◆学芸員として戦争展示を企画、ライフワークに
「戦争を二度と繰り返さないと発信するのが役割だ」。博物館が戦争を展示することの意味をこう説明する山辺さん。満州事変から日中戦争、太平洋戦争終結までの「15年戦争」についてどんな展示をしているか、平和問題を専門とする博物館のほか、自治体などが設置する地域の歴史博物館、大学などが運営する博物館を対象に調査してきた。
大学時代に近現代史を学んだ。1983年に東京都豊島区の学芸員として採用され、翌年に開館した区立郷土資料館の開館準備室担当として活動。85年の戦後40年の特別展示の企画にかかわった。「戦争を否定し、その問題点を伝えることを意識した」と当時を振り返る。以降、約40年にわたって博物館による戦争展示を見続けてきた。
「戦後30年は、戦争を振り返る展示は限定的だった。本格的に戦後を振り返るようになったのが戦後40年前後だ」。冷戦激化と米ソによる核兵器開発競争への危機感から、日本各地で反核・平和運動の高まりとともに戦争関連展示や平和をテーマにした博物館が増加した時期だったという。
90年に立命館大に移り、国際平和ミュージアム(京都市、92年開館)の設立準備室に携わった。大学が設置した世界で初めての平和博物館。「それまで京都で戦争展を企画し、自力で博物館を作ろうとしていた地域の市民の思いと大学の『平和と民主主義』の理念が合わさってできたものだ」と説明する。
◆加害の側面に触れる展示に反発強まった戦後50年
戦後50年の95年は130を超える地域の博物館で、戦争関連の特別展が開かれたという。「戦争での日本の加害の側面も展示する努力があった」。ただ反動で、加害展示は右翼団体などから攻撃の対象に。その後の平和博物館の建設中止につながるなどの影響が出た。東京都も東京空襲の資料を展示し、犠牲者を追悼する「仮称・平和祈念館」を建設する構想があったが、加害に触れる展示内容に「自虐的だ」との反発があり、財政難を理由に計画は凍結された。
このため、90年代に収録された戦争体験者の証言ビデオが死蔵され、今年になってようやく公開された。「加害を取り上げて攻撃されたくないと、東京都が後ろ向きな判断をした結果、証言ビデオも封印されることになった」と都の判断を批判する。
◆地域博物館で展示が大きく減った戦後60年
2005年の戦後60年は、地域博物館での戦争展示が大きく減少。「規模も縮小し、加害展示は後退した」という。06年から19年までは、東京大空襲・戦災資料センターで学芸員を務めた。同センターは、都の計画凍結を受けて民間の政治経済研究所が02年に開設したものだ。
自ら博物館で戦争展示にかかわるだけでなく、この40年で全国各地の博物館でどのような戦争展示をしてきたかを調査。100ページを超えるリストを作成して著書の巻末に掲載した。
◆戦後80年へ、AI活用した再現・証言のデータ化進む
戦後70年は、戦後50年を超える約260の博物館で企画展や特別展が行われた。人工知能(AI)を活用して、当時の様子を再現した画像や証言のデータ化も進む。来年は戦後80年。戦争展示はどうあるべきか。「当事者がいなくなる中、後世に残さなければという危機感が強まっている。一方で内容が事実に即しているか、検証がこれまで以上に問われてくる」