水俣病と環境省に関する社説・コラム(2024年5月10日)

水俣病、発言遮断問題 切実な訴えに耳をふさぐな(2024年5月10日『河北新報』-「社説」)
 
 そもそも当事者の切実な訴えに向き合うことなくして、課題を解決し、社会を前進させるような政策は立案も実施もできないはずだ。
 現に苦しむ人々に寄り添う姿勢を失っていないか。環境省にはぜひ猛省を求めたい。
 熊本県水俣市で今月1日にあった水俣病の被害者側8団体と伊藤信太郎環境相との懇談で、環境省が持ち時間を超えたとして被害者側のマイクの音を切って発言を遮った問題が波紋を広げている。
 伊藤氏は8日に水俣市を訪れ、被害者側に直接謝罪。きのうは、要望のあった被害者団体との懇談を再び実施すると表明した。
 日本の環境行政の原点となった公害問題の重要性や、今なお救済されない患者・被害者の悲痛な思いを踏みにじる行為だけに、型通りの謝罪と懇談のやり直しで済ませられる問題ではない。
 懇談での発言は1団体3分間とされ、超過した水俣病患者連合の松崎重光副会長ら2人が途中でマイクの音を切られた。特に「痛いよ、痛いよといって死んでいきました」と亡き妻の末期を語る松崎さんの訴えを遮断したのは冷酷と言うほかない。
 大臣の帰京予定に合わせる必要があったというがそれこそ、懇談自体をスケジュールありきのセレモニーとしか認識していなかったことの証左だろう。
 患者・被害者の思いを受け止める意思があったのか、疑われても仕方あるまい。
 水俣病を巡っては現行の特別措置法などで救済されなかった未認定患者による訴訟が複数継続しており、公式確認から68年が経過してもなお全面解決には至っていない。
 国の認定基準を否定する司法判断が相次ぐ中、原告の高齢化は進み、亡くなる人も増えている。こうした被害者の心情は今回、さらに深く傷つけられたことだろう。
 自ら会場の混乱を収拾しようともせず、早々に退席した伊藤氏の責任も重い。
 「私はマイクを切ったことを認識しておりません」などと、ひとごとのような発言を繰り出すようでは到底、被害者側からの信頼など得られるはずがない。
 思い出されるのは10年前、石原伸晃環境相(当時)が東京電力福島第1原発事故で発生した除染廃棄物の中間貯蔵施設建設を巡り「最後は金目でしょ」と発言したことだ。
 郷土を汚染された人々の痛みを想像すれば、決して口にできない言葉だ。激しい非難を浴び、関係者への謝罪に追い込まれた。
 苦しむ人、立場の弱い人への感度の鈍さを放置していては、環境行政は機能不全に陥りかねない。気候変動や化学物質汚染などの被害は往々にして、社会的弱者や貧困層から広がるからだ。環境省は今回の失態を深く反省し、弱者のための官庁として出直すべきだ。
 
環境省の対話姿勢/復興進められるのか疑問だ(2024年5月10日『福島民友新聞』-「社説」)
 
