SNSで広がった「意地悪ベンチ」論争 排除の対象はホームレス?酔っぱらい?それとも…(2024年4月10日『東京新聞』)

 
 東京都新宿区の区立公園のベンチを巡り「意地悪ベンチ」と、交流サイト(SNS)で批判が相次いでいる。区はホームレスの人たちを排除する意図はなく酒盛りや騒音を防ぐため、と説明するが、不安定な形状のベンチは誰にとっても居心地が悪い。人の居場所を失わせるようなベンチやオブジェは、東京で目立つ。公共空間における「排除」の機能を考えた。(曽田晋太郎、中村真暁、森本智之)

◆新宿区長「ユッタリ座れます」と反論に

 「ベンチは約30年前から近隣住民の要望を受けてこの形状になっています」「地元からの苦情はありません」—。新宿区の吉住健一区長は3月28日、自身のX(旧ツイッター)で、区立公園に設置されたアーチ状のベンチが座りにくい「意地悪ベンチ」だ、とするネット記事に対し、記事を引用した上でこう反論した。
「座りにくい」と指摘されるベンチに座り「本も読め、お茶やカップも置けます」とアピールする吉住健一新宿区長のX(旧ツイッター)投稿

「座りにくい」と指摘されるベンチに座り「本も読め、お茶やカップも置けます」とアピールする吉住健一新宿区長のX(旧ツイッター)投稿

 ホームレスを見えない所へと追いやる「排除アート」ではないか、という見方もあったが、吉住区長は「ホームレス対策ではなく住宅地における夜間の騒音防止です」と記した。
 さらには「ユッタリと本も読め、お茶やカップも置けます」と自身が現地でベンチに座る写真を添えて、座り心地をPRする投稿も。「子どもや高齢者が転倒してけがをする恐れがある」「貧血時に寝そべれない」など寄せられた批判には、来たことも使ったこともない人たちによる「非現実的な投稿」と応酬した。

◆新宿区「酔っぱらいの長時間滞留対策」

 にわかにSNSで広がった「意地悪ベンチ」論争。不安定に見えるが、実際はどうか。「こちら特報部」の記者は、JR大久保駅から徒歩5分ほどの公園のベンチに座ってみた。一休みする分には不自由はないが、背もたれがなく座面が硬いので高齢者が長く座るのはつらいかもしれない。
 新宿区みどり公園課によると、設置は1996年。区内には同型ベンチが5公園に14基あるそうだ。なぜこんな形のベンチができたのか。担当者は「大きな繁華街がある新宿ならではの地域特性」と説明する。
 終電をなくすなどした人たちが公園で夜間から早朝にかけて酒盛りをしたり、大きな声で騒いだりする状況があるとし、背もたれがないアーチの形状にしたのは「苦肉の策」という。「酔っぱらいが寝たり、たくさんお酒を並べたりできない工夫で、長時間滞留を抑止するため」と話す。
新宿区立公園のベンチ。アーチ状で、手すりや背もたれはない。夜間や早朝の静かな利用を呼びかける英語表記の看板が近くに立つ

新宿区立公園のベンチ。アーチ状で、手すりや背もたれはない。夜間や早朝の静かな利用を呼びかける英語表記の看板が近くに立つ

 長居させないようにする一方で、遊ぶ子どもを保護者が見守ることも想定し、ベンチ自体は残した。担当者は「ホームレスは多いが、区職員が声かけしたり、支援施設への入居を促したりして粘り強く対応している。行政が意地悪するわけがない」と嘆いた。

◆住民は賛否両論「危ない」「やむを得ない」

 周辺には一軒家のほか、集合住宅が点在し、子どもを乗せて自転車で通る人も多い。近所の女性会社員(25)は「あまり気にしたことはなかったが、座りにくそう。背もたれや手すりがあった方がいい」。通りがかった40代の女性会社員も「転んだら危ない。みんなが安心して座れる形の方がいい」と心配する。
 一方、2歳の子どもを連れた近くの30代の男性会社員は「公園にはよく来るが、子どもも問題なく座れる」と言う。公園向かいで米穀店を営む男性(75)は「夜中に酔っぱらって大声で騒ぐ若者が多く、ホームレスも集まるので、住民が区に要望して今のベンチを作ってもらった。おかげで今は静かになって良かった。ちょっと座りにくいかもしれないけど、地域の治安を考えればやむを得ない」と受け止める。

