水俣病懇談の発言制止に関する社説・コラム(2024年5月9日)


 
 
 
水俣病環境省 被害を直視しているか(2024年5月9日『北海道新聞』-「社説」)
 
 熊本県水俣市で行われた水俣病の患者団体などと伊藤信太郎環境相の懇談で、環境省職員が団体側の発言中にマイクの音を複数回切り、発言を遮っていた。
 伊藤環境相はきのう現地を訪れ不適切な対応だったと謝罪した。
 環境相の帰りの新幹線に間に合わせるため、1団体3分間の発言時間を超えるとマイクの音を切る運用を決めていたという。
 折しも未救済の患者の存在を認める司法判断が続いている。
 にもかかわらず、当事者の声を拒むに等しい対応を取るようではあまりに事務的で冷たく、不誠実と言わざるを得ない。
 患者団体などは「苦しみ続ける被害者たちの言論を封殺する許されざる暴挙」と批判しており、謝罪は当然だ。
 水俣病は全面救済からほど遠い状況にある。被害の訴えに寄り添い、救済を急ぐのが国の責務だ。実態を軽視するような姿勢が解決を遅らせているのではないか。
 懇談は水俣病の公式確認から68年を迎えた1日に営まれた犠牲者慰霊式の後、伊藤環境相が当事者の声を聞く場として設けられた。
 だが、苦しんで亡くなった妻のことを話していた未認定患者団体の副会長は、職員から「話をまとめて」とせかされて音声を切られ、マイクを回収されたという。
 慰霊式は毎年恒例で、患者らが長年の苦しみを国に直接伝える貴重な場となっている。
 なのに伊藤環境相は患者らの抗議で紛糾する中、会場を去った。本来なら水俣病対策を担う行政トップとして職員を制し、患者らの話を聞くべきだった。そもそも3分間という設定自体短すぎる。
 水俣病を巡っては、2009年施行の被害者救済特別措置法などに基づく救済を受けられなかった人たちが国などに損害賠償を求めた訴訟が4件起こされ、3件で一審判決が出ている。
 除斥期間の適用などで違いはあるが、昨年9月の大阪地裁、今年3月の熊本地裁と4月の新潟地裁のいずれの判決も、国の救済の対象とならなかった人を新たに患者と認めた。
 救済策から取り残された被害者がまだ多いことを示したと言える。制度の不備はもはや明白だ。
 最高裁は04年の判決で、被害拡大の防止を怠った国の責任を認定している。
 政府と国会は、被害者を網羅的かつ恒久的に救済する制度をつくるべきだ。被害者は高齢化が進む。急がねばならない。
 
水俣病対話マイク切断 単なる謝罪で済まされない(2024年5月9日『東奥日報』ー「時論」/『山形新聞』ー「社説」/『茨城新聞山陰中央新報佐賀新聞』-「論説」)
 
