指文字見直し 心注ぐ<手話に尽くす 東北の先駆者たち(3)生む 大曽根源助>(2024年5月12日『河北新報』)

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聴覚補助機器を使って授業をする大曽根(中央奥)。昭和以降の授業とみられる(大阪府立中央聴覚支援学校提供、顔写真も)

 五十音の一つ一つを、片手の指の形や手の向きなどで表す指文字。宮城県古川町(現大崎市)出身の大曽根源助(1896~1972年)が大阪市立聾唖(ろうあ)学校教諭時代の1931年に考案した「大曽根式指文字」が、今も日本で広く使われている。

 大曽根東北学院を卒業後、聾唖学校の前身の大阪市立盲唖学校に勤めた。ろうの子どもを同校に通わせていた姉に「学校を手伝ってほしい」と頼まれたのがきっかけだった。

 同校には仙台市生まれの高橋潔(1890~1958年)がいて、手話教育に心血を注いでいた。同窓でもあった高橋に続くように、23年から大阪でろうあ教育に携わった。

ヘレン・ケラー面会実現

 大曽根が従来のものを見直した指文字を考案したのは、視力と聴力を失ったヘレン・ケラー(1880~1968年)との出会いがきっかけだった。

 当時、ろう教育を巡り、健常者の口元の動きなどを読んで話を理解し、まねて発音する「口話法」と手話法で揺れていた。校長になった高橋が大曽根に米国のろう教育事情の視察を依頼した。

 大曽根は29年に渡米。ろう学校やろうの学生が学ぶ大学など51校を見学し、手話も口話も使う教育を目の当たりにした。障害者教育や福祉の発展に尽くしていたケラーへの面会も望み、大阪朝日新聞(当時)特派員の仲介で念願がかなった。

 「言葉をどのように覚えたか」。大曽根がケラーに尋ねると「指文字を使って覚えた。日本に指文字はあるか」と返ってきた。当時日本で使われていた指文字を示すと「手や腕を大きく動かすと、目と耳が不自由な人に分かりにくい。使いやすく見直してはどうか」との助言を受けた。

●100年活用「偉大」

 帰国後、大曽根は同僚教師と指文字の見直しを進め、31年に確立。翌年の学校創立10周年記念祭で学外に発表した。52年には高橋の後を継いで校長に就き、5年間務めた。

 会津手話サークルみみごえ会会長の星るつ子さん(60)は「100年近く前の指文字が今も使われている業績は偉大。年配のろう者らで指文字が苦手な人は少なくないが、手話になく、新しく生まれた単語を表現する際や固有名詞などに必要だ」と意義を話す。

 大阪府立中央聴覚支援学校の前校長赤木瑞枝さん(60)は、大曽根式指文字の「あいうえお」は「aiueo」の指文字を基にし、「き」はきつねを表す指の形にしたことなどを説明。「子どもでも分かりやすいように工夫した」と言う。

 同校は手話を大切にした教育を受け継ぎ、児童生徒の聴覚能力や年齢、適性に合わせた言葉の指導を進める。聞こえる人が使う日本語とは異なる文法を持つ手話や、手話と指文字を併用する日本語対応手話など、一人一人にふさわしい組み合わせに心を砕く。

大曽根源助