アイヌ民族から学んだ神髄 「人間中心から自然と共生へ」 和辻哲郎文化賞の元北海道新聞記者が伝えたいこと(2024年3月16日『東京新聞』)

 
 哲学の巨匠、和辻哲郎(1889~1960年)のようなダイナミックな発想で、分野を超えたユニークな著作をたたえる「和辻哲郎文化賞」に、長年アイヌ民族を取材してきた元北海道新聞記者、小坂洋右(ようすけ)さん(62)が選ばれた。学芸員から記者になり、海外での民族調査にも加わってきた。今、伝えたい思いとは。(木原育子)

◆カヌーなどで歴史を追体験、世界観に迫る

 「アイヌ民族への偏見やデマは減らないどころか増えている。多くの人にアイヌ民族を知ってもらう機会になればうれしい」。3月上旬、札幌市内。小坂さんが受賞の喜びをそう語った。
 
アイヌ民族に学び、新法見直しの議論の必要性を訴える小坂さん=札幌市内で

アイヌ民族に学び、新法見直しの議論の必要性を訴える小坂さん=札幌市内で

 賞は和辻の生誕100年を記念し、出身地の兵庫県姫路市が1988年度に創設。一般と学術の2部門がある。アイヌ民族同化政策の下で失った伝統的生活や文化に光を当てた小坂さんの著書「アイヌの時空を旅する―奪われぬ魂」(藤原書店)が、今年の一般部門で受賞した。カヤックやカヌーなどで歴史を追体験しながら、アイヌ民族の世界観や自然観に迫る異色のルポルタージュ。和人(アイヌ民族からみた日本人)の立場から描かれた歴史とは違う生身の物語を切々と紡ぎ出した。

◆江戸後期に共存願った人たちの史実を掘り起こす

 歴史的価値も受賞の評価につながった。
 江戸後期に蝦夷地探検を行った松浦武四郎が、道都建設を担った開拓判官・島義勇アイヌ民族の長老に引き合わせていた史実を丹念に掘り起こした。
 「アイヌ民族を排除した和人がいた一方で、共存を願った人らもいた。そういった和人は更迭されたり辞任したりして、東京側から同化政策が進められたが、抵抗した人がいたことは記録しておきたかった」
 1875年の樺太・千島交換条約に関わる樺太アイヌ、千島アイヌ政策の経緯も取材。ロシア側の資料分析はウクライナ侵攻下で十分にできなかったが、巻末の注釈にウラジオストクの国立極東歴史文書館の公文書番号を惜しげもなく記した。「戦争が終われば調べられる。万が一ぼくがいなくなっても、いつか誰かが資料を発掘してくれる」

学芸員から記者へ、海外調査団にも参加

 小坂さんは異色の経歴を持つ。札幌市で生まれ、北海道大卒業後、学芸員として東京・台東区下町風俗資料館や埼玉県川越市の博物館立ち上げに関わった。その後、北海道に戻ってアイヌ民族博物館に勤めた。
 冷戦崩壊に歴史の潮目を感じ、28歳になった1989年に北海道新聞社に入社。会社の理解もあり、警察取材などの合間にアイヌ民族の取材は続けた。翌年にはロシア極東でウリチ民族の調査団に参加。2003年には英国のオックスフォード大ロイター・ジャーナリスト・プログラムに参加し、復活する優生学への懸念をテーマに学び直した。

◆差別や過去とどう向き合うか

 アイヌ民族の取材の意義をこう語る。「アイヌ民族は元来、狩猟民だが、狩りでも『俺が取った』ではなく、『相手(神様)が矢を受け取ってくれた』という発想だ。自分たちも自然の一部と捉え、現代社会と真逆の考え方だ」とし、「そんなに人は強いのか、偉いのか。人間中心主義が結局、人間を誤らせているのではないか。そう思いとどまらせてくれるのがアイヌ民族という存在だ。アイヌ民族がこの大地で養った自然との付き合い方は守り伝えていく必要がある」。
 現在は市民団体「アイヌ政策検討市民会議」のメンバーだ。新法のアイヌ施策推進法施行から5年後の今年、見直しの必要性を訴えている。「新法は1997年のアイヌ文化振興法より後退したのではないか。法律の主体がアイヌ民族ではなく、観光振興策を担う市町村になったからだ」と述べ「アイヌ民族の問題は北海道という地域限定の話ではなく、日本の国民がどう差別や過去と向き合うか、国と国民のあり方をどう考えるかとの視点で捉えることが必要だ」と見据える。