〈ふしあわせという名の猫がいる だから私はいつもひとりぼっちじゃない〉(2024年3月23日『新潟日報』-「日報抄」)

 「こういう歌詞って、なかなか書けません」。先日の夜のラジオ。作家の村上春樹さんがレギュラー番組で、こんな前置きをして曲を流した。カルメン・マキが歌った「ふしあわせという名の猫」だ。作詞は寺山修司である

▼〈ふしあわせという名の猫がいる だから私はいつもひとりぼっちじゃない〉。村上さんは、この歌詞が「胸にじわっとしみる」という

▼詩人、劇作家、映画監督、歌人…。寺山は幅広い分野に足跡を残して「職業は寺山修司」と語った。昨年は没後40年だった。生前の姿を知らない世代の間でも、再評価の機運が高まった

▼数々の名フレーズを残した。舞台「毛皮のマリー」で、主人公を演じた美輪明宏さんに意味深長なせりふを語らせている。〈去ってゆくものはみんなウソ、あした来る鬼だけが、ホント!〉。間断なく災害が押し寄せる現代に読み返すと、警句のようにも聞こえる

▼時代を駆け抜けた感のある寺山だが、若い頃から難病を抱えていた。47歳で他界する直前に記したエッセー「墓場まで何マイル?」が絶筆になった。自身が肝硬変で死ぬと見通し、墓を建ててほしくないと記して、こう続けた。〈私の墓は、私のことばであれば、充分〉

▼今、この国のかじ取りを担うはずの政治家から、弁明という名の保身の言葉が聞こえてくる。多額のお金の使い道や経緯を追及されながら、人ごとのような空疎な言い草ばかり。だからこそなのか。己が発する言葉にこだわり、早世した才人の遺言が胸に響く。