 水俣病の被害者側と伊藤信太郎環境相の懇談で、環境省が被害者団体側のマイクの音を切って発言を阻んだことを認め、環境相は急きょ現地入りして直接謝罪した。
 
 だが、これは通り一遍の謝罪で済む問題ではない。環境行政の原点である公害問題の重大性や、弱者の声に耳を傾けることへの重要性についての認識が、今の環境省の中で薄れていることの表れと言えるからだ。
 今回の事態は、環境省側と患者団体の代表者などが対話をする懇談会の場で起こった。環境省の担当者は、自らが勝手に設定した発言時間の3分を超過したことを理由に、発言者のマイクの音量を絞り、取り上げた。
 「痛いよ、痛いよといって死んでいきました」と亡き妻の姿を訴える参加者の発言を中途で阻むという暴挙は、当たり前の耳と心を持つ人間ならできないことだ。環境省の中で懇談が形骸化し、そもそも患者団体の意見を受け止める意思などなかったと言われても反論の余地はないだろう。
 水俣病など1960~70年代に深刻化した公害問題が、当時の環境庁発足のきっかけとなり、長く、環境行政上の主要課題とされた。その後、地球温暖化オゾン層破壊といった地球環境問題が深刻化して、それらへの対応に環境行政の重点はシフトしていった。
 その中で「原点」だったはずの公害行政の重要度は相対的に低下。水俣病などへの職員の関心が薄れ、現場経験も減ったことを指摘する識者は少なくない。
 だが、公式発見から70年近くたっても水俣病問題は未解決だ。光化学スモッグなど改善が見られない汚染も多い。
 気候変動や化学物質汚染などで最初に大きな被害を受けるのは、社会的な弱者や貧困層だ。弱者の訴えに耳を傾け、立場の弱い人々の命と生活を守ることが環境行政の最大の目標であることは今も昔も変わらない。
 映像を見れば発言中にマイクが切られたことは明白なのに「私はマイクを切ったことを認識しておりません」と述べ、早々に退席したのが環境相だ。後日になって「水俣病環境省が生まれた原点」と言った言葉を額面通り受け入れることは難しい。同席した木村敬熊本県知事の「運営(方法)自体は見直されるべきだ」との発言にも当事者意識が感じられない。
 国と熊本県は、早急に懇談を再設定し、関係者の声に耳を傾けるべきだ。環境省には、職員の教育体制の見直しなどを通じて意識改革を進めるという、より根本的な対応も求められる。
 そして、伊藤環境相環境省には、水俣病の全面解決というさらに大きな課題が突き付けられていることも忘れてはならない。現行の水俣病特別措置法で救済されなかった未認定患者による訴訟で、昨年の大阪地裁、今年に入っての熊本地裁新潟地裁と、原告を患者と認める判決が相次いだ。国の認定基準は司法によって繰り返し否定されている。
 市民の信頼なしに、人々の暮らしと命を環境破壊から守る行政など実現できるはずがない。
 今回の事態の反省に立ち、弱者の声に耳を傾ける姿勢を明確にすること。過去の行政へのこだわりを捨てて水俣病の全面解決に進むこと。この二つなしに、失墜した環境行政への信頼は回復できないだろう。(共同通信・井田徹治)
 
水俣病発言打ち切り 環境省、不誠実さ猛省を(2024年5月9日『秋田魁新報』-「社説」)
 
 熊本県水俣市で1日開かれた水俣病の患者団体と伊藤信太郎環境相の懇談で、団体代表らの発言中に環境省職員が時間切れを理由にマイクの音を突如切った問題が波紋を広げている。団体側の抗議を受けて伊藤氏が8日、同市を訪れ「心からおわび申し上げたい」と謝罪した。
 懇談は患者らでつくる8団体が出席して開かれた。1団体の持ち時間3分は被害者らが積年の思いを語るのにはそもそも短過ぎる。さらに問答無用の発言打ち切りだ。不誠実な対応を環境省はまず猛省しなくてはならない。
 発言者の一人は水俣病患者と認められないまま昨年亡くなった妻の最期の言葉を紹介していた。持ち時間が迫ると職員が「時間なのでまとめてください」と告げ、その後マイクの音声が消え、さらにマイクが取り上げられた。もう一人の発言者も同様にマイクの音声を切られた。
 環境省側の言い逃れも目に余った。団体側の「意図的にマイクを切ったか」との抗議に、職員は「不手際だった」と釈明。伊藤氏は「マイクを切ったことは認識してない」と答えた。目の前で起きた出来事を何も見聞きしていなかったというのはあまりに不自然だ。
 伊藤氏は慰霊式、懇談を前に「亡くなった方のご冥福を祈りたい」「地域の声を拝聴する」と述べていた。にもかかわらず故人の言葉を伝える遺族の発言の打ち切りを傍観した。言行不一致と言わざるを得ない。
 この問題では団体側が7日に改めて「被害者の言論を封殺する許されざる暴挙」と抗議し、伊藤氏に謝罪を要求する方針を明らかにした。担当者はようやく「マイクの音量をゼロにした」と認めた。
 一連の不誠実な対応を伊藤氏の謝罪で終わりにしてはならない。改めて患者団体からの訴えに耳を傾ける場を設けることが求められる。できるだけ早急に開いてもらいたい。
 水俣病が1956年に熊本県で公式確認されて68年もたちながら、いまだに救済の手が届かない人がいる。国や原因企業に対して損害賠償を求める訴訟は各地で続く。
 
