東日本大震災13年(2024年3月12日『宮崎日日新聞』-「社説」)

◆教訓学び「想定外」つぶそう◆

 13回目の追悼・誓いの日を迎えた。年明け早々の能登半島地震は、いつ大きな地震に直面してもおかしくない現実を突き付けただけに、今年の3・11の意味は重い。被害を最小限に抑える備えと行動をあらためて学び直したい。

 東日本大震災東京電力福島第1原発事故という未曽有の複合災害は、震災関連死を含め死者2万人弱、行方不明者2500人余り、いまだに避難を余儀なくされているのは約2万9千人と甚大な被害をもたらした。

 岸田政権は過酷な事故の記憶にあらがうように原発回帰に転換した。今回の能登地震では、北陸電力志賀原発に大きな被害はなかったとはいえ、変圧器の破損に伴い外部電源の一部が、放射線監視装置も18カ所で使用・測定不能に陥った。高齢者らが一時避難する30キロ圏内の放射線防護施設のもろさも露呈。半島の道路が寸断され、従来の避難計画は揺らぐ。それでも原発再稼働を進めるべきなのか、私たちに問いかけている。

 政府は2021年からの5年間を「第2期復興・創生期間」と位置付ける。ただ、宮城、岩手県の沿岸部でも、かさ上げされた広大な空き地があちこちで見られる。原発の周辺自治体に特定復興再生拠点区域が設けられたが、再建は緒についたばかりだ。人口減少の加速が直撃しており、かつてのにぎわいを取り戻すのは容易ではない。まして10年前後も立ち入り禁止となっていた地域はなおさらだ。

 巨大防潮堤を造らなかった宮城県女川町。駅前には海に向け一直線に続くれんが道の両脇に商業施設などが並ぶ。復興計画策定の主役になったのは、30代、40代だ。還暦以上は口を出さずに側面支援に徹し、独自のプランを作成して行政と連携したという。新たな街の営みづくりには、交流人口や活動人口を創出する視点から、移住者を含む若い世代の斬新な発想を積極的に取り入れた。

 能登地震では、3・11の経験を生かしたケースがあった。石川県珠洲市三崎町寺家の下出地区。高台への階段を増やし、夜間避難用に太陽光パネルの電灯を設置、「10分以内に上ろう」と避難訓練を重ねた。約80人の住民は全員無事で、区長は「大震災の教訓がなければ犠牲者が出ていたかもしれない」と振り返る。

 2月に宮城県南三陸町で開かれた「全国被災地語り部シンポジウム」では、参加者が「経験を伝えることがより重要になる」と訴えた。数年ごとに列島を襲う大地震。教訓に学びながら「想定外」をつぶしていく作業の大切さを再認識し、復旧・復興の過程を含め、自助・共助・公助の在り方を考えたい。


震災と図書館員(2024年3月12日『宮崎日日新聞』-「くろしお」)

 きのうの「3・11」を中心に、この時期は被災者たちの「あの日」と「あれから」が伝えられる。さまざまな職業や立場の人たちが震災当日にどう動き、その後どう生きてきたかを知ることの意義は大きい。

 日本図書館協会が4年前の3月11日に発行した「東日本大震災 あの時の図書館員たち」という本がある。岩手、宮城、福島の3県の図書館職員や学校司書など45人が、生々しい当時の被害状況をはじめ、その中での彼らの奮闘と復旧への道のりをつづっている。

 長谷川敬子さんは、職員全員が亡くなった岩手県陸前高田市立図書館に震災後異動となった。わずか68平方メートルのプレハブで図書館業務を再開したところ、図書寄贈の電話が一日中鳴り響いたという。その図書館は被災者が思いを共有し前を向く力を得られる場となった。

 被ばくを避けるためにフード、マスク、ゴーグル姿で来館した利用者に「そこまでして来てくれて…」と勇気づけられたのは福島県田村市図書館の元館長・橋本裕子さん。被災者のため図書館業務以外の面でも尽力した職員。一方、その職員は非常時の中にあっても本を求める利用者に励まされ…。

 図書館という、被災地全体から見ればほんの小さな場一つとっても、これだけのドラマがある。そしてそのドラマはすべて現在進行形だ。そうした被災後の日々を懸命に生きる人々に思いをはせ、その営みが今後も続いていくことを胸に刻みエールを送ろう。