尊富士初優勝に関する社説・コラム(2024年3月25日)

勝利し笑顔を見せる尊富士=エディオンアリーナ大阪大阪府立体育会館)(産経新聞斉藤友也撮影)

 

優勝を決めた尊富士と、母親の石岡桃子さん =エディオンアリーナ大阪

 

(2024年3月25日『東奥日報』-「天地人

 

 相撲にけがは付きものというが、力士が取組後に痛めた部位を手で押さえたり、立ち上がれずにいたりするとはらはらするものだ。負傷が回復し元気な相撲を見せてくれれば大喝采。ごひいき力士でもそうでなくてもファン心理は同じだろう。

 2020年8月2日。当時幕尻だった現横綱照ノ富士は7月場所で実に30場所ぶりに賜杯を手にした。両膝のけがと病気に泣いた照ノ富士大関から序二段まで番付が降下。2年半にわたる苦闘を経てこの場所で再入幕、2度目の優勝を決めた。

 相撲担当として東京・両国国技館に詰めており、この感動を味わえた。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士つがる市出身)から優勝旗を受け取った照ノ富士の自信に満ちた立ち居振る舞いが印象深かった。けがを克服し再び栄冠を手にした満足感が国技館を満たしていた。

 110年ぶりの新入幕優勝がかかっていた、きのうの大相撲春場所14日目。賜杯争い単独トップの新入幕・尊富士(五所川原市出身)は2敗目を喫し、優勝の期待はきょうの千秋楽へ持ち越しに。取組後に右足を引きずり車いすで退場した。ひどいけがなのか。心配が募る。

 今場所、途中休場となった照ノ富士は4年前の2度目の優勝後に「笑える日が来た」と喜びを口にした。尊富士はどうだろう。初優勝の思いを笑顔で語ってほしい。多くの県民が祈っている。

 

(2024年3月25日『秋田魁新報』-「北斗星」)

 

 荒れる春場所―。そんな言葉通り、大相撲はまげを満足に結えないほど入幕からまだ日が浅い平幕2人の賜杯争いから目が離せない展開だった。尊富士(たけるふじ)関が千秋楽に堂々の押し倒しで勝ち、新入幕優勝を果たした。1914(大正3)年夏場所の両国以来、110年ぶりとなる快挙である

▼昭和の大横綱大鵬の新入幕力士の連勝記録11に並びながら、大鵬超えはかなわなかった。しかし大鵬ですらできなかった新入幕での優勝を成し遂げ、土俵を大歓声の渦に包んだ。恐るべき新鋭といわなくてはならないだろう

▼大正時代に新入幕優勝の両国は本県出身。江戸時代から続く由緒あるしこ名で、その5代目だ。現在の大仙市に生まれ、横手市で育った。最高位は関脇。技能派として角界を沸かせた人気力士の一人だった

▼当時の相撲には「引き分け」「預かり」「休み」があり、同じ星なら上位力士が優勝。この時は優勝を争った横綱太刀山に物言いで協議中の「預かり」があって星半分の差で両国が優勝したという(「秋田の力士たち」秋田魁新報社刊)

大鵬は夫人が秋田市出身で、前頭上位の王鵬関は孫に当たるため応援する県民が少なくない。春場所で話題となった二つの記録を持つ力士2人がそろって本県とゆかりが深いというのも不思議なことだ

▼尊富士関が大鵬を「王鵬のおじいちゃん」と呼ぶのはいかにも現代っ子らしい。来場所も土俵の上で、縦横に活躍をしてもらいたい伸び盛りの若手力士である。

 

(2024年3月25日『山形新聞』-「談話室」)

 

▼▽まげ先がイチョウの葉に似ることに由来する。力士の象徴、大銀杏(おおいちょう)である。結えるのは十両以上。髪の成長より出世が早いと髪形が追い付かない。大相撲春場所はそんな成長株の2人、尊富士と大の里が賜杯を争った。

▼▽14日目の取組で右足首を負傷し、千秋楽の出場が危ぶまれた尊富士が自らの白星で優勝を決めた。新入幕力士として110年ぶりの快挙を成した。前夜、伊勢ケ浜親方から「出るのをやめておけ」と言われたが「一生悔いが残る」と直訴し、最後の一番に気力を振り絞った。

