◆シメは一口雑炊、常連客もにっこり
「待ってたよ」「続くことになって安心した」「変わらずおいしい」―。だしの深い味わいを楽しめる「一口雑炊」に、戻ってきた常連客の顔がほころぶ。
「雑炊の分はおなかを空けておいてもらうんです」と依田さん。流行の土鍋ご飯も提供しつつ、コースの締めは雑炊という伝統を守る。前の店にはなかったカウンター席の新設も計画中。先代たちが築いてきた礎の上に、新しさを重ねる。
先代の田村さんはNHK「きょうの料理」への出演や料理本の執筆など、日本料理の第一人者として活躍。だが20年12月、急性心不全で63歳で亡くなった。当時はコロナ禍で来店客が激減していたが、おせち料理の注文が多く入っていた。
おかみで田村さんの妻の文子(ふみこ)さん(64)はパニックに陥った。翌年1月中旬から休業。「閉店」の文字が脳裏をよぎる。店を守ったのが、若おかみの長女潤子さん(38)と、その夫の依田さんだった。
依田さんは、コンビニ大手セブンーイレブン・ジャパンで勤務後、29歳で結婚を機に料理の世界へ飛び込んだ。学生時代に飲食店でアルバイトした経験はあるが、料理は素人。日本橋の料理店で1年修業した後、田村さんが亡くなるまでの8年間、後継ぎとして技術や考え方を学んだ。
◆「自分がおいしいと思った味を、胸を張って出しなさい」
休業中は「つきぢ田村を残すとはどういうことか」を日々考え、「おもてなしのプロ」である3代目の精神を引き継ごうと決めた。腕が鈍らぬよう、21年10月から1年間、田村さんの知人が営む青森県内の料亭で包丁を握った。
「つきぢ田村」の外観=東京都中央区築地で
7階建てのうち5階までが客室だったビルが古くなり、12階建てに建て替えた。店は2階のワンフロア2部屋の個室に絞り、3月1日に再開後は、休業前からの常連客を中心に順調に予約が入る。夜のおまかせコースのみの営業で、客の顔を思い浮かべながら臨機応変にメニューを考える。
文子さんは「次の世代になっていくが、まだまだ笑顔で接客したい」と語り、潤子さんは「プレッシャーもあるが、少しずつやっていきたい」と話す。依田さんの心には「自分がおいしいと思った味を、胸を張って出しなさい」という先代の言葉が刻まれている。