 水俣病の犠牲者慰霊式後に行われた懇談中に被害者団体側の発言が遮られた問題で、環境省は懇談について、患者や被害者らの意見を聞いたというアリバイづくりの場としか考えていないことを露呈した。東京電力福島第1原発事故に見舞われた被災者との対話に、同じような姿勢で臨んでいないか、疑念が拭えない。
 熊本県水俣市で行われた被害者らと伊藤信太郎環境相の懇談で、被害者側の発言中、持ち時間の3分を過ぎたことを理由に、環境省の職員がマイクの音を消した。発言者の持ち時間に関する事前の説明はなかった。
 数十年にわたり水俣病に苦しめられている被害者側の訴えを一方的に遮った環境省の対応は、暴挙というほかない。
 伊藤氏は懇談後、「マイクを切ったことを認識しておりません」と述べた。会場からは「認識できたでしょ」との抗議の声が上がったが、早々に退席した。
 当初は担当職員が被害者側に謝罪する方向で調整されていたものの、批判の高まりを受け、伊藤氏自らが直接謝罪する事態に追い込まれた。環境行政のトップとして現場にいながら、職員の対応を正せず、人ごとのような姿勢に終始した伊藤氏の責任は重い。
 今回の問題は本県にとっても看過できるものではない。原発事故に伴う除染で出た土壌の、県外での再生利用と最終処分を環境省が担っているからだ。
 法律に定められている2045年3月までに最終処分を完了させるためには、安全性が確認された土壌の県外再生利用を進め、処分量を減らすことが欠かせない。ただ、環境省が東京都新宿区や埼玉県所沢市で進めてきた再生利用の実証事業は、地元の反発が強く、事実上頓挫した。
 実証事業ですら地元の理解を得られず、環境省の合意形成の在り方に疑問符が付く中で今回の問題が起きた。理解醸成に向けた対話も満足にできないのなら、再生利用事業は早晩行き詰まる。
 水俣病の公式確認から68年が経過した現在も、被害者らが窮状を訴えているのは、国による救済が不十分なことの表れといえる。被害者らの声を受け止め、切迫感を共有することのできない環境省では、本県の環境回復への取り組みも停滞を招くであろうことは想像に難くない。
 今回の問題を伊藤氏の謝罪だけで終わりとしてはならない。どう各地の課題を解決し、務めを果たしていくのか。環境省全体で考える契機とする必要がある。
 
環境省の前身の環境庁は…(2024年5月10日『毎日新聞』-「余録」)
 
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公害行政の一元化で発足した環境庁大石武一長官が1972年2月27日、熊本県水俣市を訪れ、水俣病に苦しむ患者たちと会った。患者の田中実子さん宅では、実子さんのよだれをそっと拭くシーンも見られた
 
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水俣病の患者や被害者と国などの懇談で被害者側の発言が制止された問題を受けて、発言を制止された水俣病患者連合の松崎重光副会長(左)のもとを訪れ、頭を下げる伊藤信太郎環境相熊本県水俣市で2024年5月8日午後6時41分、平川義之撮影
 
 環境省の前身の環境庁は1971年7月1日、霞が関の官庁街から離れた木造庁舎で出発した。水俣病など公害対策が議論された前年の「公害国会」後に設置が決まった
▲4日後の内閣改造で長官に就任したのが医師出身の大石武一氏だ。「実質的初代長官」は早速、動いた。翌8月、熊本、鹿児島両県から水俣病認定を棄却された9人の処分を取り消し、「疑わしきは救済」と認定基準を緩和した
水俣病問題で「唯一と言ってよいまともな行政の対応」との評もあった。翌年には現地で6時間にわたって患者や家族と懇談し、予定外の患者宅も訪れた。小紙は「案内の県、市職員が時間を気にしてムッとした表情を見せる」と書いた
▲そんな原点は忘れられたのか。水俣病を扱う環境省特殊疾病対策室の室長らが伊藤信太郎環境相と懇談した患者団体代表らのマイクを「持ち時間」の3分で切り、発言をさえぎった問題である
▲「これまで究極の『後ろ向きの行政』を担当していましたが、今後は真逆の『前向きの行政』を所掌いたします」。熊本県民テレビのデスクが対策室から異動した官僚から受け取ったメールという。「お役所仕事」の背景が透けて見える
▲「水俣病は社会のしくみや政治のありよう、自らの生きざままで残酷に映し出す鏡」。「水俣学」を唱えた原田正純医師の言葉だ。水俣で頭を下げた伊藤氏は涙を浮かべた。現場で誤りを正せなかった悔悟なら、鏡に映った環境行政の今を見直すことで患者らの声に応えてほしい。
 
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水俣病環境省 被害者との「対話」は形だ(2024年5月10日『読売新聞』-「社説」)
 