▼▽初土俵から所要10場所での制覇は史上最速。周囲の関心は記録に向くが本人はインタビューで「皆さんの記憶に残りたかった」と答えた。言葉通りファンの心に刻まれよう。一方、賜杯は逃したが大の里の健闘ぶりも光った。能登半島地震に遭った故郷石川県を勇気づけた。

▼▽角界に風を起こす若い力の存在が春場所を盛り上げた。多くの県民が注目した新大関琴ノ若は、師匠であり父のしこ名で挑む“最後の場所”と意気込んだが初Vには届かなかった。5月の夏場所に合わせ襲名予定の「琴桜」として新鋭の壁になることが大願成就に繋(つな)がる。

 

尊富士初優勝 気迫の若武者が歴史的な快挙(2024年3月25日『読売新聞』-「社説」

 長い大相撲の歴史に、24歳の若武者が新たな金字塔を打ち立てた。スピードを生かした押し相撲で土俵を沸かせ、けがを乗り越えて成し遂げた偉業に、大きな拍手を送りたい。

 大相撲春場所で、新入幕の東前頭17枚目、尊富士が豪ノ山を破り、13勝2敗で初優勝を飾った。新入幕力士の優勝は、1914年夏場所の元関脇両国以来、110年ぶり2度目の快挙だという。

 初土俵から10場所目での優勝は史上最速で、殊勲、敢闘、技能の三賞もすべて受賞した。春場所は「荒れる」と言われるが、それにしても記録ずくめである。久しぶりに大相撲の魅力を堪能したファンも多かったのではないか。

 青森県出身で、アマ強豪の鳥取城北高校、日本大学を経て角界入りし、2022年秋場所初土俵を踏んだ。身長1メートル84、体重は幕内平均より15キロ以上軽い143キロだが、切れ味鋭い立ち合いで相手を圧倒する取り口が持ち味だ。

 22年の九州場所序ノ口優勝、昨年の初場所で序二段優勝を果たし、今年の初場所新十両で迎えると、いきなり十両でも優勝し、今場所での新入幕を決めた。

 今場所は、1敗の単独トップで迎えた14日目に朝乃山に敗れて右脚を痛め、救急車で病院に向かった。千秋楽の出場が危ぶまれたが、けがを押して土俵に立った。

 優勝後のインタビューでは「気力だけで(相撲を)取った」という言葉を残した。強さだけでなく、精神力も見事だった。

 来場所以降は、追われる立場になるだろう。けがを癒やして、さらに精進を重ねてほしい。

 今場所は、一人横綱照ノ富士が途中で休場した。大関陣も本来の実力を発揮できなかった。尊富士の強さが際立ったとはいえ、上位陣にも奮起を期待したい。

 場所前は、元幕内の北青鵬が暴力行為で引退し、宮城野親方(元横綱白鵬)が2階級降格などの処分を受けて、師匠の立場を外れた。不祥事に揺れた角界にとって、尊富士の活躍は、待ち望んでいた明るい話題であろう。

 今場所は、石川県出身で、幕内2場所目の大の里も、千秋楽まで優勝争いを演じた。2月上旬には、能登半島地震の被災地を訪れ、被災者を励ましていた。連日の白星で元気をもらった、という人も多かったにちがいない。

 尊富士や大の里は、今後どこまで強くなるだろう。若い日本人力士の奮闘は、他の力士にも、大きな刺激になるはずだ。来場所も楽しみが尽きない。

 

尊富士の初優勝 「荒れる春」を盛り上げた(2024年3月25日『産経新聞』-「主張」)

「荒れる春場所」にふさわしく、最後まで手に汗を握る土俵だった。大相撲春場所はまだ大銀杏(おおいちょう)の結えぬ新入幕の尊富士と幕内2場所目の大の里が優勝を争い、24歳の尊富士が13勝2敗で制した。

新入幕力士の優勝は大正3年の両国以来、110年ぶりの快挙だ。

初土俵から所要10場所での優勝は、年6場所制となった昭和33年以降、幕下付け出しデビューを除けば貴花田朝青龍の24場所を大幅に更新する最速の記録となった。歴史を塗り替えた快挙に拍手を送りたい。

14日目に右足を負傷し、出場が危ぶまれた尊富士だが、千秋楽は力強い相撲で勝ち切り、自力で賜杯を手にした。

まわしに執着せず、鋭い踏み込みから一気に前に出る速攻は実に気持ちがいい。初日からの11連勝には大関琴ノ若を破った一番もあり、幕尻の前頭17枚目とはいえ文句なしの成績だ。

