教科書検定に関する社説・コラム(2024年3月23日)

教科書検定 デジタル偏重避けたい(2024年3月23日『北海道新聞』-「社説」)

 文部科学省はきのう、2025年度から中学校で使われる教科書の検定結果を公表した。
 動画などのデジタル教材につながる2次元コードQRコード)の掲載が急増した。教育のデジタル化を受けた動きだ。生徒は配布された学習用端末で利用できる。
 学校側の要望は強く、教科書会社の教材開発競争は激化している。今後も増えるとみられるがチェック体制は甘く、学校教育にそぐわぬものが紛れる恐れもある。
 紙の教科書とノートによる学習の重要性は不変だ。視聴するだけで学んだ気になりがちな動画と違い、文章や図表を手書きする作業は子どもが知識を身に付ける上で欠かせないのではないだろうか。
 デジタル教材は教科書の補完教材と位置付け、過度に依存せずあるべき姿を模索する必要がある。
 今回は10教科100点が合格し、97点にQRコードがついた。接続すると、アイヌ民族舞踊の動画など多彩な素材が提供される。
 現行の検定基準では、教科書は専門家が1年かけて審査するが、デジタル教材は対象外だ。文科省は教科書と密接な関連があるか、児童生徒に不適切な情報がないかなどを確認するにとどまる。
 政府の関与を安易に強めてはならないが、現状に不安も残る。
 教科書会社が教材開発に注力するのは採択を増やす狙いがあるからだ。資金力のある会社ほど有利で、市場を独占し淘汰(とうた)が進めば教科書の多様性も損なわれよう。
 何よりも、教科書で学ぶ子どもを置き去りにしてはならない。
 一方、社会などでは政府の見解を反映した記述が定着した。軍による強制性の指摘もある慰安婦問題では、掲載した教科書のいずれも「従軍」の表記はなかった。
 道徳では「伝統と文化、国や郷土」での検定意見が2件あった。
 「クールジャパンと言われる日本文化にはどんなものがあるか」の問いは「日本が育んできたどんな文化や伝統に、どんな魅力を感じますか」などとなり、日本を肯定する前提の質問に修正された。
 国際社会にはさまざまな視点、価値観が存在する。それを学校で伝える意義は大きいはずだ。
 政府の意向に教科書会社が追従し、日本を称賛する風潮が強調される教育環境は、子どもたちにふさわしいとは言えないだろう。
 性的少数者や外国にルーツのある子どもなどを通じ、多様性について学ぶ記述も目立った。未来を生きる子どもに欠かせぬ視点だ。学校で丁寧に教えてほしい。

 

知の探求は止められない/中学教科書デジタル拡充(2024年3月23日『東奥日報』-「時論」)


 2025年度から中学校で使われる教科書の検定結果が公表された。現行の学習指導要領に基づく2回目の検定で、記述内容に大幅な変更は見られなかったものの、紙面に掲載された2次元コードQRコード)の多さが目を引いた。

 1人に1台行き渡っているタブレット端末などを使って生徒が読み取ると、教科書に関連した記述や英語の音声、動画などにつながる仕組みだ。初登場した前回の数十倍に扱いを増やしたものや、1冊に100カ所以上掲載したものもあり、教科書会社の力の入れようが分かる。

 生徒の利便性向上に加え、デジタル対応をアピールした方が、採択時に有利になるとの思惑があるためだ。半面、デジタル教材は各社が自前で用意しなければならない。関係者からは「これが採択に直結すれば今後は体力のない会社は生き残れない」との声も上がっており、教科書作りは大きな岐路を迎えている。

 QRコードが教科書に掲載されるようになったのは、20年度以降に実施された学習指導要領に「情報活用能力の育成を図る」との文言が盛り込まれたのがきっかけだ。

 教科書検定基準は「教科書記述と密接な関連を有するもの」と定めており、文部科学省は「本文との関連性において必要な部分は検定対象になる」と説明している。

 一方で「リンク先の情報や動画などについて一言一句まで細かくは見ていない。全てを検定対象にはできない」と一線も引いている。分量があまりに膨大なため、教科書会社から提出された要約資料を見て内容の妥当性を判断しているという。

 検定はあくまで紙の教科書を対象とする。デジタル教材の内容はこれまでの副教材と同様に教科書会社に責任がある。それが文科省の見解だ。

 こうしたグレーゾーンが顕在化すると「デジタルコンテンツも含めて国はきちんと検定をすべきだ」との意見が出る恐れがあるが、教科書以外に文科省が口を出すのは越権行為であり、抑制的な姿勢で臨むのは当然だ。

 とはいえ、検定制度ができた当時は想定していなかった事態に遭遇しているのも事実だろう。子どもたちは日常的にインターネットに接するようになり、スマートフォンなどを使って検索もしている。情報を入手する媒体の「主従」の垣根は低くなり、場合によっては逆転している。

 知の探求を教科書の枠内に押しとどめることはできない。学習指導要領では触れていない知識に接し、教科の内容に興味を持つこともあるだろう。そうした相互乗り入れが当たり前の時代に子どもたちは生きている。

 新しい情報や知識には間違いが付きものだ。誤りはただす必要があるが、正しさを求めるあまり、教科書以外の媒体を遠ざけてはならないし、管理すべきでもない。

 「学ぶべき最低基準」であるはずの学習指導要領は肥大化を続けている。その内容を忠実に反映して作られる教科書の総ページ数は今回も高止まりしたままだ。子どもたちの負担は増し、学校は過密な時間割を組まなければ学習内容をこなせなくなっている。

