたなどと主張しました。
弁護団は、確定した判決ではこの女性の証言が、女の子が誘拐された時間帯や場所、それに犯行に使われた車の特定につながる重要な証拠の1つとなっていて、その信用性が否定されると元死刑囚の犯行だと結論づけた状況証拠が崩れると主張しました。
また、事件当日、飯塚市内の道路で元死刑囚と特徴が全く異なる人物が運転する白い軽乗用車の後部座席に女児2人が乗っているのを目撃したという男性が非公開の審理で証言しました。
弁護団は当時、元死刑囚とは異なる犯人が目撃された可能性があったのに警察が初めから元死刑囚を犯人視して矛盾する証拠に関心をもたなかったとしたうえで、2人の証言は、確定判決に疑いを抱かせる新たな証拠だと主張しました。
一方、検察は女性の新証言については、「女性のみが『誘拐現場付近で女児2人を目撃した』と話しているという事実の重みを抱えきれなくなり記憶違いだったと思い込むようになったものだ」と反論しました。
また、男性の新証言については「死亡推定時刻と合わない」などとして、いずれの証言も信用性がないなどと主張していました。