 患者の救済を阻む壁として、厳し過ぎる国の認定基準や損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」(20年)などが指摘される。「時間切れ」と機械的にマイクを切った環境省の今回の対応は、この救済を阻む壁の存在も強く印象づけたといえよう。
 今回の事態を職員の落ち度と矮小(わいしょう)化することなく、水俣病患者の救済に対する環境省の姿勢を見直す契機としたい。自ら決めた持ち時間などにとらわれず、弱者の声に真剣に耳を傾ける大切さを再認識することにつなげられないか。
 
糸電話(2024年5月9日『福島民友新聞』-「編集日記」)
 
 互いを思う気持ちを深めたのは糸電話だった。室井滋さんの絵本「会いたくて 会いたくて」(小学館)に登場する少年は、施設にいるおばあさんに会いに行ってはいけないと、家族から言われている。理由は示されていないが、新型コロナの面会自粛といった具合だろう
▼心配でたまらない少年は施設へと向かう。幸い元気な様子のおばあさんが3階にある自室の窓から下ろしたのは、糸電話。ぴんと張られた糸を伝い、互いの言葉が行き交う中、少年は人を思う心の大切さを教わる
 
水俣病の被害者側の発言が途中で遮られた問題を巡り、伊藤信太郎環境相はきのう、当事者に直接謝罪した。伊藤氏との懇談で、苦しみながら亡くなった妻への思いを語っていた男性は、持ち時間の3分を超えたとして、環境省の職員によりマイクの音を切られた
▼懇談は患者や被害者が、水俣病の現状などを国に伝える貴重な機会だった。それにもかかわらず、持ち時間や伊藤氏の日程の都合などを理由に発言は遮られた
▼しゃくし定規のような環境省の対応で切れた対話の糸が、修復に向かっていくと思いたい。再び切れぬよう、固く結び直す。それなしに被害者の声をすくい上げることはできない。
 
水俣病懇談の発言制止 環境行政の原点忘れたか(2024年5月9日『毎日新聞』-「社説」)
 
キャプチャ
1971年に発足した環境庁水俣病など四大公害病がきっかけとなった。
 
 公害被害の救済を所管する官庁としてありえない行為だ。
 水俣病の患者・被害者が、熊本県水俣市伊藤信太郎環境相と懇談した際の出来事である。時間超過を理由に、環境省の担当者がマイクの音を切り、患者団体代表ら2人の発言をさえぎった。
 伊藤環境相の帰りの予定があったためというが、お役所仕事が過ぎないか。そもそも1団体に割り当てられた発言時間は3分しかなかった。悲痛な訴えを聞くには、あまりにも短い。
 団体側は「被害者たちの言論を封殺する暴挙だ」と強く抗議した。伊藤環境相は1週間後になって現地を再訪し、「心からおわびし、深く反省する」と謝罪した。
 前身の環境庁は、水俣病など四大公害病をきっかけに、1971年に発足した。各省庁に分散していた公害規制行政を一元的に担当する目的だった。当時の設置法は主たる任務として、公害を防ぎ、国民の健康に寄与することを掲げている。
 歴代の環境相は毎年、水俣病が公式確認された5月1日に水俣市で開催される犠牲者慰霊式に出席し、患者・被害者団体と懇談している。高度経済成長の陰で発生した惨禍を忘れていないとの姿勢を示すためだ。
水俣病被害の救済を求めて大阪地裁へ向かう集団訴訟原告団ら=大阪市北区で2023年9月27日午後1時57分、三村政司撮影
 伊藤環境相も出席前の記者会見で「水俣病は環境問題の原点だ。地域の声をしっかり拝聴したい」などと述べていた。
 
キャプチャ2
 にもかかわらず、患者らの思いを踏みにじるような振る舞いを座視した。心からの言葉だったのか誠意が疑われる。
 政府が対処すべき環境問題は、気候変動など地球規模のテーマに広がっている。とはいえ、水俣病は公式確認から68年が経過した今も終わっていない。
 多くの人が健康被害や差別に苦しみ、救済を求めて裁判で争っている。被害の全容は依然として分からないままだ。
 当時、公害が広がった背景には、行政が経済成長を優先して市民の声に耳を傾けず、有害化学物質の排出規制に及び腰になっていたことがある。
 環境省は公害の歴史と組織発足の経緯を忘れず、患者や被害者に寄り添う行政を貫いていかなければならない。
 
