能登半島地震の「復興」に気をもむ3.11の経験者たち 今だからこそ伝えたい苦い「教訓」とは(2024年3月15日『東京新聞』)

 
 能登半島地震の被災地でインフラの復旧や仮設住宅の建設が遅れている。現状を憂うのが東日本大震災の経験者ら。当時と重なるところがあると語る。例えば長期の避難と再三の転居。復興の局面で波紋を広げたという。繰り返さないためにどうすべきか。響きがいい復興のスローガンを聞くばかりで大丈夫か。彼らの言葉から能登に伝えたい復興の教訓を考えた。(西田直晃、岸本拓也)

◆高台移転が生んだ住民同士の「分断」

 「能登が同じ失敗をたどりかねない」
 8日、東京都内であったシンポジウム。新刊「被災者発の復興論」を執筆した3.11の経験者3人が出席した。冒頭の発言は宮城県石巻市雄勝町で被災した宮城大の阿部晃成特任助教(災害社会学)が口にした。
 震災後、生まれ育った雄勝町は高台への住宅移転が進んだが、人口は震災前の4分の1にまで減った。町外に移った住民と残った住民の間に溝ができた一方、行政が有効策を示さず、むしろ「出た人」として復興の主体から外したという。
 
シンポジウムに参加した(左から)市村さん、三浦さん、阿部さん=東京都内で

シンポジウムに参加した(左から)市村さん、三浦さん、阿部さん=東京都内で

 「高台移転の実現は震災から7年後。長期の仮住まいの不安や持病など、町外に移った人にはさまざまな事情があったが、町に残った人との間に感情的なしこりが生まれた」。住民団体を設け、復興の進め方を町外に移った被災者とも話し合おうとしたが、現住所の把握が難航するなど情報集約がうまくいかなかった。
 その阿部さんは能登地震の被災地に赴き、地元に残る住民と勉強会を開く。現地の様子は東日本大震災と重なる部分があるという。

能登の2次避難 潜む課題は「長期化」「転居」

 自宅近くの避難所からホテルや旅館などへ移る「2次避難」が進む。被災者の一部は仮設住宅やみなし仮設への入居を模索する。あの時と共通するのは「避難の広域化や長期化」。3年、5年と避難が長期化し、転居を重ねると「離散した被災者が見えなくなる」と過去に通じる危惧を語る。
 
石川県輪島市役所から出発する避難バスに乗り込む被災者ら

石川県輪島市役所から出発する避難バスに乗り込む被災者ら

 埋没した被災者は復興を議論する場が遠のいてしまう。「結果的にどうなるかといえば、被災者発の復興ができない可能性がある」
 阿部さんは「住民の手でコミュニティーを維持しなければならない。仮設住宅に入居して住民票を移しても、地元に残る住民が動向をつかむべきだ」と強調する。「地域を再生させるコアは住民。本格的に復興に向かう段階で、離れた人々を含めて話し合う場をつくる必要がある」

◆離散した住民同士をどうやってつなげるか

 求められるのは、やむを得ぬ事情で離散した住民が分裂、埋没する事態を避ける取り組みだ。
 東京電力福島第1原発事故後に福島県富岡町から避難した一人で、町民グループ「とみおか子ども未来ネットワーク」を発足させた市村高志さんは「人がばらばらになっても、コミュニティーを構築する試み」の必要性を説く。シンポに出た市村さんは「原発事故後、このままでは町がなくなるという危機感があった」と振り返る。団体設立から2017年までの4年半でタウンミーティングを全国の20カ所で実施した。
 
体育館で卒業式に向けて飾り付けの花を作る避難者ら=3月7日、石川県能登町で

体育館で卒業式に向けて飾り付けの花を作る避難者ら=3月7日、石川県能登町

 しかし、町外への移住者を含む住民の意見を取りまとめ、復興につなげるのはやはり苦心したという。
 「富岡町原発城下町。町民に東電関係者が多く、行政追従の意識が濃厚だった。遠く離れた被災者は『原発の恩恵があったくせに』といった中傷を恐れ、富岡町民と名乗れなかった」
 それでも団体は行政も交えた話し合いを実現。町民が復興案の策定に関与する道筋を付けた。「つながりの維持には住民が早く動き出すことが必要だ」

