「赤羽のマリア」は91歳…公園で17年暮らしたばあちゃんが、今は路上生活者に弁当を配り続ける(2024年3月26日『東京新聞』)

 
 ばあちゃん、ちゃりさん、くそばばあ—。東京都北区赤羽の女性(91)には、いろいろな呼び方がある。夫に先立たれ、一人息子が自立すると寂しくて、野宿生活を17年。アパートに住む今、公園などで暮らす人たちを「仲間」と呼び、時に弁当を配り、さりげなく支える。だから、こうも呼ばれる。「赤羽のマリア」と。(中村真暁、写真も)

◆誰にもみとられず…死んでいった野宿の人は「仲間」

子ども食堂でおかずを取り分けるばあちゃん(右)と橋本弥寿子さん=東京都北区で

子ども食堂でおかずを取り分けるばあちゃん(右)と橋本弥寿子さん=東京都北区で

 鶏ひき肉を炒(い)り煮する甘塩っぱい香りが漂う、赤羽の雑居ビルの一室。「いらっしゃい」。小柄なばあちゃんが来る人に話しかける。月2回、困窮する人に低額や無償で弁当を提供する「のらねこ子ども食堂 かあさんの夕めし屋」。年金生活の人ら大人も目立つ。
 この日のメニューは葉物野菜を添えた鶏そぼろ丼。近くで野宿の男性(58)が、食べながら「ちゃりさん優しいから、公園で誰にもみとられずに死んでいった野宿の人には、線香と花をあげんだ」と言う。「かわいそうだからな。仲間だからな」と、ばあちゃんがしんみり話す。

◆空き缶を自転車に積んで売るから「ちゃりさん」

 埼玉県出身。結婚して赤羽に住み、50代で病の夫を亡くした。一人息子が高卒後に家を出ると、アパートで独り過ごす寂しさに耐えられず、1992年ごろから公園で暮らすようになった。集めた空き缶を売り、生活費を賄った。「ちゃりさん」と呼ばれるのは、缶を自転車に積んでいたから。
 野宿生活をやめたのは2009年ごろ。人の勧めで生活保護を利用し、再び赤羽でアパート暮らしを始めた。おにぎりや、筋子とご飯だけの弁当を作っては、仲間たちに配った。ビルの間や公園の茂み、終電後の駅などを回った。
野宿の「仲間」に配るため、子ども食堂で受け取った弁当を運ぶばあちゃん=東京都北区で

野宿の「仲間」に配るため、子ども食堂で受け取った弁当を運ぶばあちゃん=東京都北区で

 当時、近所で橋本弥寿子(やすこ)さん(71)が営む食堂に顔を出すようになった。たまには公園で暮らす仲間たちを連れて。ばあちゃんと仲良くなった橋本さんは一緒に街へ。そして「景色に溶け込んで気づけなかった野宿の人らが、私たちと同じ一人の人として見えてきた」。2人は知人と共に19年から月1度、夜のおにぎり配りを始めた。

◆「一戦交えるが、面倒見がいい」

 生活困窮者が増えた新型コロナウイルス禍の21年正月、男性が公園で亡くなった。「おにぎりだけじゃ、救えない」。食堂の閉店時間を早めて受け取った都の感染対策の協力金を基に、毎日無償で弁当を配った。
 食堂は昨年閉まったが、その後場所を変えて子ども食堂で復活した。ばあちゃんは今も来る。「手伝えよ」。利用者にぶっきらぼうに声をかけ「くそばばあ」「うるさいばばあ」と呼ばれることも。「一戦交えるが、面倒見がいい」と、ある利用者は言う。
 外が暗くなった。ばあちゃんは鶏そぼろ丼をいくつか詰めた袋を手押し車に載せ、食堂を後にした。「あした、仲間に配るんだ」

 都内の路上生活者 厚生労働省が毎年1月に実施している目視調査では2023年、都内の公園や河川、道路、駅施設などで暮らす人は661人だった。都道府県別では大阪府の888人に次いで2番目に多い。調査で確認される数は減少傾向で、都内では10年前の約3分の1。02年施行の「ホームレス自立支援法」で自治体が自立支援施設への移行を勧めるなどして減ったとされる。