震災13年・廃炉の工程/「40年」と正面から向き合え(2024年3月9日『福島民友新聞』-「社説」)

 国と東京電力は「廃炉まで40年」との約束を空手形と考えていないか。目標は変わらないと言うのであれば、その道筋と熱意を示すべきだ。

 国と東電が福島第1原発廃炉までの期間を最長40年としたのは、米スリーマイル島原発(TMI)事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)の大半を除去するのに11年かかったことを踏まえた。第1原発は3基にデブリがあるため、約3倍の時間がかかると計算した。

 しかし、第1原発デブリは推定で800トンを超えており、TMIの6倍以上の量だ。TMIには事故後、44年以上経過しても高線量のデブリが一部に残っている。

 日本原子力学会は、第1原発の敷地再利用に着手するには最短でも100年以上かかるとの考えを示している。国、東電の掲げる2051年までの廃炉は「現実的に困難」との見方だ。廃炉で生じる廃棄物の処分方法や、何をもって廃炉とするのかの議論も進んでおらず、完了は見通せない状況だ。

 こうした事情から廃炉関係者のみならず、県内にも「40年で廃炉は終わらない」との雰囲気があるのは事実だ。しかしそれは、いずれ終了時期の後ろ倒しを許容することにつながるものではない。

 40年で廃炉完了というのであれば、国と東電にはその根拠、あるいは期間内に終わらせるための新たな方法を示す責任がある。

 東電はここ数年、デブリの状況を探るための作業を続けているが、目立った成果を上げられていない。作業失敗で工程見直しが必要となっても、「安全のため」との説明に終始することが多い。こうした状況に、廃炉関係者からは「東電の熱意が明らかに低下している」との声が聞かれる。

 安全の確保が最優先であるのは当然だ。しかし、安全という言葉が工程の遅れを容認させるための材料にされている感は拭えない。

 廃炉作業で生じる処理水の海洋放出を巡っては、漁業者などの理解が焦点となった。放出を始めることができたのは、全国漁業協同組合連合会が「最後の1滴まで放出して廃炉が完了する。そうした状況の中で漁業を継続できていた時に100%の理解が生まれる」と、身を切るような言葉を述べたからだ。工程が進まずとも、廃炉の目標時期には「影響がない」と強弁する東電の姿に、漁業者が見せたような覚悟は感じられない。

 漁業者が放出を認めたのは、速やかな廃炉が本県の復興と豊かな未来の実現に欠かせないとの思いからだ。国と東電は、漁業者や県民の思いを裏切ってはならない。

 

前と後(2024年3月9日『福島民友新聞』-「編集日記」)

 もはや「戦後」ではない―。1956年度経済白書の締めくくりの一節に記された言葉だ。焼け野原となった終戦からわずか10年で産業を立て直し、これから新たな時代が始まるといった意味に解されていることが多いかもしれない

▼言葉が独り歩きしたようで、実際は、成長を支えてきた復興需要が終わり、これから厳しい時代になることを懸念した言葉とされている。結果的に見通しは外れ、日本は高度成長の時代を進むことになる

東日本大震災東京電力福島第1原発事故の前か後か。これを基準の一つに、ものごとを考えるようになって久しい。2011年3月を境に生活や地域はどう変わり、失われたものは、どの程度まで回復したか

双葉町でおととい、待望の郵便局が再開した。町民の皆さんが気軽に立ち寄れるような地域のよりどころにしたい―と話した局長の言葉が印象的だ。震災前はごく当たり前だった風景が、また一つ戻ってきた

▼地域のありようも、もう少し見えてきてよさそうだが、どうもはっきりしない。まだまだ先のことだからと、原発事故の全責任を負う国と東電が悠長に構えてはいないか。速やかな廃炉なくして、憂いのない「震災後」の未来もない。