被災地が「全ての力を奮い起こせる」よう、手を差し伸べたい(2024年4月6日『山形新聞』-「談話室」)
▼▽約20年前、山形市中央公民館で見た映画の記憶がよみがえる。終盤、手紙が読み上げられるシーンで客席は涙に包まれた。2003年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で優秀賞を獲得した、呉乙峰監督の「生命(いのち)」だ。
▼▽1999年に起きた台湾大地震の被災者を3年かけて追った。幼子を失った夫婦や、家族7人が帰らぬ人になった若者たちが登場する。塗炭の苦しみを背負い、生きるすべを見失いながらも、新たな道を歩む。それぞれが、亡くした肉親に向けて手紙を書く形で再生を誓う。
▼▽呉監督は、こんな言葉を作品に寄せた。「人は不合理にも打開不可能な状況に身を置くことがあるが、その状況と闘うべく全ての力を奮い起こしたとき、それが突然、煙のように消えていくこともある」。カメラはその奇跡を確かに捉えていた。故に、心に刺さるのだろう。
▼▽東日本大震災が起きた11年の山形映画祭にも呉監督は参加し、「生命」は再上映された。台湾は本県を含め、日本との結び付きが強い。能登半島地震にも心ある善意を寄せている。彼(か)の地がまた激しく揺れた。被災地が「全ての力を奮い起こせる」よう、手を差し伸べたい。
台湾地震 助け合いの輪を広げたい(2024年4月6日『新潟日報』-「社説」)
生存率が大幅に下がるという地震の発生から72時間になる。いまなお連絡の取れない人がいる。台湾政府には、救出に全力を挙げてもらいたい。
日本は過去の災害時には台湾から支援を受けてきた。台湾で苦しんでいる被災者に十分な援助を行い、助け合いたい。
台湾で3日朝、東部沖を震源とする大きな地震が発生し、最大震度6強を観測した。日本の気象庁は、地震規模をマグニチュード(M)7・7と推定した。
台湾当局によると、5日までに10人以上が死亡し、約1100人が負傷した。
最も揺れが大きかった花蓮では複数の建物が倒壊した。マンションの低層階がつぶれて傾き、住民らが閉じ込められ、死者も出た。
山間部では落石や土砂崩れがあった。交通が寸断され、600人以上が孤立している。その大半は、花蓮の観光地、太魯閣(タロコ)国立公園のホテルなどで、多くの外国人観光客も含まれる。
現地では余震が相次ぎ、山間部の救出作業は難航しているという。安全に気を配り作業し、全員救出されることを願う。
今回の地震は、1999年に2400人以上が亡くなった台湾中部で起きた地震以来の大規模なものという。規模や沿岸近くでの発生といった点で能登半島地震に似ているとする指摘が出ている。
台湾の被災地と、能登半島地震の被災地で新たな知見を共有し、未来の備えへの協力を進めたい。
沖縄県与那国島などで最大30センチの津波を観測した。津波警報が出て、能登半島地震の津波が頭をよぎり、避難を急いだ住民もいた。犠牲者が出なかったのは、過去の教訓が生かされた面もあろう。
専門家によると、台湾周辺の地下は二つのプレートがねじれるように沈み込む複雑な構造をしている。付近の海域では過去100年間にM7級の大地震が10回以上起きている。警戒を続けたい。
日本政府は5日、100万ドル(約1億5100万円)規模の緊急無償支援を行うと発表した。電気や水道などインフラの被害も大きい。復旧などに生かしてほしい。
今後も日本政府は、現地のニーズに応じた支援に努めるべきだ。
台湾は2011年の東日本大震災の際に国・地域別で最大規模の義援金200億円超を日本に贈った。元日に起きた能登半島地震では台湾政府が民間から募った寄付金が早々に25億円以上集まった。
本県も04年の中越地震などの際に台湾から支援を受けている。新潟空港とは空路で結ばれ、親しみを持つ県民も多い。
5日、台湾出身選手がいるオイシックス新潟アルビレックスBCのメンバーらが、台湾の被災者支援の募金を呼びかけた。
本県でも助け合いの輪を広げ、台湾との絆を一層深めたい。
【台湾地震】日本の支援も力になる(2024年4月6日『高知新聞』-「社説」)
