千秋楽 豪ノ山(左)を押し倒しで破り優勝を決めた尊富士=エディオンアリーナ大阪で
1月の初場所で9度目の優勝を決めた照ノ富士のパレード。オープンカーで横に座り、旗手を務めたのが尊富士だった。目に飛び込んだのは、笑顔で手を振るファンの姿と誇らしげな横綱の表情。改めて思った。「いつか自分でも、この最高の景色を見てみたい」
◆中学時代、照ノ富士に素質を見抜かれ
青森県内の中学時代、自身が鍛錬を積む稽古場で伊勢ケ浜部屋の合宿が行われた。照ノ富士に素質を見抜かれ「良い体をして元気だな」と声をかけられた。すでに関取として活躍する力士からの言葉。「かっこいい」。憧れの人となった。
照ノ富士の背中を追うように強豪・鳥取城北高に進学。ここから膝のけがに苦しんだ。思うような成績を残すことができない。日大に進学後もリハビリと向き合う日々。そんなとき支えになったのも、けがから復活を遂げる照ノ富士だった。たびたび気にかけてもらい、入門前にもやりとりした。「いろんな部屋から声がかかったけど、横綱から話を聞いて、横綱の生き方が僕に響いた」。弟弟子になることを決断した。
◆前日右脚負傷も「おまえならできる」
負傷した右足を包帯で巻かれ、搬送される尊富士=23日、エディオンアリーナ大阪で
しこ名の「尊」は、日本武尊(やまとたけるのみこと)に由来し、地位の高い人という意味から転じて高い地位を目指すという思いが込められた。同郷の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)から「横綱にならないと認めてもらえないぞ」と期待をかけられ、横綱の背中を見て、必死で稽古に励み、番付を駆け上がってきた。
一気に躍進した新入幕の今場所。14日目の取組で右足首を負傷した後、横綱から「おまえならできる」と激励され、再び奮起した。春の大阪に旋風を巻き起こし偉業を達成。「初場所で見た景色をまさか実現できるとは思っていなかった。本当に濃い15日間だった」。信じた道は間違っていなかった。(丸山耀平)
110年ぶりの新入幕優勝を果たし、賜杯を受け取る尊富士