新入幕優勝の尊富士 「腕立て伏せもできなかった」恩師が驚く成長(2024年3月24日『毎日新聞』)

尊富士(左)が押し倒しで豪ノ山を破る=エディオンアリーナ大阪で2024年3月24日、長谷川直亮撮影

尊富士(左)が押し倒しで豪ノ山を破る=エディオンアリーナ大阪で2024年3月24日、長谷川直亮撮影

 大相撲春場所エディオンアリーナ大阪)は千秋楽の24日、入門から2年足らずで大いちょうが結えない平幕の尊富士(たけるふじ、24歳)=本名・石岡弥輝也(みきや)=が約110年ぶりの新入幕優勝を果たした。前日にしたけがにも強い気持ちで屈しなかった新鋭は、筋肉が盛り上がった体つきからは想像できないが、かつては腕立て伏せもできない少年だったという。

 地元出身横綱のしこ名を冠した「つがる旭富士ジュニアクラブ」(青森県つがる市)の越後谷(えちごや)清彦総監督(61)は、金木町(現五所川原市)から車で30分ほどかけて通ってきた小学生時代の尊富士を、「相撲は上手だけど、強くはならないだろうな」と見ていたという。

 尊富士はアマチュア相撲経験者の祖父の影響で相撲を始め、わんぱく相撲で全国大会上位の成績を出していたが、「勝ち方を覚えて、すぐに上手投げやはたき込みをしていた。そこそこの成績は残すけど、そこから上には行けなかった」と越後谷さん。「体が硬くて、腕立て伏せもできなかったし、股割りも足を広げたら頭が動かなかった」と課題を感じていた。

 一方で「負けん気が強くて、一回負けた相手には『次は絶対負けない』という気持ちがあった。鍛えれば強くなるな」と思った。小学5年からジュニアクラブに移って稽古(けいこ)を始め、股割りなどの基礎運動を重点的に行った。クラブの道場に入る時に靴をそろえさせるなど、生活態度も細かく指導したという。

 「人と同じことをやるだけではだめ。人の2倍、3倍やらないと」と発破をかけると、負けず嫌いな性格に火が付き、四股やスクワットを言われた回数の数倍もこなした。小手先だけの技術で勝つのではなく、徐々に実力が付き、中学3年の時には全国都道府県中学生選手権で3位に入るなどの結果を出した。

 強豪校の鳥取城北高を経て日本大に進み、団体では学生の頂点を経験した。元横綱旭富士が師匠の伊勢ケ浜部屋がジュニアクラブで合宿をしていた縁があり、日大卒業後の2022年夏、同部屋に入門した。

大相撲春場所で新入幕を果たし、記者会見で笑顔を見せる尊富士=大阪市東成区で2024年2月26日午前10時32分、北村隆夫撮影
大相撲春場所で新入幕を果たし、記者会見で笑顔を見せる尊富士=大阪市東成区で2024年2月26日午前10時32分、北村隆夫撮影

 高校や大学では左膝のけがをしたが、22年秋場所初土俵から一度も休場がない。身長184センチ、体重143キロは入門時とほとんど同じだが、力強さは増した。新十両だった1月の初場所は優勝し、わずか1場所で十両を通過。今場所は元横綱大鵬に並ぶ新入幕11連勝など、記録ずくめの快挙を成し遂げた。

 「普段はおとなしくて優しい」という性格は変わらないが、「大相撲に入ってから顔つきが違う。鋭くなって、ここ一番に集中している」と越後谷さん。そして「腕立て伏せが一回もできなかったのに、今では(ベンチプレスで)220キロも上げられるって言うからね」とうれしそうに語り、「大したもんだ。やっぱり本人の努力と気持ちでしょうね」と活躍を喜ぶ。

 尊富士は地元からの声援に「不安なのは自分じゃなくて皆さん。絶対に土俵に上がろうと思った」。子どもの頃から見せていた気持ちの強さと責任感が、賜杯につながった。【滝沢一誠】