尊富士の新入幕優勝 旋風巻き起こした若い力(2024年3月26日『毎日新聞』-「社説」)

春場所で110年ぶりの新入幕優勝を飾り、賜杯を受け取る尊富士(中央)=エディオンアリーナ大阪で2024年3月24日、北村隆夫撮影

春場所で110年ぶりの新入幕優勝を飾り、賜杯を受け取る尊富士(中央)=エディオンアリーナ大阪で2024年3月24日、毎日新聞北村隆夫撮影

14日目の朝乃山との取組で右足首を痛め、車いすで運ばれる尊富士=エディオンアリーナ大阪で2024年3月23日(代表撮影)

14日目の朝乃山との取組で右足首を痛め、車いすで運ばれる尊富士=エディオンアリーナ大阪で2024年3月23日(代表撮影)

尊富士の新入幕優勝 旋風巻き起こした若い力(2024年3月26日『毎日新聞』-「社説」)

 大いちょうも結えない若い力士の歴史的な快挙である。

 大相撲春場所で入門10場所の24歳、尊(たける)富士(ふじ)が110年ぶりの新入幕優勝を飾った。1914年に当時22歳の両国が果たして以来だ。

 前頭17枚目の幕尻力士が快進撃を続けた。新入幕初日から11連勝し、「昭和の大横綱大鵬の記録と並んだ。終盤に2敗したものの、粘り強く戦った。

 14日目の取組では窮地に追い込まれた。朝乃山に寄り切られた際、右足首を痛め、病院に救急搬送された。

 千秋楽は出場が危ぶまれたが、負傷箇所をテーピングで固めて土俵に上がり、気迫のこもった相撲で豪ノ山を破った。

 青森県五所川原市の出身で、アマチュアの強豪だった祖父の影響で相撲を始めた。県内の中学卒業後、名門の鳥取城北高を経て日本大に進んだが、学生時代はケガが多く、目立ったタイトルは獲得できなかった。

 2022年に入門した伊勢ケ浜部屋には、横綱照ノ富士のほか、熱海富士や翠富士(みどりふじ)、錦富士ら有力力士がひしめいている。厳しい稽古(けいこ)を積んで力をつけ、今場所は筋肉質の体から繰り出す力強い攻めで相手を翻弄(ほんろう)した。

 青森といえば、数々の名力士を生んだ相撲どころでもある。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)も郷土を代表する一人だ。

10日目の取組で大の里(右)を攻める尊富士=エディオンアリーナ大阪で2024年3月19日、久保玲撮影
10日目の取組で大の里(右)を攻める尊富士=エディオンアリーナ大阪で2024年3月19日、久保玲撮影

 しかし、最近は少子化に伴う競技人口の減少や、モンゴル勢の台頭もあって、優勝を争うような力士が現れなかった。青森県出身の優勝力士は97年の貴ノ浪が最後だった。それだけに尊富士への地元の期待は大きかった。

 他の部屋からも若手が台頭している。千秋楽まで優勝を争った石川県出身の23歳、二所ノ関部屋の大の里は、まげも結えないざんばら髪だ。

 角界では最近、幕内の北青鵬が暴力問題で引退に追い込まれ、師匠の宮城野親方(元横綱白鵬)も降格処分を受けた。今場所の土俵では横綱大関ら上位陣が精彩を欠いた。

 尊富士は「記録ではなく、記憶に残る力士を目指す」と繰り返す。ファンあっての大相撲である。若い力士らが切磋琢磨(せっさたくま)を重ね、角界に新風を吹き込んでほしい。

 

「殿さまのふんどしでとるいい角力…(2024年3月26日『毎日新聞』-「余録」)

 

新入幕での優勝から一夜明けの記者会見を終え、「記録より記憶」と書いた色紙を持つ尊富士=大阪市東成区で2024年3月25日午前10時57分、北村隆夫撮影

新入幕での優勝から一夜明けの記者会見を終え、「記録より記憶」と書いた色紙を持つ尊富士=大阪市東成区で2024年3月25日午前10時57分、北村隆夫撮影

尊富士の優勝が決まった瞬間、歓喜する市民ら=青森県五所川原市役所で2024年3月24日午後4時20分、近藤卓資撮影
尊富士の優勝が決まった瞬間、歓喜する市民ら=青森県五所川原市役所で2024年3月24日午後4時20分、近藤卓資撮影

