「町役場跡地に職員慰霊碑を」 遺族の願いを町拒否 すれ違い、なぜ(2024年3月17日『毎日新聞』)

町職員の慰霊碑建立に関する要望を平野公三町長(右)に断られ、鋭い視線を向ける小笠原人志さん=岩手県大槌町で2023年12月22日、奥田伸一撮影

町職員の慰霊碑建立に関する要望を平野公三町長(右)に断られ、鋭い視線を向ける小笠原人志さん=岩手県大槌町で2023年12月22日、奥田伸一撮影

 「私たちの思いがもてあそばれ、裏切られた」

 2023年12月下旬。岩手県釜石市の小笠原人志(ひとし)さん(71)は釜石に隣接する大槌町の役場で、平野公三町長(67)に向かって語気を強めた。認められると見込んでいた要望を拒まれ、憤りを隠せなかった。

 津波にのまれた町で、慰霊碑を建立する構想が宙に浮いています。遺族の願いは行政に聞き入れられず、思うような実現は見通せていません。東日本大震災からまもなく13年。復興の影で、今も鎮魂と伝承を巡る思いがすれ違う被災地があります。(全4回の第1回)
第2回・町民には反対や慎重論も
第3回・「原点」に建立、自然な感情
第4回・教訓伝承、支援に恩返し

 小笠原さんは、11年3月の東日本大震災で公務中に犠牲となった大槌町職員の遺族有志の会で代表を務める。自身は、福祉課職員だった長女裕香さん(当時26歳)を失った。現役の職員有志らと、死亡者や行方不明の職員を弔う慰霊碑を私費で建立しようと活動している。

情報公開された慰霊碑に関する大槌町の内部資料(左)と遺族への回答書。内部資料には慰霊碑について「都市公園利用者の利便の向上を図るうえで有効であると認められるものではない」と記されている=岩手県釜石市で2024年2月21日分、奥田伸一撮影
情報公開された慰霊碑に関する大槌町の内部資料(左)と遺族への回答書。内部資料には慰霊碑について「都市公園利用者の利便の向上を図るうえで有効であると認められるものではない」と記されている=岩手県釜石市で2024年2月21日分、奥田伸一撮影

 大槌町三陸沿岸南部にあり、地元で取れる秋サケは「南部鼻曲がり鮭(ざけ)」の名で知られる。震災では人口の8%に当たる1286人が犠牲になった。

 犠牲者には当時の町長ら町職員と町の関連団体職員の40人も含まれる。多くは低地にあった役場前に置かれた災害対策本部の周辺で津波に遭った。町長が津波に流される混乱の中、町民への避難指示も出されなかった。

 娘はなぜ、どのように津波にのまれたのか――。晴れない思いを抱えて7年余りたった頃、小笠原さんは町と対峙(たいじ)した。他の職員遺族とともに死亡時の状況を明らかにするよう求め、伝承のため津波で全壊した役場庁舎の保存にも動いた。死亡状況の調査は実施され、裕香さんが出先から役場へ戻る途中で津波に遭ったことなどが分かったが、庁舎は解体された。

 ところが、町は法律を盾に要望に応じなかった。

 役場跡地は現在、緑地となっており都市公園法の対象で、「一部の職員名を刻んだ慰霊碑は法の趣旨にそぐわない」と判断したのだ。町が情報公開した内部資料には、慰霊碑は「都市公園利用者の利便の向上を図るうえで有効と認められない」とある。

 町長が一時、要望に沿う姿勢を示したのは「政策判断の前に私情が先走った」と副町長や担当者は釈明する。町は、代案として現在の役場敷地内の用地を提供する意向だ。それなら職員や役場を訪れる人たちに震災を伝える意義があるという。

 小笠原さんは「震災当時に起きたことは、その場所でないと十分伝わらない」と話し、あくまで役場跡地への建立にこだわる。