環境省水俣病 思いやりの心はないのか(2024年5月9日『産経新聞』-「主張」)
 
キャプチャ
水俣病患者連合の松崎重光副会長(左から2人目)らに謝罪する伊藤環境相
 
 政策の立案や遂行には、関係する当事者から真摯(しんし)に意見を聞き、向かい合うことが欠かせない。そうであるはずなのに環境省の対応は、この基本や思いやりを欠いている。
 これでは、心ある政策を実行できるとは、到底思えない。患者・被害者らが環境省の対応に不信感を抱くのは当然である。
 伊藤信太郎環境相水俣病の患者・被害者らとの懇談の場で、環境省が3分の持ち時間を超えて発言する参加者の話を制止し、マイクの音を切る、という出来事があった。
 粗雑で乱暴な対応である。懇談とは名ばかりで、そもそも話を聞く気がなかったのではないか、と疑わざるを得ない。
 しかも環境省は「以前からこうした運用をしていた」と説明した。事実であれば過去にさかのぼって謝罪すべきである。
 懇談は、1日の犠牲者慰霊式の後、熊本県水俣市で開かれた。水俣病患者らでつくる8団体と伊藤氏らが出席した。
 環境省は、発言の持ち時間を1団体3分としていた。団体側の発言中、3分が過ぎた後、発言者の2人のマイクの音が切られ、その後回収された。
 もっと異なる対応を取るべきだった。際限なく話を聞くということではないが、3分では短すぎる。
 林芳正官房長官は7日の記者会見で、「関係者の意見を丁寧に聞く重要な機会に、不快な気持ちにさせてしまい、適切だったとはいえない」と述べ、8日には衆院内閣委員会で、「政府としておわび申し上げたい」と表明した。
 伊藤氏は同省事務次官と環境保健部長を厳重注意し、「水俣病環境省の原点」と述べた。同日、水俣市を訪れ、発言をさえぎられた2人に謝罪した。
 後手に回った印象を免れない。伊藤氏は当初、「マイクを切ったことを認識しておりません」などと釈明したが、音が切られたことはその場で認識できたはずだ。進行を官僚に任せきりで、会議に出ているだけなら閣僚の職責は果たせまい。
 水俣病は公式確認から68年がたったが、国に補償を求める裁判が複数継続し、解決には至っていない。
 環境省は、懇談の場を再度設けるべきだ。対話の大切さを肝に銘じ、政策を遂行しなければならない。
 
水俣病患者らが損害賠償を求める熊本地裁の第1回口頭弁論(2024年5月9日『東京新聞』-「筆洗」)

 水俣病患者らが損害賠償を求める熊本地裁の第1回口頭弁論(1969年)で、裁判長は原告側の最前列にいた当時13歳の女性胎児性患者に法廷の秩序を乱したとして退廷を命じた。理由は声だった

▼生まれつき話せぬ娘さんはあー、あーと声を出したそうだ。水俣病問題に取り組んだ作家の石牟礼道子さんが退廷は間違っていると書いた。その声こそが患者の置かれている現実。「唄だったかもしれぬ。泣き声だったかもしれぬ」。まぎれもなくその声はこの法廷にふさわしい声だったのに-と

水俣の「声」をめぐる最近の国の仕打ちがやりきれぬ。水俣患者・被害者団体と伊藤信太郎環境相との懇談で被害者側の発言中、環境省の職員が一方的にマイクの音を切ったという。声を消した

▼1団体3分間の発言時間を超過したためと環境省は説明する。時間に限りはあろうが、消したのは病の苦しさや、亡くなった家族を思う言葉の数々である。3分ではおよそ語り尽くせぬ胸の内である

最高裁水俣病の被害拡大を防止しなかった国の責任を認めている。国は被害者の声に真摯(しんし)に耳を傾けなければならない立場にあるはずだ。時間を超えたからと声を奪う冷酷な方法が国への不信を招く暴挙であることになぜ、気づかなかったのか

