春闘高額回答に関する社説・コラム(2024年3月16日)

春闘の満額回答 中小への広がりが重要だ(2024年3月16日『信濃毎日新聞』-「社説」)


 今春闘で、満額回答を示す大手企業が相次いでいる。きのう連合が発表した中間集計では平均賃上げ率が5%を上回った。

 賃上げこそが日本経済を好循環に導く鍵となる。そんな意識が労使双方に浸透し始めたことが背景にあるようだ。

 人手不足が深刻化し、人材獲得のために好条件を用意しなければならない事情も大きい。

 重要なのは、この流れが今後本格化する中小企業の労使交渉にも波及するかどうかだ。

 中小は雇用の7割を支える。そこで十分な賃上げが実現しなければ、消費拡大による景気回復も期待できない。食料品などの値上がりで労働者の暮らしは依然、厳しい状況に置かれている。

 厚生労働省の統計によると、物価を加味した実質賃金は1月まで22カ月連続でマイナス。賃上げが物価上昇を上回る水準にまで届くかが今後の焦点となる。

 そもそも、これまでの日本の賃金水準は低すぎた。経済協力開発機構OECD)によると、2020年の平均賃金は00年から0・4%増えただけ。20年ほぼ変わらなかった。米国は25・3%増、韓国は43・5%増だ。

 デフレ経済が長引くなか、商品の販売価格を抑えようと、多くの企業が厳しいコストダウンに取り組んできた。人件費は削減対象とされ、労組の側も、雇用維持を重視して賃上げを強くは求めてこなかった経緯がある。

 日本経済の低迷の背景には、そんな構造の下で人への投資を軽視してきた企業の姿勢があった。大手の間では、円安の恩恵を受け輸出関連で業績が回復した後も内部留保をため込み、人件費に回さない傾向もみられた。

 それらを考えれば、大手の大幅な賃上げは当然のことであり、遅すぎたとさえ言える。

 中小の経営者も賃上げの重要性は認識している。だが中小には、大手のように思い切った対応に踏み切れない事情がある。

 最大の問題は、取引先の大手との価格交渉で弱い立場に置かれている点だ。取引の打ち切りなどを恐れ、人件費の価格転嫁を強く主張できない経営者は多い。

 人手不足が中小にさらなる困難をもたらす恐れもある。大手が魅力的な条件で人材を囲い込んでしまえば、中小はこれまで以上に苦しくなるだろう。

 格差拡大の先に力強い経済は望めない。大手は賃上げを進めるだけでなく、中小との取引に誠実に対応しなければならない。

 

春闘高額回答 賃上げの波を社会全体に(2024年3月16日『熊本日日新聞』-「社説」)

 

 春闘をけん引する大手企業で、過去最高水準の賃上げ回答が相次いでいる。約30年ぶりの高さだった昨春も届かなかった「実質賃金プラス」への追い風にしたい。

 焦点はこの勢いが、雇用の7割を占める中小・零細企業や非正規雇用者にも及ぶかどうかだ。デフレ経済ではコストカットの負担は下請け企業に重く、大手と中小の賃金格差は最大3倍に拡大している。格差是正のためにも、賃上げの波を社会全体に広げたい。

 物価高を上回る賃上げが実現すれば、個人消費も上向き、経済成長にもつながるだろう。デフレ脱却には、賃金と物価が共に上がっていく好循環が不可欠だ。政府も労使と認識を共有している。賃上げの流れからこぼれ落ちる人がないよう、支えてもらいたい。

 主要製造業ではトヨタ日産自動車日立製作所などが満額回答で、労働組合の要求を超える回答も続出した。日本製鉄は要求を5千円上回るベースアップを示し、定期昇給分を含めた賃上げ率は14・2%に達した。外食の王将フードサービスが11・5%、NTTが7・3%など、幅広い産業で高水準の賃上げが目立つ。

 背景にあるのは、慢性的な人手不足だ。業績好調な大手は人材獲得に向けてベアや初任給を充実させている。一方で、中小が賃上げの原資を確保するのは容易ではない。日経平均株価は34年ぶりに史上最高値を更新したが、サプライチェーン(供給網)の裾野まで恩恵が届いているとは言い難い。

 政府は人件費の一部である労務費を取引価格に転嫁できるよう、指針を示して後押ししてきた。しかし中小企業では、取引価格を引き上げても労務費の上乗せは難しいというところも少なくない。

 日産が下請けへの納入代金を一方的に減額していたことも明るみに出た。発注元が下請けを「買いたたく」商習慣が、中小企業の成長を阻んできた一面もあるのではないか。価格転嫁に加え、生産性向上や構造改革に注力できる環境をつくらねばならない。

 パートの賃上げが進んだ点は評価できる。連合傘下の産業別労働組合UAゼンセン」によると、時給の賃上げ率は過去最高の6・45%。7%の賃上げを決めたイオンに引っ張られる形で地方スーパーも賃上げに応じたという。しかし依然として正規と非正規の格差は大きい。今後も非正規の処遇改善に取り組むべきだ。

 熊本県内の企業の賃上げ交渉は今後本格化する。台湾積体電路製造(TSMC)進出で全国から注目を集めるが、プラスの効果が出るのは来年以降とみられる。人材引き抜きや地価上昇による経営圧迫など負の影響も気がかりだ。

 賃金が高い中央の企業に人が流れれば、地方の人材流出はさらに深刻化する恐れがある。物流や運輸などエッセンシャルワーカーの担い手が不足すれば、社会インフラの維持も困難になる。賃上げは一企業の問題にとどまらない。地域全体に及ぼす影響を、冷静に見極める必要があるだろう。

 

春財布(2024年3月16日『熊本日日新聞』-「新生面」

 「春袋[はるぶくろ]」という俳句の季語があるそうだ。新春に女児が縫った袋のことで、幸せをいっぱい取り入れたいとの願いが込められた。「張る袋」の語呂合わせから新年のめでたい風習だったという

▼財布を買い替えるのも春がよい。春財布すなわち、張る財布と掛けて、お金がたまりやすいと言われるのも同じような縁起担ぎだろう

▼大手企業の春闘で、労働組合の賃上げ要求に対する満額回答が相次いでいる。大企業の業績はおおむね堅調とされる。人手不足の中、働き手を確保しようと、パートなど非正規雇用の賃金も上げている。財布に入る1万円札が月に2枚も、3枚も増える。そんな大企業の活況を、中小企業や小規模事業所で働く人たちは、どこか遠いところの話のように聞いているのではないか

▼かつて安倍政権の政策アベノミクスで「トリクルダウン」という呪文が盛んに唱えられた。大企業や富裕層が潤えば、水が滴り落ちるように、中小企業や地方にも恩恵が及ぶ、と

▼けれど「この30年間、想定されたトリクルダウンは起きなかった」。岸田文雄首相はそう断じて過去のおまじないに見切りを付け、「賃金が毎年伸びる構造をつくる」と新たな呪文を唱えた。その要請を受けての昨春からの賃上げムードである。大企業だけの取り組みに終わらないよう、零細企業で働く人の懐もしっかり温めてほしい

▼優越的な立場にものを言わせての下請けいじめなど、もっての外だ。弱い立場の労働者だけが秋(空き)財布というのではたまらない。