 環境省の設立趣旨は、公害の防止と被害の救済だったはずだ。原点に立ち返り、被害者の声に 真しん 摯し に耳を傾ける姿勢を取り戻す必要がある。
 熊本県水俣市で開かれた水俣病の被害者団体と伊藤環境相との懇談で、環境省の職員がマイクの音声を切り、被害者側2人の発言を遮る出来事があった。
 1団体3分の持ち時間内で発言を終えるよう何度も促したが、その時間を超えたためだという。伊藤環境相は8団体の代表者から話を聞く予定になっていた。
 発言を打ち切られた1人は、被害を訴えながら、水俣病と認定されないまま亡くなった妻の思いを語っていた。環境省の対応に団体側は憤り、懇談は紛糾した。
 懇談は、環境相が被害者の声を聞き、施策に生かすため、環境省が毎年開催している。持ち時間の制限はこれまでもあったが、発言が多少長引いても、マイクが切られたことはなかったという。
 環境省は、あくまで話を聞かせてもらう立場である。環境相が東京に帰るための飛行機の時間が迫っていたようだが、自分たちの都合でマイクの音量を絞るなど、あまりに非礼で身勝手だ。
 そもそも3分で、行政に生かせる話が聞けるとは思えない。長年懇談を続けるうちに、形だけの対話になっていたのではないか。
 環境省の担当者は、大臣の予定ばかりを気にして、被害者の心情に思いが至らなかったように見える。しかも、伊藤環境相は、現場の混乱を目の当たりにしながら、「マイクを切ったことを認識しておりません」と述べた。
 血の通わない対応である。発言に一定の制限時間を設けるのはやむを得ないにしても、やり方があまりに稚拙だ。お役所仕事だと批判されても仕方あるまい。今後は大臣が日帰りする強行日程や発言の持ち時間を見直すべきだ。
 環境省の前身の環境庁は、高度成長期に水俣病イタイイタイ病などの公害病が深刻な社会問題となったことを受け、1971年に発足した。自然破壊を防ぎ、国民の健康を守る責務がある。
 水俣病の公式確認から今年で68年となる。この間、政府は被害者救済のための特別措置法を作るなどの解決策を打ち出したが、救済の対象にならなかった人たちが各地で集団訴訟を起こしている。
 伊藤環境相は団体側に謝罪した。改めて懇談を行うという。被害者らは高齢化が著しい。環境省は組織の役割をかみ締め、心の通う対話を重ねることが大切だ。
 

環境省は真摯な水俣病対応を(2024年5月10日『日本経済新聞』-「社説」)
 
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環境省水俣病対策に真摯に取り組む必要がある(8日、熊本県水俣市で謝罪する伊藤環境相)=共同
 
 環境省として本来果たすべき役割を見失ったといわれても仕方がない非常識な対応である。
 熊本県水俣市で1日に開かれた伊藤信太郎環境相水俣病患者らの懇談で、被害者側の発言時間が予定の3分間を超えたとして、同省の担当者がマイクの音を切って発言を遮った。
 5月1日は水俣病の公式確認日である。環境相は毎年この日に水俣市での慰霊式典に出席し、患者団体などと懇談する。担当閣僚が被害者の声に耳を傾ける趣旨の会合なのだ。にもかかわらず、悲痛な思いを述べる発言を一方的に妨げるなど言語道断である。強い抗議が出たのは当然だ。
 被害者より伊藤氏の帰京の日程を優先させた形となった担当部署はもちろん、発言を続けてもらうよう促すといった適切な対応をとらなかった同氏の責任は重い。単なる恒例行事のようにとらえていたとすれば問題である。
 伊藤氏は8日に水俣市を訪れて直接謝罪した。被害者側からは3分では時間が足りないとの声も出た。無制限に実施するのは難しいとしても、今回の反省に立ち、環境省は建設的な意見交換の方策を検討すべきだ。
 同省の前身の環境庁が発足したのは1971年。高度成長を背景に水俣病をはじめ深刻な公害被害が相次ぎ、公害対策の司令塔として産声を上げた。水俣病対応は環境行政の「原点」といえる。
 これまで一時金支給などによる政治決着が図られてきたものの、救済の枠組みから漏れている人は多く、法廷闘争が続いている。全面解決には遠いのが実情だ。
 被害の全容も分かっていない。2009年施行の水俣病特別措置法が定めた、政府による健康調査も未実施のままだ。
発生から長い時間がたち、風化への懸念も出ている。公害問題の啓発も引き続き重要になる。
 環境省が取り組むべき仕事は多い。被害者の声を聞き、救済に向けて何が必要か、初心に立ち返って真摯に考えねばならない。
 