▼伊藤環境相が被害者側に直接謝罪した。反省が続くのはまさか、3分間ばかりではあるまいな。

 
環境省発言制止 水俣病被害者に寄り添え(2024年5月9日『新潟日報』-「社説」)
 
 水俣病に苦しむ人たちの思いを聞く気持ちがなかったと言わざるを得ない。あまりにもひどい対応に憤りを覚える。
 環境省は謝罪だけでは済まされない。猛省して被害者に寄り添う姿勢を示さねばならない。
 水俣病の患者らでつくる8団体と伊藤信太郎環境相との懇談が1日に熊本県水俣市で開かれた際、団体側の2人が発言中、環境省職員によりマイクを切られたことが明らかになった。
 伊藤環境相は8日、対応が不適切だったことを認め、現地へ赴き患者団体に「心からおわび申し上げたい」と直接謝罪した。これに先立ち、懇談の司会を担当した特殊疾病対策室長も謝った。
 環境省が発言を制止したのは、団体の副会長が、妻が昨春「痛いよ痛いよ」と言いながら亡くなったことを切々と話していたさなかのことだ。持ち時間の3分を超えたとして、マイクの音を切った。他にも同様の対応があった。
 被害者の切ない訴えを、機械的に打ち切るのは非情だ。
 懇談後に怒号が飛び、環境省側は不手際だったと釈明を繰り返したが、伊藤氏は「マイクを切ったことを認識しておりません」と話して、会場を後にした。
 環境省は7日、室長が謝罪する方針を示して事態を収拾しようとしたが、被害者側が「言論を封殺する許されざる暴挙」と抗議し、伊藤氏の謝罪を要求していた。
 懇談は、犠牲者慰霊式の後に行われた。伊藤氏は懇談について事前に「地域の声を拝聴する」と述べていただけに、あぜんとする。
 室長によると、マイクの運用は昨年を踏襲したが、昨年は音を切ることはなかった。3分の持ち時間設定は、被害者側の発言が長引く傾向や、環境相の帰京時間を考慮したからという。
 懇談は被害者の声を丁寧に聞く場のはずだ。持ち時間を設定すること自体が、形式的な場にしようとする環境省側の意識の表れともいえるだろう。
 今後について、伊藤氏は慰霊式とは別の日に懇談の場を設けるなど「もう少し長い時間お話を聞く機会をつくる」としている。見直しは当然のことだ。
 本県の患者団体からも怒りの声が上がっている。新潟水俣病公式確認から59年になる31日には、県が式典を開く。伊藤氏は来県し、時間を制限せずに被害者の訴えをじっくりと聞いてもらいたい。
 水俣病を巡っては、公式確認から70年近くたっても、認定や補償を求め、多くの人が法廷で争っている。国の責任を認め、救済の姿勢や認定基準に疑問を投げかける司法判断が相次いでいる。
 被害者全員を恒久的に救済できる新たな制度が求められている。今回の件を契機に、環境省は被害者の視点に立ち、新たな救済策の構築を図るべきだ。
 
水俣病被害者に大臣謝罪 社会弱者の声、真剣に聴け(2024年5月9日『中国新聞』-「社説」) 
 
