能登地震から4カ月 「喜び」を再起のてこに(2024年5月1日『東京新聞』-「社説」) 

 能登半島地震はきょうで発災から4カ月。能登の2人の工芸家に最近、聞いた話を紹介します。
 元日、石川県輪島市漆芸家小森邦衛さん(79)は夫婦2人でお茶を飲もうとしていた時に揺れに襲われました。最初の揺れはテーブルの下でしのぎましたが、2度目が大きかった。防災リュックを手に外へ逃れました。
 同様に外に出ていた近所の人たちと集まっていると、小森さんに話しかけてきた女子高校生がいました。「おじさん、靴貸して。怖くて家に入れん」。見ればはだし。家から靴を取ってきてはかせ、妻と3人、20分ほど歩いて市役所に避難しました。「今どきの子やね。タブレットだけは抱えてた」。1人で留守番をしていたという女子高校生は、市役所で充電したタブレットで連絡のとれた親戚に迎えに来てもらったそうです。
◆無傷だった「夜の地球」
 その夜、小森さんは市役所から、朝市通りが燃えている光景を見ていました。「ただ見ているしかない。そんな時、人は何も考えられないんだね」。当時の無力感をそう振り返ります。
 
キャプチャ
 翌朝、小森さんがまず足を向けたのは、県輪島漆芸美術館でした。輪島塗技術保存会の職人37人が総力を結集し、5年をかけて2022年に完成させた地球儀「夜の地球 Earth at Night」=写真=のことが気になっていました。
 木地と指物(さしもの)の職人が直径1メートルの球をつくり、漆が最も美しさを放つ黒漆の上に、蒔絵(まきえ)と沈金で人々の暮らす街の光を金色で表現した地球儀は、傷一つなくしっかりと立っていました。その後、小森さんは事あるごとに「これが輪島塗復興のシンボルになる」と言い続けています。
◆再び回り始めたろくろ
 珠洲焼の陶芸家篠原敬さん(64)は元日から、珠洲市の工房で電気のろくろを回していました。昨年5月の震度6強地震で崩れ落ちた後、5カ月かけ修復した窯で焼くための作品を作っている最中でした。窯は一度も火を入れることなく、またも壊れました。
 珠洲焼は平安後期から室町時代にかけ、能登半島の先端地域で盛んに作られ、15世紀末に途絶えた「幻の陶器」です。考古研究を経て、1970年代に復興しました。焼き締めによる灰黒色の風合いが魅力です。
 工房の停電が解消したのは2月終わりになってから。篠原さんがブレーカーを上げると、自然にろくろが回り始めたといいます。「スイッチを切らずに外へ出たままになっていたんだね。止まっていた時間が動きだしたようで、ちょっと感動したな」
 窯は再び倒壊した篠原さんですが、「実は今、わくわくしている」と話します。昨年の地震後、窯の再建に多くの人々が力を貸してくれた日々があったから。
 人づてや交流サイト(SNS)で集ったのべ70人ほどがレンガを手積みし、合間に篠原さんの器を使うレストランのシェフが料理を振る舞う。「あの日々をもう一度味わえるのかと思うと、やるぞという気持ちになる」と笑うのです。
◆小さな「ユートピア
 珠洲市と隣接の能登町にある20の窯元はすべて被災。篠原さんら作家の多くは、遠方に避難しながら地元での再建を目指しています。3~5日は金沢市内で、30人の作家が割れずに残った作品1200点を販売する展示会を開き、復興へ一歩を踏み出します。
 篠原さんの話で思い出したのは、米国のノンフィクション作家レベッカ・ソルニットさんの著書「災害ユートピア」でした。地震、ハリケーン、テロ…。ソルニットさんは、過去の災害の悲惨な状況の中で、市民が立場を超えて助け合う無数の実例を挙げ、そこに生まれる「喜び」の感情について繰り返し強調しています。
 篠原さんは「助ける側」と「助けられる側」という線引きを感じるからと、「ボランティア」という言葉を使いません。言葉はどうあれ、支援の原点にあるのは、手を差し伸べる側、差し伸べられる側の双方をつなぐ豊かな感情ではないかと、考えさせられます。
 この連休、被災地には不足が指摘されていたボランティアが、大勢入っています。漆黒の地球儀に浮かぶ細かな金の光のように、小さくとも喜びのある「ユートピア」がたくさん生まれてほしいと願います。