いじめに耐えかね、すべてを断ち切りたいと思った中学時代…サヘル・ローズさんを救った養母の言葉(2024年4月26日『読売新聞』)

出身で、8歳の時に養母とともに来日したサヘル・ローズさん(38)。小学校卒業後は都内の中学校に進んだが、そこではつらい日々が待っていた。(読売中高生新聞編集室 塩島祐子)

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サヘル・ローズさん
サヘル・ローズさん
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「サヘル菌」と呼ばれて

 「人種や文化の違い、母子の貧困家庭であることなど、さまざまな理由でいじめに  いました。同級生に無視されたり、ボロボロになっても大事に使っていた 上履うわば きを投げ捨てられたり…。『サヘル菌』と言われ、バイ菌扱いされたこともあります。先生に相談しても真剣に向き合ってもらえず、『頑張ろうね』と言われるだけで…。どんどん心が追い詰められていきました。

 養母のフローラには、いじめられていることは言えませんでした。心配をかけたくなかったし、自分で何とかしなきゃという気持ちがあったんです。学校から家までは、つらくて悔しくて泣きながら帰るのですが、自宅の玄関前についたら気持ちを切り替えていました。母の前では笑顔でいると心に決めて、学校生活が楽しいフリをしていたんです。

 成績が悪かったのも隠していました。言葉の壁で授業についていけない部分もあり、成績表は5段階評価で1ばかり。でも、母には『1が一番良い成績』とウソをついて、ごまかしていました。成績が良くて、友だちもたくさんいる“優等生のサヘル”を演じていたんです」

いじめに耐え続けた中学生活。3年の時に、ついに限界が訪れた。

 「いじめはどんどんエスカレートして、私は自殺を考えるようになりました。当時の私は『頑張ろうね』ではなく、『もう頑張らなくていいよ。立ち止まって休んでいいよ』と言ってほしかった。でも、助けてくれる人はいなかった。

中学時代、同じクラスの女子たちと ※本人提供。一部を修整しています
中学時代、同じクラスの女子たちと ※本人提供。一部を修整しています

 中3のある日、本当に死のうと思い、学校を早退して自宅に帰ったんです。すると、仕事に行っているはずの母が、なぜか家にいました。母は泣いていて、『疲れちゃった』とつぶやきました。母が弱音を  くところを見たのは初めてでした。

 私がそうだったように、母も無理をして、私のために頑張ってくれていた。私も『死にたい』と本音を打ち明けました。そうしたら、『いいよ。でも、お母さんも一緒に連れて行って。サヘルがいない人生は、私にとって意味がない』と言うのです」

  その一言がサヘルさんの人生を変えた。

 「改めて、母のあふれんばかりの愛情を感じました。母を抱きしめると、骨と皮しか感じられないほどに  せていました。自分の身を けず って私のことを育ててきてくれた。この母が幸せになるところを見たい。いや、私が恩返しをして、幸せにしてあげなければいけないと強く思ったんです。そして、それが私の生きる目標になりました。

中学校の卒業アルバムから 
中学校の卒業アルバムから 

 いま、いじめに遭って苦しんでいる中高生には、『頑張らなくていいよ、つらい時はつらいと言っていいし、泣いていいんだよ』と伝えたいです。決して学校がすべてではないし、いま、一生懸命に頑張っている自分をほめてあげてほしい。自分を否定しないでほしいと思います」

  生きる目標を見つけたサヘルさんは、高校への進学を考えるようになる。

 「母には成績が良くないことも打ち明けました。中卒で働くか、高校に進学するか迷いましたが、最終的には母の勧めもあって進学を選びました。生活は決して楽ではなかったので、学校で作った野菜などを持ち帰れるかもしれないと期待して、東京都立園芸高校の定時制を受験しました。合格できた時は、本当にうれしかった!

 中学校の卒業式は満面の笑みで迎えました。やっと、いじめから解放されると思ったからです。そうして進んだ高校では、思ってもみなかった、かけがえのない出会いに恵まれました」

  (つづく。次は「恩師に救われて」編)

  プロフィル  1985年、イラン生まれ。テレビや映画、舞台などで活躍する傍ら、世界各地の難民居住地を訪問して子どもたちと交流したり、支援物資を届けたりといった活動にも力を入れている。公私にわたる福祉活動が評価され、2020年にはアメリカで人権活動家賞を受賞した。