 環境行政の原点である公害被害への国の姿勢が厳しく問い直されていよう。
 水俣病が公式確認されて68年となった今月1日、熊本県水俣市で行われた伊藤信太郎環境相と患者・被害者団体との懇談会で起きた事態の波紋は、広がるばかりである。
 発言した2人について、環境省職員がマイクの音声を一方的に切るなどして制止したからだ。時間を3分とあらかじめ設定し、それをオーバーしたという理由である。これまでも同じ運営方法だったというが、痛みに苦しんで亡くなった妻の記憶を語る途中で遮られた出席者の気持ちは、察するに余りある。
 人道的にも許されない暴挙であり、言論封じとして批判を浴びたのも当然だろう。あいまいな釈明をした環境省も非を認め、きのう担当室長を謝罪に差し向けたのに続いて大臣自らが水俣入りして「深く反省している」と当事者に謝罪した。岸田政権へのさらなるダメージを避けたい思惑があることも想像できる。
 伊藤氏は事務次官らを厳重注意としたが、事務方だけの問題ではない。その場で抗議の声を受け流し、新幹線の時間が迫っているとして立ち去った大臣の責任も重い。もはや単なる発言制止に関する謝罪では済まされない。
 毎年、犠牲者慰霊式後に開いてきた懇談会は形式の見直しを検討するというが、本質はそこにない。要は水俣病に政府がどう向き合うかだ。そもそも歴代の自民党政権に問題解決の熱意がさほど感じられないことが、この事態の背景にあるように思える。
 この懇談会も本来なら被害者の声をじっくり聴き、誠実に対話する場のはずだ。「一応聞いておく」だけの分刻みのセレモニーとして、形骸化していた面はないのか。
 水俣病を巡っては2009年の特別措置法で未認定の被害者救済が一定に実現した。その認定基準から漏れた人たちが国などに賠償を求める訴訟が続く。だが、かつて公害を放置した結果、長年にわたる被害を生んだ国の対応が、歳月を経てもなおざりになっていいわけがない。
 例えば、この特措法が国に義務付ける幅広い健康調査である。15年たっても始まらない現状を、ことしの懇談会でも多くの団体が指摘した。本当にやる気があれば、前に進む話ではないのか。
 ふと思うのは、この問題で浮き彫りになった社会弱者への視線の冷たさだ。環境行政だけの問題なのだろうか。
 8月6日、広島市の平和記念式典後に市主催の「被爆者代表から要望を聞く会」が開かれる。首相が式典に参列すれば、7団体から生の声をじかに伝える。核兵器廃絶への訴えとともに、戦後の「原爆孤児」や「黒い雨」被害の救済について要望してきた。
 首相をはじめ国の側がどこまで本気で聞き、施策に反映しようとしているのだろう。水俣の事例を見ると「聞くだけ」ではないかと、不安にもなる。どんな分野であっても弱者の声に真剣に耳を傾け、その命と暮らしを守る責任を忘れないでもらいたい。
 
「ブッチ」と「ブチッ」の落差(2024年5月9日『中国新聞』-「天風録」)
 
 新語・流行語大賞の表彰式に、時の首相が姿を見せたことがある。「もしもし、ケイゾーです。オブチです」。四半世紀前、官邸からかけまくる電話「ブッチホン」で名をはせた故小渕恵三首相である
▲「俗受け狙い」と眉をひそめる識者もいたが、政権の支持率は上り調子に。有名無名を問わず、国民とやりとりをする対話の姿勢に親近感が湧いたのだろう。歴代首相で初めて、広島市中区の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に赴いたのも糸口は対話だった
▲「ブッチ」と「ブチッ」の違いは大きい。今月1日、伊藤信太郎環境相との懇談で、水俣病患者団体の発言を環境省職員が持ち時間オーバーだと遮り、マイクの音をブチッと切った
▲その日、環境相は犠牲者慰霊式で対話を誓ったばかり。「水俣病の歴史と美しい自然を取り戻した水俣の姿に関心を持っていただくため、地域の皆さまの声に耳を傾け…」。水俣を原点とする環境行政の、心にもない約束と見透かされたに違いない
▲訴えは1人3分きりだった。聞き置く姿勢が、はなから見え見えではないか。被害の心情を聴くべき相手は、環境相の背後にいる私たち世間でもある。その時間までブチッと奪った罪深さよ。
 
言葉たり得ないもの 水俣病講演を聞いて(2024年5月9日『山陰中央新報』-「明窓」)
 