 「殿さまのふんどしでとるいい角力(すもう)」。江戸時代には大名が郷土出身者や強豪をお抱えにしてその強さを競った。松江の雷電、仙台の谷風。弘前藩のお抱え力士として名を残すのが大関柏戸利助である

▲今の青森県五所川原市出身。19世紀初めの文化文政期に11場所連続優勝を果たした。横綱の称号を授与されたが、辞退したといわれる。引退後に伊勢ノ海を継ぎ、市内に「伊勢海利助」の追慕碑が建つ

▲全国最多の関取を輩出してきた「相撲王国」青森の強さを広めた先駆け。子どもの頃から草相撲で知られたらしい。弘前藩は毎年、領内数カ所に若者を集めて相撲大会を開き、育成に力を入れていたという

春場所で記録ずくめの同郷の尊富士(たけるふじ)が110年ぶりの新入幕初優勝を果たした。祖父がアマチュア相撲でならし、保育園の頃から道場で鍛えられたというのは伝統県ならでは。出身力士の優勝は27年ぶりというから地元が熱狂するのも当然だ

▲新入幕11連勝で並んだ昭和の大横綱大鵬の印象を問われ「(同学年で幕内の)王鵬のおじいちゃん」と答える世代だ。ケガを押して気迫で勝利した千秋楽の相撲も「記憶に残りたい」という意思があってこそだろう

▲ざんばら髪の大の里とともに大いちょうを結えない力士が盛り上げた場所は新鮮だった。だが、立ちはだかる「壁」の不在は寂しい。津軽鉄道の「走れメロス」号の化粧まわしを具現化したような「電車道」の相撲と同様に出世街道を駆け上がるのか。上位陣の奮起も見たい。

 

尊富士と大の里 「電車道」の土俵人生を(2024年3月26日『東京新聞』-「社説」)

 

 

 記録ずくめ、異例ずくめの15日間だった。大相撲の春場所で24歳の尊富士が110年ぶりの新入幕優勝を果たした=写真。最後まで賜杯を争ったのは23歳で幕内2場所目の大の里だ。片や大銀杏(おおいちょう)を結えぬちょんまげ姿、片やちょんまげより前のざんばら髪の2人が歴史的な熱闘で、大相撲の魅力と面白さを再確認させてくれた。
 尊富士は相撲どころの青森県五所川原市出身。特長は何といっても鋭い出足からの速攻だ。幕内平均体重より15キロ以上軽い143キロながら、立ち合いから一気に前に出る「電車道」の攻めで白星を重ねた。14日目に右足を痛めて出場が危ぶまれたが、千秋楽はけがを押して土俵へ。最後まで取り切る精神力で賜杯をもぎとった。
 初土俵から10場所目での優勝は史上最速。大銀杏を結えない力士の優勝は初めてという。殊勲、敢闘、技能の三賞も総なめ。まさに「荒れる春場所」の主役だった。
 初土俵から6場所目だった大の里も土俵を沸かせた。192センチ、183キロと恵まれた体格と馬力を生かした相撲で、新入幕だった先場所に続いて2桁勝利。石川県津幡町出身で、2月には能登半島地震の被災地を訪れた。堂々たる取り口は、今も同県内灘町の避難所にいる祖父をはじめ多くの人を勇気づけたに違いない。
 2人に共通するのは、自分の相撲を貫こうとする姿勢だろう。小細工せず、真っ向勝負。それが余計な迷いを払って、快進撃につながっているのではないか。
 気になるのはやはり尊富士のけがの状態だ。今場所の横綱大関ら上位陣が振るわなかったのも、度重なる故障で状態が万全でないことが要因の一つ。所属する伊勢ケ浜部屋には両膝の故障で序二段まで陥落しながら横綱昇進を果たした照ノ富士がいるが、一つのけがが致命傷となる例も多い。復帰には慎重を期してもらいたい。
 若い力の活躍は他の力士にも大きな刺激になっただろう。2人には早くも将来の綱とりを期待する声が聞こえるが、大事なのは、目の前の一番に集中すること。今後も「電車道」のごとく、真っすぐ土俵人生を進んでほしい。