 教科書が主たる教材であることに変わりはないが、学びの形は変化している。デジタル教材の隆盛は、学習指導要領の在り方にも問いを投げかけている。

 

中学校の教科書検定(2024年3月23日『宮崎日日新聞』-「社説」)

◆柔軟性と多様性ある学びを◆

 2025年度から中学校で使われる教科書の検定結果が公表された。現行の学習指導要領に基づく2回目の検定で、記述内容に大幅な変更は見られなかったものの、紙面に掲載された2次元コード(QRコード)の多さが目を引いた。

 1人に1台行き渡っているタブレット端末などを使って生徒が読み取ると、教科書に関連した記述や英語の音声、動画などにつながる仕組みになっている。初登場した前回の数十倍に増やしたもの、1冊に100カ所以上掲載したものもある。

 生徒の利便性向上に加え、デジタル対応をアピールした方が、採択時に有利になるとの思惑があるためだ。半面、デジタル教材は各社が自前で用意しなければならない。関係者からは「これが採択に直結すれば今後は体力のない会社は生き残れない」との声も上がっており、大きな岐路を迎えている。

 QRコードが教科書に掲載されるようになったのは、20年度以降に実施された学習指導要領に「情報活用能力の育成を図る」との文言が盛り込まれたのがきっかけだ。

 ただ、検定はあくまで紙の教科書を対象とする。デジタル教材の内容は、これまでの副教材と同様に教科書会社に責任がある。それが文科省の見解だ。

 こうしたグレーゾーンが顕在化すると「デジタルコンテンツも含めて国はきちんと検定をすべきだ」との意見が出る恐れがあるが、教科書以外に文科省が口を出すのは越権行為である。

 子どもたちは日常的にインターネットに接し、スマートフォンなどを使って検索している。情報を入手する媒体の「主従」の垣根は低くなり、場合によっては逆転している。

 知の探求を教科書の枠内に押しとどめることはできない。学習指導要領では触れていない知識に接し、教科の内容に興味を持つこともあるだろう。そうした相互乗り入れが当たり前の時代に子どもたちは生きている。

 新しい情報や知識には間違いが付きものだ。誤りはただす必要があるが、正しさを求めるあまり、教科書以外の媒体を遠ざけてはならない。

 「学ぶべき最低基準」であるはずの学習指導要領は肥大化を続けている。その内容を忠実に反映して作られる教科書の総ページ数は、今回も高止まりしたままだ。子どもたちの負担は増し、学校は過密な時間割を組まなければ学習内容をこなせなくなっている。

 教科書が主たる教材であることに変わりはないが、学びの形は変化している。デジタル教材の活用や学習指導要領の在り方を含め、学びの柔軟性と多様性が求められる。

 

中学教科書検定 「軍事力脱却」教育でこそ(2024年3月23日『琉球新報』-「社説」)

 平和憲法の理念に基づき、軍事力ではなく対話で平和と安定を目指すことが日本の進むべき道だ。教育現場でも、そのことを追求したい。

 2025年度から使用する中学校教科書の検定結果が公表された。21年度から実施されている現行の学習指導要領に沿った2度目の検定だ。
 検定では、沖縄の関わりで公民、歴史の記述が注目される。この中で「保守系」とされる育鵬社自由社の公民教科書は東アジアの安全保障環境に対応した日本の防衛政策の変化や自衛隊国際貢献について、現在の政府の政策に沿った記述が目立つ。
 両社は米軍基地に関しても肯定的に記述した。
 育鵬社は「日米安全保障条約に基づく日米安保体制は日本の防衛の柱であり、アジア太平洋地域の平和と安定に不可欠です」と在沖米軍基地の存在を正当化した。自由社も「沖縄県は中国、台湾に近く、戦略的に大変重要な位置にある」と記述している。
 沖縄への米軍駐留を当然視するような記述は沖縄県民の意識とずれがある。基地負担の実情にも触れる必要がある。「沖縄県民が日本のために大きな負担を抱えていることを、国民が深く認識することが大切です」(教育出版)などの記述を通じて、基地の重圧に苦しむ沖縄の実情を学ぶことが望ましい。
 自由社が「日米合同委員会」の項目を設けたことは注目される。委員会の密室性や米側の圧倒的な発言権を指摘している。教育現場での扱いを注視したい。
 平和や安全保障について学習指導要領は「日本国憲法の平和主義を基に、我が国の安全と防衛、国際貢献を含む国際社会における我が国の役割について多面的・多角的に考察、構想し、表現すること」とある。日本の防衛や国際社会の安定・平和維持に果たす自衛隊の役割や日米安保条約に触れ、平和実現の方策を指導するよう求めたものだ。
 しかし、自衛隊や米軍に依存する安全保障政策は特定の地域に犠牲を強いる。それが沖縄の現実だ。教育の場においてこそ、軍事力による安定・平和維持という固定観念から脱却すべきである。
 歴史教科書では検定に合格した8冊のうち7冊が、沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)を取り上げ、その大半が日本軍の強制・関与にも触れた。一方で、「この戦いで沖縄県民にも多数の犠牲者がでました。日本軍はよく戦い、沖縄住民もよく協力しました」(自由社)という記述もあった。「根こそぎ動員」の形で強制的に県民を戦場に駆り立てた沖縄戦の実情に照らせば不十分な内容だ。
 過去の戦争を反省し、恒久平和を願う姿勢を育むためには、沖縄戦や原爆が投下された広島、長崎の惨禍、アジア太平洋地域における加害行為について学ばなければならない。教科書記述で戦争の実相をゆがめてはならない。