 人が心で語ろうとしていることを頭で聞いちゃいないか。人が言い得ないことを語ろうとしているとき、我々は言葉でまとめてはいないか-。4月に東京であった水俣病記念講演会。批評家の若松英輔さんの一言一言が胸に刺さった。
 「水俣病事件を語り継ぐ」がテーマ。熊本県水俣市で豊饒(ほうじょう)の海と生きていた人々が、工場が垂れ流す有機水銀で汚染された魚を食べ、発病。地元の主婦だった故石牟礼道子さんは、水俣の全ての生き物の苦しみと尊さを著書『苦海浄土』で描いた。
 若松さんは何度読んでも「お前の今の状態じゃ(理解は)難しいと突き返された」という。知識を得ようと言葉を追ったに過ぎないからだと、後に気付いた。作品に宿る言葉たり得ないものを読まないと駄目なんだ、と。
 そして情報や知識があふれる今、生成人工知能(AI)を例に頭でっかちに物を読み、語り、書くことへの警鐘を鳴らす。「AIは便利だけど言葉になるものしか受け止めない。声にならない哀(かな)しみ、語り得ない物語、言わなかった嘆きなんてものは彼らにはない。我々に今、託されているのはそういうことだ」
 1日、水俣市環境相と懇談した水俣病の患者団体の発言が、持ち時間の3分を超えると「まとめてください」と環境省の職員に遮られマイクを切られた。規則も効率的な運営も大事だが、彼らは耳ですら患者の声を聞いていなかったのかもしれない。(衣)
 
水俣病発言遮断 被害者の思いなぜ聞かぬ(2024年5月9日『西日本新聞』-「社説」)
 
 水俣病の歴史において、常に幕引きを急いできた国の姿勢を、図らずも露呈したと言えないか。
 熊本県水俣市で1日に行われた水俣病の患者・被害者団体と伊藤信太郎環境相との懇談の際、予定の3分を超過したとして、被害者の発言中に環境省職員がマイクを切って制止した問題である。
 打ち切られた2人のうち、松崎重光さん(82)は水俣病に認定されないまま昨年亡くなった妻悦子さんについて語るさなかだった。
 今なお苦しめられている人や、亡くなった人たちの無念に、なぜじっくりと耳を傾けようとしないのか。被害者の尊厳を踏みにじる行為に、強い憤りを禁じ得ない。
 昨年の懇談も同じ形式だったが、マイクを切る行為はなかったという。
 伊藤氏はきのう、急きょ水俣を再訪して、発言を打ち切られた2人に直接謝罪した。当初は懇談の運営を担当した環境省幹部に、謝罪を指示したとされる。事態を軽視していたのではないか。
 懇談会場で被害者から抗議を受けた伊藤氏は、マイク音声の遮断について「認識しておりません」と述べている。発言が途中で遮られたことは分かっていたはずだ。伊藤氏自身がマイクを回収する職員を制止し、発言を続けるように促すべきであった。
 懇談の冒頭、伊藤氏は「水俣を訪れ、皆さまのお話を伺うことができる、重要な機会と感じている」とあいさつした。
 そう言いながら発言の機会を一方的に奪うようでは、被害者に寄り添って話を聞くのはポーズに過ぎないと見られても仕方あるまい。被害者の訴えを救済に生かす気があるのかも疑わしい。
 もはや水俣病を所管する環境省のトップを務める資格はないと考える。
 これは伊藤氏に限った問題ではない。水俣病に対するこれまでの国の姿勢と通底している。
 国は原因企業チッソによる汚染廃水垂れ流しを放置し、被害を拡大させた。救済の対象をできるだけ狭くし、多くの被害者を切り捨ててきた。それを償う責任がある。
 にもかかわらず、国はいまだに被害者の救済拡大に動かないままだ。
 環境省の前身である環境庁は、戦後の高度経済成長期に水俣病など四大公害病を拡大させた反省に立ち、1971年に創設された。
 72年から長官を務めた三木武夫元首相が「唯一の反権力的官庁」と語ったように、かつては水俣病問題に関係する官庁の中で最も被害者に近いといわれた。
 今やその面影はない。近年は被害者が切望する不知火海八代海)沿岸の広域的な健康調査について「患者の掘り起こしにつながる」として拒否するほどである。
 今回の失態を猛省し原点に立ち返らなければならない。
 
環境省が発言遮断 水俣の思い踏みにじった(2024年5月9日『熊本日日新聞』-「社説」)
 
