環境省の対応に厳しい声「マイク切り」問題 国会で大臣陳謝(2024年5月9日『KAB熊本朝日放送』)

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 水俣病患者団体らとの懇談の場で環境省の職員が強制的にマイクの音を切った問題で、伊藤環境大臣は国会で陳謝しました。
 伊藤環境大臣
「発言されていた方に、大変申し訳ない思いでございます。改めて懇談の場を作ってほしいというご要望があり、私の責任で懇談の場を設けることを決定しました」
 9日の参議院の環境委員会で、冒頭に発言を求められた伊藤大臣は、時期などは未定としながら、改めて懇談の場を設けると明言しました。
 環境委員会では、水俣病をめぐる環境省の対応について問題視する声があがりました。
 不知火海沿岸で実施が検討されている健康調査について、立憲民主党川田龍平参議院議員が「調査手法の開発が先という理由で実施に至っていないということですが、検証をしっかりやるという立場で、健康調査、疫学調査をやっていただけますか」と述べると、伊藤環境大臣は「できる限り早く実施できるよう促進したい」と応じました。
 また、川田議員は発言中にマイクを切られた松崎重光さんと対面した経験を振り返り、「国が認定してこなかった水俣病患者のみなさんを認定してほしいんですよね。認定してもらえませんか」と患者認定による全面解決を迫りました。
 これに対して伊藤環境大臣は「法律がどうしても足りないということであれば、立法府として法律を作っていくことが必要ではないかと思います」と述べました。
 この問題をめぐって、伊藤環境大臣は、8日、水俣市を訪れ、関係者に謝罪しました。
 また、懇談の場に同席していた熊本県の木村知事は「運営については適宜見直しがなされるべきと考えており、運営の改善をお願いしたい」とコメントしました。
 
 
水俣病被害者団体が発言中“マイク切り” …環境大臣謝罪も憤り「3分でしゃべれとは」【知ってもっと】【グッド!モーニング】(2024年5月9日『ANNnewsCH』)
 
 
 水俣病の被害者団体が発言中にマイクを切られた問題で、8日に環境大臣が熊本に入り、直接謝罪しました。被害者側は、環境省の対応が形骸化していると怒りをあらわにしています。
■「持ち時間」3分過ぎたら…内々に決定
水俣病は、環境省が生まれた原点です。ですので、環境省の大臣として、このことをいかに大切に思っているか、お伝えしたいと思います」
 問題発生から1週間。大臣自ら、再び水俣市を訪れる事態になりました。
 発端は5月1日でした。
水俣病患者連合 松崎重光副会長
「私はいつも家内と話していました」
環境省の担当者
「申し訳ございません。お話をおまとめください」
 司会者が水俣病の関係者の話を容赦なくさえぎります。さらに…。
松崎副会長
「妻の…妻の…」
会場の声
「切られた、スイッチが」
会場の声
「聞いてやれーな、大臣」
 問答無用でマイクのスイッチが切られました。それぞれの発言者の「持ち時間」は3分で、それを過ぎれば“マイクを切る”と内々に決めていたためです。
会場の声
「マイクを切ったことについては、どう思われますか?」
伊藤大臣
「私はマイクを切ったことについて、認識しておりません」
■室長が謝罪 急転直下…大臣もUターン
 改めて意見交換の場を求めて、8日に関係団体が会見を開きました。
水俣病の関係団体
「直接、室長が皆さんにおわびしたいと、1時間ぐらい前から来ていて」
 姿を見せたのは、5月1日の懇談の場で司会をしていた、環境省・特殊疾病対策室の木内哲平室長です。
水俣病の関係団体
「松崎さんが切々たる思いで、亡き妻とその苦しみを語られた。そこを『もう時間です』と言わなくちゃいけなかった時、あなたの心は痛みましたか?」
木内室長
「発言の途中で切ってしまったことは、大変お気持ちを傷付ける不適切な行為だったと反省しています」
 もともと、木内室長だけが謝罪に出向くはずでした。
木内室長
「まずは、私が行って謝罪するようにと指示を受けている」
 しかし、急転直下。伊藤大臣も水俣にUターンすることになったのです。
伊藤大臣
「心からおわび申し上げたいと思います」
■「3分でしゃべれとは」関係者は憤り
 そもそも、「環境省」の前身である「環境庁」は、水俣病などの公害に対応するためにつくられました。
 関係者からは厳しい声が上がりました。
水俣病の関係団体
環境省の歴史に、消し難い汚点を残したのではないかと」
 また、マイクを切る以前に「3分間」という設定に、疑問を呈する人もいます。
水俣病の関係団体
「何十年もの間、私たちは苦しんできました。その思いを『3分でしゃべれ』とは、どうしてそういうことが言えるのか」
伊藤大臣
「ひょっとしたら、10分でも足りないと思います。(ただ)最終の飛行機に乗るには、たぶん、あれがリミットだったと思う」
 マイク切りの理由は、“帰り時間”のためだったのです。
■現地に1泊、「5月1日」以外の懇談も検討
 68年前、水俣病が公式に確認された5月1日は毎年、午後から慰霊式が行われ、その後、分刻みで予定が組まれます。
 そして、新幹線と飛行機の時間に合わせて、その日のうちに帰る過密スケジュールでした。
水俣病の関係団体
「何のために懇談会をしているのか、全く分からなくなっている。非常に形骸化している。なぜこれ(懇談)をやっているんだと、もう一回考え直しましょう」
水俣病の関係団体
「そういった場は設けていただけますか?」
伊藤大臣
「設けるように“努力”します」
水俣病の関係団体
「“努力”ではなくて、設けていただけますか?」
伊藤大臣
「最大限“努力”します」
水俣病の関係団体
「できるかできないか、するかしないかは、大臣が決めていいんですよ。そういう立場じゃないですか」
伊藤大臣
「設けます」
 伊藤大臣は来年以降、現地に1泊することや5月1日以外での懇談も、検討する考えを示しました。
伊藤大臣
環境大臣として、多くそれが実現できるように、しっかり進めてまいりたい」
(「グッド!モーニング」2024年5月9日放送分より)