このままでは日本の衰退は止まらない
岸田総理は今、財政を健全化するために、官邸直属の委員会として「財政健全化推進本部」を設置しています。座長は、自民党の古川禎久議員です。
その古川氏が、NIKKEIのラジオポッドキャスト番組「NIKKEI切り抜きニュース」(1/11(木)配信)でお話しされている内容を過日たまたま耳にしたのですが、卒倒しそうになる程に酷い内容でした。
参照)自民党・古川禎久氏「ポピュリストに財政運営できない」(日経2024年1月11日)
一言で言いますと、この方に日本の財政の「御者」(ぎょしゃ=馬車の運転手)を任している限り、日本は停滞・衰退を続け、日本国民には最悪の未来しか訪れ得ないということがハッキリを分かる内容だったのです。
彼はまず、次のように発言されているのですが、これに関しては全く「正しい」例えです。
「馬車の手綱を取る役割が財政。馬の中には社会保障馬がいたり、防衛馬がいたり、あるいは公共事業馬等。時として暴走すれば馬車は転覆。御者は時に応じて手綱をひいたり、緩めたりして馬車を安全に走らせなければならない。これが財政の役割」
要するに財政が拡大しすぎて、それで何らかの「破壊的事象」が起こると大変である(これは、古川氏が「転覆」と表現している事象ですね)、だから財政を「引き締める」ことが必要な時がある、という指摘はまさにその通りです。
しかし、御者には、古川氏が繰り返しているような「手綱を引く」ことだけではなく、「手綱を緩める」ことも求められます。
ところが不思議なことに古川氏は、「手綱を引く」という行為の根拠となる「馬車の転覆」という危機的事象を避けて「安全な運行」をなすべしという点について言及するばかりで、「手綱を緩める」という行為の根拠となる事象については一切触れていないのです!
馬車を「前に進める」ことの重要性
通常、御者は、「転覆を避けて安全に運行する」という役割を担う一方で、「前に進む」という目的を持つ存在です。だからその御者が「無能」でない限りにおいて、安全のために「手綱を引く」一方で、前に進むために「手綱を緩める」のです。
とりわけ、他の馬車と「競争」をしている場合には、「安全を確保しながら、できるだけ早く前に進む」ことを目指します。
つまり、御者としての財政は、支出しすぎて(例えばハイパーインフレになる等の形で)「転覆」するという破壊的事象を避けることは重要な任務ですが、支出しなさすぎて(例えばデフレやスタグフレーションが続くという形で)「停滞」「衰退」するという破壊的事象を避ける(つまり成長させる)こともまた重要な任務なのです。
というよりも、そもそも御者は、馬車を前に進めるために雇われてるのであって、本来的には前に進めることこそが職務だとすら言える存在なのです。今日のように激しい国際競争が繰り広げられるグローバル化の時代においては、御者として馬車を「前に進める」ことの必要性はとりわけ重大なものになっているのです。 それにもかかわらず古川氏は、「安全の必要性」や「ハイパーインフレによる転覆」については言及しているものの、「前に進むことの必要性」や「デフレやスタグフレーションによる停滞・衰退」という点については、一切言及していないのです! 何という欺瞞でしょう。
古川氏がイメージしているのは、兎に角、安全だけを確保しようとしていて、前に進めようという意図を持たない御者なのです。
そんな御者は手綱を「引く」ことはあっても「緩める」ということはしないでしょうから、結局、その馬車は「止まって」しまうでしょう。そして、その馬車が「競争」状態におかれているとすれば、そんな馬車の敗北は確実です。それは単に、御者としての職務放棄と言えます。
この時、馬車に乗っている乗客が、「停滞・衰退していたら俺たちの暮らしも人生も最悪だ、もっと前に進まないとマズい」と感じていたとすれば、激怒するはずです。そして、そんな御者を「虐待者」「人殺し」として認識することでしょう。
今の日本はどういう状態なのか
御者が職務放棄しているのですから、客が激怒するのも当然です。ところが古川氏は、そんな「乗客(国民)」の焦燥や憤怒は、劣悪で危険な「ポピュリズム」に過ぎないと、次のようにレッテルをはりつつ激しく批判するのです。
「手綱を引いたり緩めたりするときには当然、世の中には反発もある。ポピュリストには御車の役割はつとまらない。財政はポピュリストが扱ったらだめ。財政は国民の反発を恐れて良いことばかり言っているポピュリストには務まらない仕事。翻って今の財政はどうだと言ったときに、国民の反発を恐れてなのか、手綱を緩めっぱなし」
「財政を預かっている政治家が国民の皆さん、ここは国民負担をお願いしますとか、あるいは歳出を削らしてくださいとか、言いにくいことであってもきっちり正面からごまかさずに国民に説明をしてお願いをしてこなければならなかった。我々政治家はそこから何十年逃げてきた」
要するに古川氏は、「前に進めろ進めろ」という乗客(国民)の意見など、愚かな大衆の戯れ言だと見なしてガン無視すべきであり、兎に角、今よりももっと強く手綱を引いて、増税して、支出カットを拡大すべきだと主張しているわけです。
では、今の日本はそういう状態なのでしょうか? つまり、古川氏が言う、「社会保障馬」「防衛馬」「公共事業馬」が牽引する「日本という馬車」は「暴走」している状態なのでしょうか?
決してそんなことはありません。事態はむしろその正反対の状態にあります。
下の図を見てください。日本と世界各国・各地域のGDPの推移を表したグラフです。GDPとは(公共事業や科学技術投資等を含めた)日本が行うあらゆる活動によって産み出された価値の総量、すなわち「総生産」ですから、要するに古川氏が言うところの「馬車のスピード」です。
ご覧のように、世界中の国々・地域が成長し続けている中、日本だけ1990年代半ばから停滞していることが見て取れます。
これは、日本は今、古川氏が言うように「手綱を引かねばならない暴走状態」からはかけ離れていることを意味します。それよりむしろ、「手綱を緩めて、前に進めなければならない(そうしないと“ヤバい”)状態」であることを意味しています。
すなわち、日本は、1990年以降、「手綱を引きすぎ」であり、その結果として、成長がストップしてしまったのです。そして、2010年には中国に抜かれ、今年はついにドイツにも抜かれてしまったのです。
岸田総理の任命責任
このような状況にもかかわらず、古川氏は「日本は暴走している! もっと手綱を引け!」と主張し、実際に、これまで四半世紀以上も続けられてきた増税と予算カットに基づく財政引き締めが、継続・加速されようとしているのです。
これはもはや「狂気」です。
こんな「狂気」に日本が支配されれば、日本経済が成長し、国民が貧困から逃れられると同時に成長し、国際競争で諸外国に追いついていく、という「明るい未来」は絶対に訪れないでしょう。
古川氏のような状況認識のできぬ者に、もうこれ以上、我が国の財政の「御者」を任せては絶対になりません。このままでは、我々に訪れるのは国家的な“死”以外にあり得ないでしょう。
岸田総理の任命責任は、当人が気付いているか否かはさておき、途轍もなく重いものなのです。
藤井 聡(京都大学大学院工学研究科教授)