奈良教育大付属小(2024年3月21日『しんぶん赤旗』-「主張」)

介入は明確 強制出向をやめよ
 国立奈良教育大学付属小学校に対する教員出向の強要など、国による不当な政治介入が明らかになってきました。日本の教育全体にとっての重大な問題です。

 同付属小は地元で、子どもたちがのびのび育ち不登校も少ない学校として知られています。その教育は『みんなのねがいでつくる学校』という本にもなりました。

国も「モデル的」と評価
 県教委から介入のため派遣された校長も「本校の教員は子どもに対して実に丁寧にきめ細かく指導していたことは間違いなく、驚くほど前向きに自分の言葉で話せる児童が多い」と大学のホームページに記しています。文科省さえ、国会で「非常にモデル的な良い教育をやってきた」と答弁するほどです。

 ところが、介入は、同校の授業が学習指導要領通りではないなどを口実に始まりました。しかし、授業は教員が指導要領を参考にした上で創意工夫したものばかりでした。例えば、ローマ字を3年でなく4年で扱ったのは母音と子音という抽象概念が理解できる4年が適切だと考えたためです。

 そもそも指導要領は大綱的な基準であり、授業をあれこれ縛ることは許されません。七生養護学校事件の確定判決(2011年、東京高裁)が「その一言一句が拘束力すなわち法規としての効力を有するということは困難である」とした通りです。

 図工で教科書を使っていないともされましたが、それは教科書が出版元の事情で廃版となった際、保護者から300冊寄付してもらい修繕しながら使ってきたというものです。この教科書は安野光雅氏や佐藤忠良氏など日本を代表する美術家が執筆した名著でした。

 学校運営が不適切とも批判されました。しかし、職員会議で合意形成をはかり、ボトムアップで学校を運営してきただけです。職員会議で議決し、校長権限をしばることもしていません。

 いずれも道理のない難癖です。

 問題は、そのために、この4月から約3年の間に付属小固有の全教員が強制出向させられようとしていることです。保護者たちは「子どもたちが安心してこれからも学びを積み上げられるよう、強硬な異動措置には断固反対いたします」と2千筆以上の署名を集めました。校長室に抗議に行く子どもたちもいたといいます。

 大学側は「自民党の文科部会で議案にあがり、かなりのご意見、批判を受けた」「文科省の上層部から全員替えろと言われ、それでは運営できないということで何回も折衝した結果」と政治的圧力による人事だと説明しています。記録もあり国の違法な介入は言い逃れできません。大学は違法な介入による強制出向を中止すべきです。

硬直した学校観見直しを
 創意工夫の授業とボトムアップの学校運営のもとで、付属小の豊かな教育がうまれました。これに立ちはだかったのが、指導要領の絶対化とトップダウンの学校運営という国のめざす学校像です。

 しかし、そうした国の発想で学校は形式的な場となり不登校がふえ続けています。硬直した発想こそ見直しが求められます。付属小の問題を語り合い、強制出向を許さず、子どもにあった創意工夫した多様な教育をみんなでつくる輪を広げていきましょう。

 

(2024年3月21日『しんぶん赤旗』-「潮流」)

 

 卒業シーズンになると思い出す詩があります。「これからの本統(ほんとう)の勉強はねえ/テニスをしながら商売の先生から/義理で教はることでないんだ/きみのやうにさ/吹雪やわづかの仕事のひまで/泣きながら/からだに刻んで行く勉強が/まもなくぐんぐん強い芽を噴(ふ)いて/どこまでのびるかわからない」

▼作者は宮沢賢治。彼が子どもに稲作の指導をしている様子を描いた詩の一節です。中学校卒業のときの文集で教師が紹介してくれました。当時、なぜ勉強しなければならないのだろうという思いを抱えていた思春期の心に深く響きました

▼「本統の勉強」とは。今、そう考えさせられる事件が起きています。奈良教育大学の付属小学校が、国の定めた学習指導要領に従っていないとされ、大学側が同校の教師たちを他校に出向させようとしています。文部科学省が出向させるよう圧力をかけた可能性があります

▼同校では教師たちが長年にわたり研究と創意工夫を重ね、子どもの生活や学力の実態にあった教育を実践してきました。そして子どもたちは目を輝かせて学んできました

▼それを否定して学習指導要領の通りにやるのが勉強なのでしょうか。そもそも指導要領はおおよその基準です。付属小のように子どもの思いにそった教育でこそ学ぶ意欲は育ちます。つぶそうとする動きに憤りを感じます

▼賢治は先の詩をこう結んでいます。「雲からも風からも/透明な力が/そのこどもに/うつれ」。風のように自由で豊かな教育をと願います。