◆3.11後も使われた「創造的復興」

 石川県によると、ピーク時に3万人を超えた能登地震の避難者は今月12日時点で9760人。一部破損を含む住宅の損壊は8万棟を上回る。インフラ復旧も途上で、輪島市珠洲市など5市町の約1万5000戸で断水が発生している。
 県は仮設住宅4600戸を整備する方針を示し、12日時点で8市町の計4345戸を着工。ただ完成したのは447戸にとどまる。
 
建設が進む仮設住宅=3月10日、石川県輪島市で

建設が進む仮設住宅=3月10日、石川県輪島市

 一方で県は復興の基本方針を示す。目を引くのが「創造的復興」という言葉。その理念は「単なる復旧にとどめず、能登ブランドをより一層高める」とある。
 3.11後も使われてきた「創造的復興」は自民、公明両党の「復興加速化のための提言」に頻出する。「単に震災前の状態に戻すのではなく、『創造的復興』を」といった文脈でだ。

原発への懸念があるのに選択を迫られた

 ただ、言葉の華やかさとは裏腹の状況が横たわる。
 福島原発事故でいえば、政府は住民の早期帰還のため、避難者の判断が付かない時期に帰るか帰らないかの選択を迫った。避難者が戻らない中、科学技術と産業競争力を強化する研究開発拠点の整備を軸とした「創造的復興」が行政主導で進められ、新住民を求めて福島への移住も促す。
 被災地の復興過程を研究する日本学術振興会の横山智樹さん(地域社会学)は「復興の主体がすり替えられ、いつ帰れるだろうかと判断を保留している被災者は復興の当事者から外されている。原発への懸念は科学的に根拠がないものにされ、不安を口にすることもはばかられる事態になった」と語る。
 
防潮堤の工事が進められた岩手県宮古市田老地区=2018年(ドローンから)

防潮堤の工事が進められた岩手県宮古市田老地区=2018年(ドローンから)

 東北の津波被災地の多くでは、巨大な防潮堤の建設が計画された。先の阿部さんが暮らした石巻市雄勝町では防潮堤建設と高台移転を伴う住宅再建が進められ、元の場所での再建を望んだ住民の声は黙殺された。横山さんは「高台移転に応じることができる住民が復興事業の対象となり、行政の復興メニューに乗れなかった住民は排除されていった」と指摘する。
 一方で、画一的な防潮堤計画を見直させた例も。
 津波被災地の宮城県気仙沼市では、地元に親しまれてきた大谷海岸の砂浜を守るために、地元住民が行政と4年にわたって議論。防潮堤を当初より内陸側に移して砂浜を残す計画への変更を実現した。
 住民運動で中心的な役割を果たし、現在は気仙沼市議を務める三浦友幸さんは冒頭のシンポに出た一人。「防潮堤への賛否はあったが、地域のアイデンティティーである砂浜を守ることを共通の思いに掲げ、対立構造をつくらないように努めた」とし、「上が決めた画一的なものではなく、復興を自分たちにたぐり寄せる過程は時間がかかっても必要だ」と説く。

◆「上からの復興」繰り返さないために必要な視点は

 危うさが潜む「創造的復興」「上からの復興」。能登で繰り返さないためにはどうしたらいいのか。
 福島大元教授で地方自治総合研究所の今井照特任研究員は「被災者に声を上げろというのも難しい。復興計画を持っている行政側が時間をかけ、住民の声を聞いて反映していく姿勢や仕組みが望ましい」と話す。
 
地震で倒壊した建物を眺める人たち=1月14日、石川県輪島市で

地震で倒壊した建物を眺める人たち=1月14日、石川県輪島市

 先の横山さんは復旧と復興をないまぜにした現状の見直しが必要と指摘する。
 「被災された方々が当面の間、安心して暮らせるように生活環境を整える復旧は早くしないといけないが、復興は地域や住民が長期的な視点で考えるもの。上から押しつけるものではない」とし、こう続ける。
 「亡くなった人を含めて被災を経験した全ての人が当事者であるという視点が大切だ。誰かを切り捨てるのではなく、戻る人も戻らない人も関わることができる復興メニューを、地域の力を尊重しながら考えていくことが求められる」

◆デスクメモ

 自公の提言では数年前から、3.11後の創造的復興の中核として福島国際研究教育機構が挙げられる。かたや福島県が昨秋公表した県政世論調査によれば、機構の取り組みを知るのは1割程度。「知らぬところで話が進む」を端的に表す結果。反省を欠けば能登でも同じ事態が生じる。(榊)