日大相撲部から角界入りし、伊勢ケ浜部屋では横綱照ノ富士らに鍛えられた。十両経験は1場所だけで、15日間を通して戦い抜く体力は十分と言い難い。けがのない体づくりを含めて取り口の幅を広げてほしい。

23歳の大の里も192センチ、183キロの体格を生かしたスケールの大きな取り口が目を引き、将来が楽しみである。

尊富士はちょんまげ、デビュー6場所目の大の里はざんばら髪だった点でも異例の場所だった。歴史的記録は、上位陣の不振が手伝った面もある。

大関には猛省を促したい。大関同士の対戦がなかった12日目まで、そろって白星を挙げた日はなく、早々と尊富士らを追う側に回った。霧島は2桁の黒星を喫し、貴景勝は終盤で何とかかど番を脱した。豊昇龍は対大関戦が1番しか組まれなかったにもかかわらず、優勝争いに残れなかった。


照ノ富士が前半で休場し、その上、終盤に大関同士の対戦がない「割り崩し」があっては、場所の興趣がさめる。番狂わせが連日続くようでは、もはや波乱とも呼べない。

宮城野部屋で発覚した元幕内力士の暴力と宮城野親方(元横綱白鵬)の降格処分は、大相撲のイメージを大きく損ねた。不祥事はもうたくさんだ。横綱大関陣が番付通りの土俵を見せることで、国技の威厳と格調を取り戻してもらいたい。

 

「感動した!」 ヤマトタケルを彷彿とさせる尊富士(2024年3月25日『産経新聞』-「産経抄」)

月に叢雲(むらくも)花に風。今様に書けば、大谷に一平、尊(たける)富士にケガか。大相撲で110年ぶりとなる新入幕力士の優勝がかかった大一番で、朝乃山に屈した尊富士は、右足を負傷し、車椅子に乗せられて救急搬送された。

▼てっきり休場するものと思い込んでいたら、千秋楽の土俵に姿をあらわし、豪ノ山を圧倒した。なんという精神力だろう。小泉純一郎元首相なら「感動した!」と叫んで賜杯を渡していたはずだ。

▼名は体を表す。しこ名の「尊」は、日本武尊(やまとたけるのみこと)に由来している。12代景行天皇は、命に服さぬ熊曽建(くまそたける)兄弟を討つため、皇子を九州へ向かわせた。皇子は女装して敵の酒盛りに潜り込み、酔った兄弟に剣を突き立てる。知略と胆力に恐れ入った相手はこと切れる間際、皇子に自らの名を献上した。

古事記には「倭建命(やまとたけるのみこと)」と記され、日本書紀では「日本武尊」となる。「猛(たけ)る」と韻を踏んでいるのは偶然ではないらしい。尊貴にして勇猛な「タケル」の響きは、勝負事を生業とする若者にふさわしい。

▼腰のテーピングもなんの、立ち合いで差し勝ち、一気に相手を持っていく速攻には乱麻を断つ刀の切れ味がある。ちょんまげ姿も初々しく、<御髪を額に結はせり>と古事記に描かれたヤマトタケルの装いと不思議な符合を見せている。

▼荒れる春場所を尊富士とともに盛り上げたのが、大銀杏(おおいちょう)どころか、ちょんまげも結えない大の里だ。2人は24歳と23歳。大相撲は、長らくモンゴル勢が土俵の真ん中を占めていたが、新時代の幕開けを予感させる。ただ、昔と違って土俵の外でちょっと羽目を外すと「文春砲」が飛んでくる。自分のことは棚に上げて「博打(ばくち)だけはいかんぞ」とだけ、つぶやいておく。

 

青森市ねぶた祭の掛け声は「ラッセラー」。一説によるとろう…(2024年3月25日『東京新聞』-「筆洗」)

 青森市ねぶた祭の掛け声は「ラッセラー」。一説によるとろうそくや菓子を「出せ出せ」とねだる文句らしい

▼同じ青森県でも弘前市ねぷたまつりは「ヤーヤドー」。こちらは「いや、いや、いやよ」という文句と関係があるそうだ。比べると、五所川原市立佞武多(たちねぷた)の掛け声が最も強気に聞こえる。「ヤッテマレ」。意味は「やってしまえ」である

▼千秋楽の大一番。歴史的な優勝を目指した郷土の若き力士に向かって、地元の五所川原では「ヤッテマレ」の大声援がわいていたことだろう。大相撲春場所は新入幕の尊富士が豪ノ山を破り、初優勝を飾った