形だけの「聞く耳」、環境省の仕打ち(2024年5月10日『産経新聞』-「産経抄」)
 
 水俣病で健康を害した患者の家を、原因企業チッソの社長が一軒ずつ訪ねて頭を下げた。昭和43年9月、公式確認から12年後のことである。患者の苦しみをつづった石牟礼道子さんの代表作『苦海浄土』に謝罪を受けた女性の声がある。
▼「あれこればいおうと、思うとったのに。いえんじゃった。泣かんつもりじゃったのに、泣いてしもうて」。駆け足で行脚した社長の胸に、どう響いたかは書かれていない。言葉を押し流した涙はしかし、女性の怒りや悲しみに重量感を与え、読み手の胸を揺さぶるのだ。
水俣病患者らの団体と伊藤信太郎環境相との懇談で、環境省が設けた発言時間は1団体につき3分だった。会場の熊本から伊藤氏が帰京する時間を考慮に入れた措置という。発言が予定の時間を超えると、役人がマイクの音を切る念の入れようだ。
▼発言を遮られた男性は、患者と認められぬまま他界した妻の無念を伝えるために、3分以内での訴えを何度も練習したと聞く。話すうちに涙で言葉が詰まり「先に進まなかった」とも。役人にとっては音を切るのが仕事でも、これは仕打ちである。
環境省によれば、このような進め方は「以前から」だという。「聞く耳」は形式だけ。そう言っているに等しい。水俣病の公式確認から、今月で68年になる。患者らの涙の裏側には、言葉にならない言葉がある。そこに耳を傾けぬ限り、問題の解決は遠のくばかりだろう。
▼伊藤氏は水俣市を訪れ被害者側に謝罪した。懇談をやり直し、発言時間を長めに取ることも検討するという。3分で窮状を知るのは難しい、と氏は述べた。まだ思い違いをしている。主客が逆だ。積年の思いを訴えてほしい―と、ここは相手の側に立ってはどうか。
 
水俣病発言制止 政府は被害者に向き合え(2024年5月10日『信濃毎日新聞』-「社説」
 
 支持率が低迷する政権へのさらなる打撃を恐れ、慌てて体裁を取り繕ったようにしか見えない。水俣病の被害者らに謝罪した伊藤信太郎環境相である。
 水俣病の公式確認から68年を迎えた1日、熊本県水俣市で被害者らと懇談した際、環境省の職員がマイクの音声を切り、被害者側の発言を途中で遮った。伊藤氏はあらためて現地に赴き、当事者に面会しておわびした。
 懇談は毎年、犠牲者慰霊式の後に行われている。発言時間は、これまでもそれぞれ3分としてきたが、実際にマイクを切ってやめさせたのは初めてだという。
 「痛いよ、痛いよ、と言いながら死んでいきました」―。患者と認定されないまま昨年亡くなった妻の悦子さんの無念を代弁するように言葉をつないだ松崎重光さん(82)は、音声が急に途切れ、ぼう然とした表情を浮かべた。
 あまりに心ないやり方である。被害者に正面から向き合おうとしない政府の姿勢があらわに見て取れる。それは懇談の場での対応に限ったことではない。
 水俣病は、工場の排水が原因と早くから指摘されながら、産業経済の利益を優先して対策を怠る間に被害が拡大した。加害企業と国の責任は極めて重い。
 患者認定の門は狭く、10万人を超すとも言われる被害者の大多数が取り残されてきた。認定されたのは2300人足らずだ。
 国の認定基準は、手足の感覚障害に加え、視野狭窄(きょうさく)や歩行困難といった別の症状がないと患者と認めない。最高裁はその根拠を明確に否定し、感覚障害だけで認定する判断を示している。それでも政府は基準を改めていない。
 認定されない人に一時金を支給する救済策も、被害の実態にそぐわない線引きで、多くの被害者を置き去りにしてきた。2009年に施行された特別措置法は、対象区域や出生の時期を限定した上、申請を2年余で打ち切った。
 特措法が「速やかに行う」と定めた住民の健康調査は、15年を経ても、始める時期すらはっきりしない。環境省は昨年、研究班を発足させた。3年ほどかけて調査のあり方を検討するという。その間にも、高齢化した被害者は次々と亡くなっていく。
 国に損害賠償を求める裁判が今も各地で続く。水俣病は終わっていない。被害を限定して捉え、外れる人たちを切り捨ててきた政府の姿勢を厳しく問わなければならない。患者認定と補償のあり方を根本から見直す必要がある。
 
