博物館が伝える「戦争」とは?研究者に聞いた 過去40年間の変化、「戦後80年」で求められること(2024年4月8日『東京新聞』)

 
 平和問題を題材とした日本各地の「平和博物館」について研究してきた公益財団法人「政治経済研究所」主任研究員の山辺昌彦さん(78)。これまで書いた論文などをまとめた著作「15年戦争展示にみる平和博物館の経緯と課題」(アテネ出版社)を出版した。まもなく戦後80年。戦争の実相を後世に伝えることへの思いを聞いた。(山田祐一郎)

学芸員として戦争展示を企画、ライフワークに

 「戦争を二度と繰り返さないと発信するのが役割だ」。博物館が戦争を展示することの意味をこう説明する山辺さん。満州事変から日中戦争、太平洋戦争終結までの「15年戦争」についてどんな展示をしているか、平和問題を専門とする博物館のほか、自治体などが設置する地域の歴史博物館、大学などが運営する博物館を対象に調査してきた。
戦争の実相を伝えることの重要性を語る山辺昌彦さん=東京都千代田区で

戦争の実相を伝えることの重要性を語る山辺昌彦さん=東京都千代田区

 大学時代に近現代史を学んだ。1983年に東京都豊島区の学芸員として採用され、翌年に開館した区立郷土資料館の開館準備室担当として活動。85年の戦後40年の特別展示の企画にかかわった。「戦争を否定し、その問題点を伝えることを意識した」と当時を振り返る。以降、約40年にわたって博物館による戦争展示を見続けてきた。

反核平和運動が高まり、施設増えた戦後40年

 「戦後30年は、戦争を振り返る展示は限定的だった。本格的に戦後を振り返るようになったのが戦後40年前後だ」。冷戦激化と米ソによる核兵器開発競争への危機感から、日本各地で反核平和運動の高まりとともに戦争関連展示や平和をテーマにした博物館が増加した時期だったという。
広島市の原爆ドーム(資料写真)

広島市原爆ドーム(資料写真)

 90年に立命館大に移り、国際平和ミュージアム京都市、92年開館)の設立準備室に携わった。大学が設置した世界で初めての平和博物館。「それまで京都で戦争展を企画し、自力で博物館を作ろうとしていた地域の市民の思いと大学の『平和と民主主義』の理念が合わさってできたものだ」と説明する。

◆加害の側面に触れる展示に反発強まった戦後50年

 戦後50年の95年は130を超える地域の博物館で、戦争関連の特別展が開かれたという。「戦争での日本の加害の側面も展示する努力があった」。ただ反動で、加害展示は右翼団体などから攻撃の対象に。その後の平和博物館の建設中止につながるなどの影響が出た。東京都も東京空襲の資料を展示し、犠牲者を追悼する「仮称・平和祈念館」を建設する構想があったが、加害に触れる展示内容に「自虐的だ」との反発があり、財政難を理由に計画は凍結された。
2月、都内で開かれた東京空襲資料展でようやく公開された証言ビデオ

2月、都内で開かれた東京空襲資料展でようやく公開された証言ビデオ

 このため、90年代に収録された戦争体験者の証言ビデオが死蔵され、今年になってようやく公開された。「加害を取り上げて攻撃されたくないと、東京都が後ろ向きな判断をした結果、証言ビデオも封印されることになった」と都の判断を批判する。

◆地域博物館で展示が大きく減った戦後60年

 2005年の戦後60年は、地域博物館での戦争展示が大きく減少。「規模も縮小し、加害展示は後退した」という。06年から19年までは、東京大空襲・戦災資料センターで学芸員を務めた。同センターは、都の計画凍結を受けて民間の政治経済研究所が02年に開設したものだ。
 自ら博物館で戦争展示にかかわるだけでなく、この40年で全国各地の博物館でどのような戦争展示をしてきたかを調査。100ページを超えるリストを作成して著書の巻末に掲載した。

◆戦後80年へ、AI活用した再現・証言のデータ化進む

 戦後70年は、戦後50年を超える約260の博物館で企画展や特別展が行われた。人工知能(AI)を活用して、当時の様子を再現した画像や証言のデータ化も進む。来年は戦後80年。戦争展示はどうあるべきか。「当事者がいなくなる中、後世に残さなければという危機感が強まっている。一方で内容が事実に即しているか、検証がこれまで以上に問われてくる」