台湾を3日に襲った大規模な地震は、多数の死傷者が確認され、なお連絡が取れなかったり取り残されたりした人もいると伝えられる。被害軽減や生活支援、速やかな復旧・復興が求められる中、友好関係にある日本もできる限り支えたい。
地震は台湾東部沖を震源とし、日本の気象庁の推定でマグニチュード(M)7・7とされる。震度6強と最も揺れの大きかった中部の花蓮市などで被害が大きく、犠牲者は10人を超え、千人以上が負傷した。
揺れで大きく傾いたり倒壊したりした高層建築物や、山肌が崩れ落ちる様子を報じた現地映像が、地震の怖さを物語る。台湾では、死者2400人超、負傷者1万人超を出した1999年の中部地震以来の規模になるという。
台湾は、西のユーラシアプレートと東のフィリピン海プレートがぶつかる位置にあり、日本同様に地震多発地帯だ。99年の地震を機に、建物の耐震基準の見直しなど地震対策は強化された。ただ、古い建物の更新は遅れ、違法建築も絶えないなど備えが進んでいたとはいえず、被害が広がった可能性も否定できない。
震源周辺の地下はプレートが重なる複雑な地下構造で、今後も大地震が続く恐れも指摘される。台湾当局は、抜本的な防災対策の強化を改めて迫られる。
日本は台湾と正式な外交関係はないが、過去の地震発生時には支え合ってきた経過がある。
台湾の99年の地震に対し日本は救助隊をいち早く派遣。阪神大震災を教訓にした災害医療、消防のノウハウや仮設住宅を提供した。2011年の東日本大震災では台湾からの義援金が約200億円もの巨額に達し、その厚意が被災者を勇気づけた。
1月の能登半島地震でも25億円の義援金が石川県に寄せられた。こうした関係の積み重ねから今回、日本側の交流サイト(SNS)には、台湾支援の呼び掛けが多数書き込まれるなど機運が高まっている。
政府は、要請に応じて支援を行う考えを示す。台湾の対日感情を踏まえれば、日本からの応援が被災地の力になるのは間違いない。良好な関係を深めていけば、災害時の相互支援にとどまらない双方の利益にもつながるだろう。
台湾統一へ圧力をかける中国は、被災地へ「お見舞いを申し上げる」とし、救援の意向を示した。しかし台湾側は申し出を断ったという。緊張は高まるのか緩むのか、中台関係に及ぼす影響も注目される。
今回の地震で気象庁は沖縄本島地方などに一時、津波警報を出した。被害はなかったが、交通や住民生活が混乱して影響が出た。専門家は「M7級は津波を引き起こす十分な規模」とする。沖縄県付近は歴史的にも津波被災を繰り返してきている。防災意識を再確認したい。
南海トラフ巨大地震の被災が予想される本県などの地域も、対岸の火事と無関心でいられない。揺れの対応も含めて、自分事として捉えることができるかが問われる。
台湾への恩返しを(2024年4月6日『佐賀新聞』-「有明抄」)
台湾にある「烏山頭(うさんとう)ダム」は「八田(はった)ダム」とも呼ばれる。日本が台湾を統治していた時代に10年かけて造られた
◆建設を主導したのが日本人技師の八田與一(1886~1942年)。工事は難航し1922年、ガス爆発事故で死者が出た。八田は遺族に謝罪しながらも、台湾の人の暮らしを豊かにするからと工事の継続をお願いした
◆だが翌年、日本で関東大震災が発生。予算削減で人員整理を余儀なくされる。八田は仕事ができる人を解雇し、できない人を残した。「仕事のできる人は次の仕事を見つけられるかもしれないが、できない人を解雇したら路頭に迷うだろう」との温情。そして台湾中を駆け回り、辞めていく人に次の仕事をあっせんした。日本が震災から復興し、予算が戻ると解雇した人を呼び戻した
◆親日家として知られ、4年前に死去した李登輝(りとうき)元総統は、八田の功績を「日本精神を伝えてくれたこと」と語る。日本精神とは「みんなの幸せを考えて痛みを分かち合うこと」。(白駒妃登美=しらこまひとみ=『誰も知らない偉人伝』)
◆八田のような貢献もあり、日本に感謝している台湾の人がいる。だから東日本大震災の際、200億円もの浄財が台湾から寄せられた。今度は日本が恩返しする番。台湾で3日、大地震が起きた。できることを考えたい。日本精神は受け継がれているはずだ。(義)