水俣病環境省/創設の原点を忘れたのか(2024年5月10日『神戸新聞』-「社説」)
 
 環境省水俣病患者・被害者団体との懇談の場で被害者側の発言を遮った問題で、伊藤信太郎環境相熊本県水俣市を訪れ、被害者側に直接謝罪した。
 懇談は1日にあった犠牲者慰霊式の後に開かれ8団体が出席した。各団体3分の持ち時間を過ぎると、環境省職員が発言を制止したり、発言途中でマイクの音を切ったりした。
 患者・被害者団体に集まってもらい、大臣が直接話を聞く貴重な機会のはずだ。にもかかわらず環境省側の都合で制限時間を設け、被害者の発言を機械的に遮ることにちゅうちょはなかったのか。長年苦しんできた被害者を軽視する行為であり、許すことはできない。患者団体側が「被害者たちの言論を封殺する暴挙だ」と強く抗議したのは当然だろう。
 懇談は毎年の犠牲者慰霊式後の恒例となっている。持ち時間が過ぎればマイクの音声を切る場合がある、との運用は「代々の引き継ぎ事項」などと環境省側は説明するが、実際に発言中にマイクが切られたのは今回が初めてという。参加者には事前に知らされていなかった。
 伊藤氏は当初、「話は聞こえており、マイクが切られた認識はなかった」と釈明していた。だが会場には気づいて抗議する参加者もいた。心から被害者の話を聞く気があれば、その場で職員をいさめ、引き続き発言を促すこともできたはずだ。
 謝罪まで1週間を要したのも、世論の批判が高まったためだ。後手後手の対応が被害者との溝を深めた。環境相としての自覚に欠け、責任は重い。岸田文雄首相は伊藤氏に対し厳重注意したが、更迭は否定した。猛省し、自らの役割と責務を再認識する機会としてもらいたい。
 伊藤氏はきのうの国会で、再び懇談の場を設けると表明した。今回のように環境省が設定した3分では、長年の苦しみを語るには短すぎる。対話が形式的な行事になってしまっていた面も否めない。運営方法を含めて真摯(しんし)に被害者の声に耳を傾け、信頼回復に努めねばならない。
 環境省の前身となる環境庁は1971年、戦後の経済成長を優先させる中で健康被害を広げた公害問題の再発を防ぐために発足した。「公害問題の原点」とされる水俣病は「環境行政の原点」でもある。被害者の声を聞き、解決策を講じるのが省として本来の使命である。
 大臣の謝罪で終わりではない。
 
水俣病発言制止】環境省は「原点」に戻れ(2024年5月10日『高知新聞』-「社説」)
 
