大いちょうも結えない若い力士の歴史的な快挙である。
大相撲春場所で入門10場所の24歳、尊(たける)富士(ふじ)が110年ぶりの新入幕優勝を飾った。1914年に当時22歳の両国が果たして以来だ。
前頭17枚目の幕尻力士が快進撃を続けた。新入幕初日から11連勝し、「昭和の大横綱」大鵬の記録と並んだ。終盤に2敗したものの、粘り強く戦った。
14日目の取組では窮地に追い込まれた。朝乃山に寄り切られた際、右足首を痛め、病院に救急搬送された。
千秋楽は出場が危ぶまれたが、負傷箇所をテーピングで固めて土俵に上がり、気迫のこもった相撲で豪ノ山を破った。
青森県五所川原市の出身で、アマチュアの強豪だった祖父の影響で相撲を始めた。県内の中学卒業後、名門の鳥取城北高を経て日本大に進んだが、学生時代はケガが多く、目立ったタイトルは獲得できなかった。
2022年に入門した伊勢ケ浜部屋には、横綱・照ノ富士のほか、熱海富士や翠富士(みどりふじ)、錦富士ら有力力士がひしめいている。厳しい稽古(けいこ)を積んで力をつけ、今場所は筋肉質の体から繰り出す力強い攻めで相手を翻弄(ほんろう)した。
青森といえば、数々の名力士を生んだ相撲どころでもある。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)も郷土を代表する一人だ。
しかし、最近は少子化に伴う競技人口の減少や、モンゴル勢の台頭もあって、優勝を争うような力士が現れなかった。青森県出身の優勝力士は97年の貴ノ浪が最後だった。それだけに尊富士への地元の期待は大きかった。
他の部屋からも若手が台頭している。千秋楽まで優勝を争った石川県出身の23歳、二所ノ関部屋の大の里は、まげも結えないざんばら髪だ。
角界では最近、幕内の北青鵬が暴力問題で引退に追い込まれ、師匠の宮城野親方(元横綱・白鵬)も降格処分を受けた。今場所の土俵では横綱、大関ら上位陣が精彩を欠いた。
尊富士は「記録ではなく、記憶に残る力士を目指す」と繰り返す。ファンあっての大相撲である。若い力士らが切磋琢磨(せっさたくま)を重ね、角界に新風を吹き込んでほしい。
「殿さまのふんどしでとるいい角力…(2024年3月26日『毎日新聞』-「余録」)
「殿さまのふんどしでとるいい角力(すもう)」。江戸時代には大名が郷土出身者や強豪をお抱えにしてその強さを競った。松江の雷電、仙台の谷風。弘前藩のお抱え力士として名を残すのが大関、柏戸利助である
▲今の青森県五所川原市出身。19世紀初めの文化文政期に11場所連続優勝を果たした。横綱の称号を授与されたが、辞退したといわれる。引退後に伊勢ノ海を継ぎ、市内に「伊勢海利助」の追慕碑が建つ
▲全国最多の関取を輩出してきた「相撲王国」青森の強さを広めた先駆け。子どもの頃から草相撲で知られたらしい。弘前藩は毎年、領内数カ所に若者を集めて相撲大会を開き、育成に力を入れていたという
▲春場所で記録ずくめの同郷の尊富士(たけるふじ)が110年ぶりの新入幕初優勝を果たした。祖父がアマチュア相撲でならし、保育園の頃から道場で鍛えられたというのは伝統県ならでは。出身力士の優勝は27年ぶりというから地元が熱狂するのも当然だ
▲新入幕11連勝で並んだ昭和の大横綱、大鵬の印象を問われ「(同学年で幕内の)王鵬のおじいちゃん」と答える世代だ。ケガを押して気迫で勝利した千秋楽の相撲も「記憶に残りたい」という意思があってこそだろう
▲ざんばら髪の大の里とともに大いちょうを結えない力士が盛り上げた場所は新鮮だった。だが、立ちはだかる「壁」の不在は寂しい。津軽鉄道の「走れメロス」号の化粧まわしを具現化したような「電車道」の相撲と同様に出世街道を駆け上がるのか。上位陣の奮起も見たい。
尊富士と大の里 「電車道」の土俵人生を(2024年3月26日『東京新聞』-「社説」)