天皇陛下即位5年、国民と心通わせる道探し(2024年5月1日『産経新聞』-「産経抄」)

キャプチャ
令和3年の新年のビデオメッセージでお言葉を述べられる天皇陛下と皇后さま(宮内庁提供)
 
 天子直筆の文書は「宸翰(しんかん)」あるいは「宸筆(しんぴつ)」と呼ばれる。歴代天皇は、国土が天災や疫病などに見舞われる度、自ら写経を行うことで平癒を祈った。京都・醍醐(だいご)寺には後奈良天皇宸筆の般若心経(重要文化財)が納められている。
▼「民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている」。奥書には、そのような趣旨の苦悩がつづられていた。皇太子時代の平成29年秋、たっての希望で同寺を訪問した天皇陛下は、その一文を何度も読み返されていたそうである。
▼宸翰の教えについて、後にこう述べられた。「天皇としての責務を果たしていく上での、道標の一つとして大切にしたい」。令和2年から3年余り続いた新型コロナウイルス禍では、皇后陛下とオンラインで重要行事に参加され、国民との交流に心を砕かれたお姿が印象に強い。
天皇陛下はきょう、即位から5年をお迎えになった。宮中祭祀(さいし)を執り行うことで国家の安寧と国民の幸せを祈り、公務を通して国民に寄り添われる。そのお姿に、あすへの道標を見た人も多いだろう。「道」は陛下にとってのキーワードでもある。
▼幼い頃、赤坂御用地内で「奥州街道」と書かれた標識を見つけられた。古い地図などから、鎌倉時代の街道が御用地内を通っていたことが分かったという。「道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていた」とお書きになっている(『テムズとともに』)。
▼<一本の杭に記されし道の名に我学問の道ははじまる>。皇太子時代の平成10年、陛下は歌会始でそんな一首を詠まれてもいた。祈りと、寄り添いと。希望や不安が行き交う世相にあって、国民と心を通わせる道を、これからもお探しになり続けるのだろう。