 水俣病の患者・被害者らと伊藤信太郎環境相の懇談中、環境省が被害者側の発言を制止した問題は、同省の不誠実さのみならず、組織の原点である公害問題への姿勢が軽んじられていることをさらけ出した。
 伊藤氏と同省幹部は被害者側に謝罪したが、今回の行為が招いた不信感は大きく、今後いくら寄り添うような発言をしたところで、うわべだけだとの疑いも生じる。環境行政の基本を厳しく問い直し、信頼回復に努める必要がある。
 懇談は、熊本県水俣市で1日あった犠牲者慰霊式の後に開かれた。被害者団体代表の発言が、設定時間の3分間を過ぎた際、環境省側がマイクの音を切った。
 そもそも懇談は、環境相が当事者の声を聞く目的で設定されている。伊藤氏も当日、「話を聞く重要な機会だ」と述べていた。
 にもかかわらず、団体代表が昨年亡くなった妻の様子を切々と話している途中に発言を遮った。思いを踏みにじる行為であり、非常識さが際立つ。3分間とした発言時間も、積年の体験や思いを述べるに当たって十分な長さとは言えないだろう。
 発言制止について環境省は、伊藤氏の帰りの新幹線などの出発時間を理由に挙げ、マイクの音を下げる運用方法も省内で代々引き継がれていたとする。極めて役所的な行動、発想と言わざるを得ず、懇談が形骸化していた面もうかがえる。
 現場での対応も不信を深める要因になった。マイクを切った環境省側は「不手際だった」と曖昧な釈明を繰り返し、伊藤氏も「マイクを切ったことを認識していない」と答えた。だが「水俣病が環境行政の原点」と強調してきた伊藤氏には、不適切な事態に即応する責任が求められたのではないか。
 伊藤氏らは熊本に赴いて謝罪したが、患者・被害者側は冷ややかだ。素直に受け入れられないのは当然だろう。水俣病からの救済を求める人がなお多数いる中、加害者としての誠意や謙虚さに欠ける国の姿勢が、今回の対応から改めて浮かび上がったからだ。
 水俣病を巡っては、政治解決による救済策として水俣病特別措置法が2009年に施行されたが、救済対象にならなかった人たちが国を訴える訴訟が続いている。4月までに言い渡された大阪、熊本、新潟各地裁の判決では、原告を患者と認める判決が相次いだ。
 だが、被害の範囲を絞り込んできた国の姿勢に変化はなく、今回の問題が被害者、患者らの不信感に拍車をかける。
 環境省の前身の環境庁は、水俣病など1960~70年代に深刻化した公害被害の反省から、71年に発足した。被害者に近い立場の官庁としての役割が期待されてきたが、十分応えられてきただろうか。
 水俣病被害者らとの懇談については開催方法の改善を図るようだが、小手先の対応では意味がない。環境省は原点に戻り、組織文化、体質を見直すことが求められる。
 
聞く力(2024年5月10日『高知新聞』-「小社会」)
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 「聞く力」の著者、阿川佐和子さんは執筆当時、人に話を聞く仕事はまだ修業中と書いている。東日本大震災。自分に何ができるだろうとコピーライター、糸井重里さんに示唆を求めた。
 糸井さんは自身が被災者の若い女性に言われた言葉を伝える。〈避難所に行って話を聞いてあげてください。来てくれたというだけで、孤独じゃないってわかるから。自分が忘れられていないと気づくから〉。阿川さんは「『聞く』だけで、人様の役に立つんだ」と知ったと書く。
 水俣病の患者らと懇談した環境省の大臣、役人の振る舞いにがく然とする。被害者側が発言中、3分の時間を過ぎたからと話を遮り、マイクが切られた。被害者の驚いたような表情の映像に胸が痛む。そこには苦しむ人々に寄り添う姿勢がみじんもない。
 数年前に熊本で取材した際、識者らに「水俣病は終わっていない」と何度も言われた。行政が認定した患者は約3千人。救済策の対象になった被害者が数万人いて、さらにその枠外でも今なお多くの人が救済を求めている。
 ましてや水俣病は天災ではない。高度成長の時代。環境よりも産業を重視して対応が遅れた国などの「不作為」というキーワードがある。その国が勝手に時間を設定し、長い苦しみを3分で話せという手法も違和感が募る。 
 岸田首相が就任当初、アピールしていたのも「聞く力」だった。まともに受け取る人はもう多くあるまい。
 
持ち時間3分、消される声(2024年5月10日『琉球新報』-「金口木舌」)
 