▼今場所中、何度も聞いた記録なので、覚えてしまったという人も多いか。「新入幕力士の優勝は1914年夏場所の両国以来、110年ぶり」。「ヤッテマレ」の期待に応え、その偉業を「ヤッテノケタ」。快挙というしかない

▼優勝インタビューで「体がきつかった」と語っていた。それはそうだろう。前日に右足を痛め、救急車で搬送されている。土俵に上がるのもつらかったはずだが、気持ちの強さで勝利と大記録を離さなかったか

▼110年前に新入幕優勝を果たした両国という力士。なんでも、以降は一度も優勝できなかったそうだ。縁起の悪い話か。いや、大銀杏(おおいちょう)の結えぬ髪ながらも不思議な風格さえ漂う、気力と落ち着きの力士には関係のない話と信じる。

 

「先生」と「私」(2024年3月25日『高知新聞』-「小社会」)

 もりっとした筋肉と、りりしい笑顔に見とれた。110年ぶりの快挙だ。大相撲春場所で尊[たける]富士関が新入幕優勝した。デビュー2年目の24歳。大銀杏[おおいちょう]を結うより先に賜杯を抱いた。立ち合いは鋭く、押しも強い。稽古熱心とくれば、これからが楽しみ

▼1914(大正3)年夏場所を両国が制して以来。当時無敵といわれた名横綱太刀山が優勝を逃し、好角家夏目漱石は驚いたかもしれない。ちょうど晩年の名作『こころ』を連載中だった。主人公の「私」と「先生」が心を通わせていた頃だ

▼こちらは16年ぶりに熊本県の新たなリーダーが決まった。新人4人で争った知事選できのう、木村敬さん(49)が勝利した。自民党推薦候補として裏金事件の逆風にさらされ、厳しい戦いではなかったか

▼選挙戦最終日。熊本市の繁華街で応援演説に立ったのは、木村さんの「先生」蒲島郁夫知事だった。東京大で教授と学生、県庁では上司と部下。教え子の能力を絶賛し、自身の後任は「木村しかいない」と叫んだ。心の通った師弟関係がうかがえた

▼恩師の評価通り、木村さんの公約は充実している。半導体産業集積への対応、教育や福祉の充実など幅広い施策を具体的に記し、地域ごとの課題にも目配りした。これから4年間、実行力が問われよう

▼尊富士関は、優勝インタビューで「ファン(の期待)に応える相撲を」と語った。若き新知事も思いは同じはずだ。「期待に応える県政を」。さじき席の県民が取り組みをじっと見つめる。いざ、待ったなし

 

(2024年3月25日『琉球新報』-「金口木舌」)

 

 新入幕で110年ぶりの優勝を果たした尊富士や、ざんばら髪の大の里といった新世代の活躍に沸いた大相撲春場所。幕内入り3場所目のうるま市出身、美ノ海も奮闘した

▼復帰前の県出身初の幕内力士・琉王から琴椿、若ノ城、琉鵬、美ノ海まで続く沖縄力士の歩みをたどった本紙連載「土俵に懸ける」。組む沖縄角力と押す江戸相撲の独自の融合から半世紀の歴史が育んだ沖縄の相撲が熱い
▼けがや病気、不振や加齢。土俵の攻防は栄光より挫折がつきまとう。そして濃い沖縄の影を背負う。だからこそ立ち合いの一瞬に永遠を見る
▼蹲踞(そんきょ)から両者一斉に身を起こす立ち合いは、審判によらず競技者の呼吸で対戦を始める相撲特有の「バランスの奇跡」。映画「シコふんじゃった」(周防正行監督)が引用する戦前大相撲を観戦した仏の詩人ジャン・コクトーの言葉
▼強い者だけが勝つのではない。そして女性も相撲を取る。琉鵬伊江島で育てた島袋心海(しんか)(鳥取城北高)は全国の女子の頂点でしのぎを削る。美ノ海以下11人の沖縄関係力士もチバリヨー!

 

学生の部で準優勝に輝いた伊江中3年の島袋心海(前列左)とお母さんの部に出場した母の春香さん(同右)、(後列左から)姉の八海(はみ)さん、兄の偉海(いなつ)さん、父の茂明さん=1日、東京都の立川立飛アリーナ(提供)(琉球新報