◆1990年代半ばから目立ちだした「排除アート」

 仕切りが設けられ寝そべることができないベンチ、他にも段差があったり、座面が極端に狭かったり。SNSで「意地悪ベンチ」と検索すると、こんなベンチの画像が次々に出てくる。
 東北大の五十嵐太郎教授(建築史)によると、ベンチを含め、公共空間の利用を物理的に妨げる「排除アート」は、1990年代半ばから目立つようになった。最初期のものとみるのが、東京・新宿駅地下通路からホームレスの人たちを追い出した後、戻って来られないように置かれた円筒形のオブジェ群だ。
ホームレスの人たちが寝起きできないように設けられた渋谷マークシティ前の分離帯の「排除アート」=東京都渋谷区で

ホームレスの人たちが寝起きできないように設けられた渋谷マークシティ前の分離帯の「排除アート」=東京都渋谷区で

 95年に地下鉄サリン事件が起き、都市部の治安対策が強化された時期と重なる。「テロ対策名目で駅のごみ箱が減るなど、日本の中でいろいろな場所や物がつぶされ不寛容になった時代だった」。時は流れ、排除アートは公園や広場などの空間で当たり前に存在するように。五十嵐氏は「誰もが自由に使えるはずの公共空間が特定の層を排除するものに変容した」と指摘する。

◆ホームレスがいなくなっても貧困問題がなくなるわけではない

 2020年、東京・渋谷でホームレスとみられる高齢女性が男に襲われ死亡した事件でも、女性が夜間過ごしていたベンチには仕切りがあり「排除ベンチ」と指摘された。「座面が狭く、そもそも座りにくい。でも同じようなベンチは日本中どこにでもある。ホームレスを排除するという理由は入り口だったが、今では誰にとっても不便で不幸になっている」
手すりで仕切られたベンチ=東京都内で

手すりで仕切られたベンチ=東京都内で

 これは持続可能な開発目標(SDGs)の「誰ひとり取り残さない」という原則にも逆行する。五十嵐氏は今回問題となった新宿のベンチはその典型例として、こう述べる。「誰かを排除するベンチではなく、まさに誰もが座りにくいベンチ。そのことを問題にすべきだ」
 10年前後に東京・渋谷の宮下公園でホームレス追い出しへの抗議運動に携わり、その後も支援に参加する高千穂大の五野井郁夫教授は「行政は彼らが目障りだと思う人々を排除しようとし、そのために排除ベンチをつくる。でも、ホームレスが公園からいなくなっても、貧困問題がなくなるわけではない。ただ問題を見えなくしているだけだ」と批判する。

◆野宿者問題は本来、福祉政策で対応すべき

 過去に排除にあらがった例もある。公共空間の設計やプロデュースを手がける「グランドレベル」の田中元子代表は20年、東京・京橋の複合施設の空間に木製ベンチを設置するにあたり、監修者として携わった。その際、管理者側からホームレスを避けるため仕切りを付けるよう要望が出たが、議論を重ね、仕切りを取り外し可能とする折衷案で落ち着いた。
路上生活者(ホームレス)が寝起きできないように設けられた「排除アート」=東京都品川区のJR大森駅歩道橋下で

路上生活者(ホームレス)が寝起きできないように設けられた「排除アート」=東京都品川区のJR大森駅歩道橋下で

 田中氏は「街に排除アートがあふれる中で、誰でも自由に寝っ転がれるベンチを作りたかった。仕切りがあれば、一般の人も使いにくい。そんなものが増えることに違和感がある」と抵抗の理由を述べた。一方で「酔っぱらってベンチを汚損する人もいる。管理する側はホームレスだけを問題にしているわけではなく、誰もが排除されるリスクがある」と提起した。
 神奈川県平塚市は昨夏、JR平塚駅前のベンチの座面の仕切りを取り外した。働きかけた江口友子市議は「リーマン・ショック後は市内でも野宿者が急増し、野宿者を避けるためベンチを置くことすら慎重だった。だが、市の担当者は今回『いまは市民からクレームもないし、クレームが来たらその時考える』と引き受けてくれた。社会全体が高齢化する中で、弱者の目線へと下がってきているのでは」とみる。「野宿者問題は本来、地道な福祉政策を講じる必要がある。行政は税金を使ってわざわざベンチに仕切りを付けるのではなく、そのためにこそ税金を使うべきだ」

◆デスクメモ

 前任地の川崎でホームレス支援の団体を取材した。橋や道路の下、駅の柱…。雨風をよけ安全な場所を選んでひっそりと暮らす人たちに食べ物やカイロを届け、路上で孤立しないようにと願っていた。行き場がないと思った人に、都会に冷たく光るベンチやオブジェはどう映るだろうか。(恭)