 北中城村生まれ、101歳の喜屋武初子さんが大勢の前で初めて沖縄戦を語った。子を連れて大宜味の山中を逃げ、飢えに苦しんだ。収容所でも飢えた
▼「戦が憎らしい。どうしてもしないといけないかね」と紙面に載った言葉には続きがあった。「しなくてもいいのにまだパラパラーってしてる」。紙幅の都合で入らない、行間の余白のようでいて心に残る言葉は少なくない
水俣病の公式確認から68年。慰霊式を訪れた伊藤信太郎環境相との懇談で、水俣病患者連合の松崎重光副会長が話すマイクが途中で切られた。未認定のまま亡くなった妻の話をしていたが「持ち時間3分」で環境省職員が音を消した
水俣病を書いた石牟礼道子さんの「苦海浄土」は、原因企業のチッソ幹部や官僚、政治家を「ネクタイコンブ」と呼ぶ。彼らの標準語と、不知火の漁民の言葉は何度もすれ違ってきた。顔を出したのはそんな歴史か
▼問題から1週間、伊藤大臣は再び水俣を訪れ謝罪した。慰霊が形骸化して生きた言葉を置き去りにすれば、過去はますます遠ざかる。
 
環境省マイク切り(2024年5月10日『しんぶん赤旗』-「主張」)
 
水俣病救済 謝罪では済まない
 はなから被害者の声をまともに聞く気がなかったことは明白です。熊本県水俣市で1日に開かれた伊藤信太郎環境相水俣病の被害者団体との懇談で、団体側の発言の途中で環境省がマイクの音を切って発言を打ち切らせた問題です。
 あまりに社会常識に欠けた無礼な対応が、患者団体だけでなく国民の怒りをよび、伊藤環境相は8日、水俣市を訪れ当事者に謝罪せざるを得なくなりました。
 報道によれば、環境省は事前に1団体の発言時間は3分と決めて団体側に要請し、超過したらマイクを切ることを決めていました。
■形つくるだけの場
 昨年も、実際にはしなかったものの同様の方針だったといいます。高圧的な感覚に驚くと同時に、環境省にとって、この懇談会は患者団体の声を聞いたという形をつくるだけの場だったとわかります。
 懇談会冒頭で伊藤環境相は、会は当事者の声を聞く「重要な機会」だとのべていました。本当にそうなら、国が一方的に3分という短い時間を設定すること自体、問題です。発言は8団体の予定だったといい、全体で30分にもなりません。
 マイク切りに、その場で団体側が抗議したのに対し、伊藤環境相は事務方の対応を確認もせず、改めるよう指示もしませんでした。この事態は事務方だけの責任ではありません。
 被害者団体が「被害者たちの願いや思いを踏みにじり、苦しみ続ける被害者たちの言論を封殺する許されざる暴挙」だと抗議し、大臣の謝罪と十分に時間を取った意見交換の場を設けるよう求めたのは当然です。
■被害拡大した責任
 大臣は謝罪に追い込まれましたが、ただ謝罪するだけではすみません。
 国や熊本県は遅くとも1959年には水俣病の原因がチッソ水俣工場の廃液だと認識できたのに、69年まで規制せず被害を拡大させたと最高裁が認定しています。しかし国は患者の認定基準を狭め、被害者切り捨て政策を続けてきました。
 2009年の水俣病特措法も患者を線引きし切り捨てるものですが、看板には国の責務として被害者の「あたう限りすべて」の救済を掲げ、国が長く適切な対応をせず被害の拡大を防がなかった責任を認めています。国は、その特措法が定める健康調査や疫学調査を行わず、被害の全容を明らかにするのを怠り、多くの未認定患者を残してきました。重大な責任を負いながら、課された義務を果たしてこなかったのです。
 被害者はいまも救済を求めて裁判を闘っています。
 日本共産党の国会議員団は昨年10月、環境相に▽被害者と直接会い声を聞く▽解決のテーブルにつく▽切り捨て政策を改める―ことを要請しました。今国会でも、直接声を聞くよう求めてきました。
 9日の参院環境委員会で伊藤環境相共産党山下芳生議員に、未認定の人が多くいると認めながら、現行法の枠内で対応する姿勢を示しました。山下氏は、それでは救済にならないとして、大臣として責任を果たし、新たな枠組みづくりのテーブルにつくよう要求しました。「聞く力」を標榜(ひょうぼう)する岸田文雄政権は被害者の声に応え、ただちに救済に踏み出すべきです。