 真摯[しんし]に耳を傾け気持ちすらない。そんな環境省の姿勢が露呈した瞬間だった。水俣病の症状に苦しみながら、昨年亡くなった妻への思いを切々と語っていた患者団体の男性の発言が突然遮られた。
 1日、水俣市であった水俣病犠牲者慰霊式の後に開かれた伊藤信太郎環境相と患者団体との懇談の場で、環境省の職員が取った対応に批判が噴出している。発言時間に1団体3分という制限を設けた上で「時間なのでまとめてください」とせかし、発言者の男性が持つマイクの音を一方的に切った。
 同様の仕打ちを受けた参加者はほかにもいた。患者団体の関係者によると、これまでの懇談の場では発言中に制止されることはあっても、マイクを切られることはなかったという。
 慰霊式に参列した環境相と患者団体との懇談は恒例化している。2020~22年は新型コロナ禍で式そのものが中止や規模縮小を余儀なくされたが、23年からは現地での懇談も再開されている。
 伊藤氏は昨年9月に環境相に就任しており、水俣を訪れるのは今回が初めてだった。訪問を目前に控えた4月下旬の記者会見では、「地域の声を拝聴し、政府としてできる限りのことをしたい」と語っていた。
 多忙な身で時間に限りがあることは分かる。しかし、職員の対応が被害者の思いを踏みにじる愚行なのだと、その場ですぐに認識するべきではなかったか。
 対応を問題視した患者団体側は「苦しみ続ける被害者たちの言論を封殺する許されざる暴挙」と抗議する文書を伊藤氏宛てに送付したという。当然の訴えだ。
 これに対し環境省側は「例年、発言が長引くことがあり、昨年は大臣が返答する時間が短く、不十分との指摘があったため事前に持ち時間は3分と伝えた」などと釈明した。昨年もマイクを切る準備をしていたことも明らかにした。
 しかし、林芳正官房長官環境省側の対応が不適切だったとの認識を示し、8日の国会で「政府としておわび申し上げたい」と表明した。伊藤環境相も同日、水俣市を急きょ訪れ、被害者側に直接謝罪した。
 水俣病を巡っては、公式確認から68年を経ても解決していない問題が山積している。もとより1団体3分という短時間では、団体側の話を十分に聞く気などない、と受け止められても仕方あるまい。懇談の「場を設ける」ことのみが省内で目的化していなかったか。環境行政の原点である公害問題への認識が希薄になっていないか。反省すべき点は多々ある。
 懇談には熊本県の木村敬知事ら県幹部も同席していた。だが、環境省の対応に異は唱えなかったという。国はもちろん、熊本県水俣病問題の当事者だ。適切な対応だったとはとても言い難い。
 大臣の謝罪によって早期の幕引きを図ろうとする意図も透ける。その場しのぎの対応など誰も望んでいない。問題解決への覚悟を示し、直ちに実行してほしい。
 
わずか3分(2024年5月9日『熊本日日新聞』-「新生面」)
 
 強烈な右のパンチで仕留めた。ボクシングの井上尚弥選手が世界4団体統一王座を守った。1ラウンドの3分がとても短く感じたのは、リング上の攻防を見逃すまいと目を凝らしていたからか
▼こちらの3分は全く違った。水俣市で1日あった伊藤信太郎環境相水俣病被害者の懇談で、1団体3分の発言時間を過ぎると環境省職員が制止し、一方的にマイクの音を切った。聞く耳持たずといわないまでも、耳を澄ませていたとは思えない
▼長くもなく、短くもなくちょうどよい時間と言われています-。日清食品カップヌードル」の公式Q&Aにあった。お湯を注いで出来上がるまで「なぜ3分なのか」の回答である。じらさず、せかさず
▼こちらの3分はどうか。発言をせかして、思いを受け止められるはずがない。環境相がその場で部下をたしなめ、じっくり聞けばよかった。出席したのは8団体。3分が6分になっても24分延びるだけ。日程に余裕がないというより、はなから右から左へ受け流すつもりだったのでは
▼かつて公衆電話は3分10円だった。一定の用件を話すのに必要な時間として設定された。かたや3分スピーチのマニュアルには「話せる内容は900字ほど。簡潔に」とある
▼こちらの3分は同じ発想だったか。水俣病被害者が心身の痛みや苦しみを伝え、救済を求め、水俣の未来に向けた思いを語るには足りない。環境相はきのう、水俣を訪れ謝罪した。公式確認から68年。3分で伝わらない気持ちは、今も膨らみ続けている。