小倉百人一首の選者で知られる…(2024年4月28日『毎日新聞』-「余録」)

キャプチャ冷泉家に伝わる古今伝授箱から見つかった藤原定家直筆の「顕注密勘」=京都市上京区で2024年4月16日、加古信志撮影

 小倉百人一首の選者で知られる鎌倉初期の歌人藤原定家は自らの字を悪筆、つまり下手だと日記「明月記」に記している。確かに特徴あるクセ字で墨を多めに使い、一文字一文字がはっきりしている。平安貴族流のかな文字を細くつなぐ流麗さとは異質だ

▲その独特な筆跡が、約800年を経て世を驚かせた。定家の子孫、冷泉(れいぜい)家の京都にある蔵から、定家直筆の古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が見つかった。関心のある人は、今月報じられた文書の写真に「定家の書体だ」と心躍らせたことだろう

▲宮中の歌会などを担った冷泉家の所蔵品は、「文書の正倉院」ともいわれる。今回は「古今伝授箱」という秘伝の木箱を約130年ぶりに開けての発見という。定家自ら古今和歌集の注釈に加筆した史料価値は高く、文句なしの国宝級。焼失や散逸を免れて「開かずの箱」に秘蔵されたこと自体、ひとつの物語だ

▲ネットなどで定家の字は親しみをこめて「ヘタウマ」といわれることもある。江戸時代には「定家様(ていかよう)」ともてはやされた

▲定家自身、自分の「悪筆」には書き落としのミスをしづらい利点があるとも説明している。クセ字は膨大な記述を正確に行い、後世に残すための技だったらしい

▲病弱な身ながら定家は長寿を全うした。歌道のみならず土佐日記、更級(さらしな)日記などの書写にも情熱を注ぎ続けた足跡は、知の巨人と呼ぶにふさわしい。いつかまた、時を超えて、あの独特の書体が新たに日の目を見るような発見があるだろうか。