日本人の2019年度の大学(学部)への進学率は、女性が50.7%、男性が56.6%と、男性の方が5.9%ポイント高いが、女性は全体の7.9%が短期大学(本科)へ進学しており、これを合わせると女性の方が高い。現在は、女子短大の共学化が進んでおり、4年制大学の進学率についても、男女同率となるのは時間の問題だろう。
また、修士課程の社会人入学者に占める女性の割合を見ると、2007年以降5割弱で推移しており2000年の37.1%と比べて10%ポイントほど上がっている。このトレンドもさらに進むことが考えられる。世界経済フォーラムが公表している各国の「ジェンダーギャップ指数」では、少なくとも教育におけるジェンダー平等については、日本はほぼ100%とされている。 その一方で、23年に関する同調査では、日本は世界の中で「ジェンダー平等」の達成度が125位と低迷している。壊滅的とも言える低迷の原因だが、政治家におけるギャップと並んで、問題になっているのが女性の企業管理職への登用だ。 この点に関して、分析をしようと思えばいくらでもできる。大学が「文系と理系」に分かれていて、女性は文系、特に人文科学系への進学が多いことや、企業における女性の事務職採用の比重が高いなど、日本企業独特の人材・商習慣が根強く関連しているのは間違いない。
その一方で、現在の日本経済は円安が進行する中で、ドル建ての経済力はジワジワと衰退が進んでいる。そして、人材不足がさらに事態を悪化させている。そのような中では、女性の人材活用、それも高度な人材活用は待ったなしの課題と言える。
今回は、批判のための批判、解説のための解説ではなく、問題の本質を踏まえた議論を行ってみたい。その上で、できることは実行し、できないことはその理由を潰すことで、社会を先へ進めるしかない。3点、提言をしたい。
産休、育休に弊害を起こす年功序列
1点目は年功序列を廃止し、徹底した抜擢人事を行うことである。例えば政府は今から20年以上前の03年に、女性管理職を30%にするという目標を立てて、何度も目標年を設定してきた。けれども、何度期限を延長しても、全くこの数値には到達せず、20年間の歩みとしては極めてスローな結果に終わった。
別に各企業が女性活躍をサボっているのではない。ただ、終身雇用と年功序列のシステムから脱することができない中では、均等法以降に入社した総合職の女性が、管理職適齢期にならないと昇格させることができないのだ。均等法の施行が1986年であり、例えば入社20年となる40代の前半で課長昇格「適齢期」となるのであれば、「初の女性課長」が登場するのには、2006年まで待たねばならなかった企業は多い。
そして、多くの企業が本格的に総合職、つまり管理職候補生として女性を採用し始め、それが定着したのは、それこそ政府が「女性活用」を強く打ち出した03年以降である。流通や情報が先行し、これに金融や商社や追随したが、メーカーに関してはまだ十分でない産業もある。そんな中では、いつになっても「女性管理職30%」というのは達成できない。
とにかく徹底した実力主義に基づいて、ダイナミックな抜擢人事を行わねば本物の女性活躍というのは実現しない。その際に弊害となるのが年功序列の考え方であり、これも過去のものとして決別すべきだ。
それは単に女性管理職を抜擢するためだけではない。産休制度、育休制度を正しく運用するにも、年功序列の考え方では弊害が大きすぎる。
例えば、入社6年目の社員が産休とそれに続く育休で2年半ほど休職したとする。厳密に年功序列を運用し、1年でも先輩というカルチャーを残している企業では、入社年次の序列は休職期間が「停止」という運用だ。
そうなると、6年目の社員が2年半後に復職すると、6年目か7年目の社員として位置づけられる。一方で、自分より1年後輩であった5年目の社員は同じ2年半後には8年目となっている。つまり上下関係が逆転することになり、休職前の後輩が今度は指示をする側に回る。これでは復職者のモチベーションは下がるし、後輩の側もやりにくい。
産休・育休・時短を「我慢期間」にしてはいけない
この問題は産休制度が普及し始めた90年代からあり、多くの場合は「元の先輩後輩関係」がそのまま復帰後に逆転しないように、復帰してきた人材を別の部署に回すなどの人事が一般的となっている。多くの場合は、これに産休・育休復帰者は時短勤務を利用することが多く、企業としては完全に「一軍の控え選手」どころか「二軍」扱いになってしまう。
昭和の時とは違い、現在の現場では中堅社員の給与水準は「夫婦の一方が働く」ことで家計を回せるようにはなっていない。したがって、産休・育休を取得した女性もよほどのことがない限りは離職しなくなった。
けれども、現状では、産休・育休に続く時短の時期を経て、子供が成長して「残業や出張ができる」ようになるまでは、ジッと我慢をして「大きく遠回り」をする。40代になって改めて実力を発揮して子育て経験のない同僚に追いついていくというパターンになっている。
この問題を解決するには、まず徹底した実力主義が必要だ。産休・育休・時短期間を経て復帰したとして、「長い間会社に迷惑をかけていた」のだから、「その間はフルに働いていた単身者など」よりは出世レースで遅れをとっても仕方がない、本人もそのように諦めて、周囲もそれで全体が収まると思っているケースが多いようだ。だが、これでは優秀な人材が埋もれてしまう。
そうではなく、年功序列を廃止して、休職期間も「オフJT」でリスキリングをして復帰後に十分に才能を発揮し、優良な業績を上げた人材は、育児期間のスローダウンを「減点」することなく、上級管理職に抜擢するなどの処遇をすべきである。とにかく、産休や育休を「取らずにずっと頑張った」という態度だけを評価して処遇するのは止めるべきだ。
時間の浪費でも、行かなければ人事評価はマイナス
2点目は、転勤、単身赴任、出張といった悪しき昭和の制度を徹底的に見直すということだ。まず転勤だが、希望するのであればいいが、希望に反して一方的に勤務地移動を命ずる人事が忠誠心の踏み絵として存在している。
さらに悪いことにスキルの育成などとは別に「転勤というハードシップ(苦難)を我慢した」ご褒美に高いポジションを与えるなどというのが、昭和以来の人事制度としてまだ多くの企業に残っている。こうした制度や価値観は一切止めるべきだ。
転勤命令に伴う単身赴任も、これだけ大規模で組織的なものは日本だけだ。要するに核家族の破壊であり、次世代に向けた家族のロールモデルをぶっ壊して、少子化社会を奈落の底まで連れて行く悪しきカルチャーである。
子育てとキャリアの両立に悩む若い核家族を分断して、否が応でもワンオペ育児を強いる悪習であり、社会的に総見直しがされるべきだ。少なくとも、優遇税制は全て廃止して制度的に出口へ誘導するぐらいやって良い。
転勤や単身赴任が少子化や女性活躍の「敵」だという認識は、それでも少しずつ広がってはいる。だが、出張の問題については十分に認識が広まっているとは言い難い。出張に関しては、どうしても必要な対外的な商談、設計や開発部隊による生産現場での確認、現地そのものへ踏み込んだ市場調査など、確かに必要なものもある。
だが、日本企業の場合は、この他に社内会議の出張というのが非常に多い。支店長会議であるとか、経営計画の発表だとか、新年度のスタートだとか、実務というよりも儀式的な意味合いの出張がある。問題が発生した場合に、ネガティブ情報に拒絶反応を持つ経営陣が担当者を呼びつける「謝罪出張」などというのも無駄である。
社内出張には、多くの場合は懇親会が伴うが、そこで交わされるのは新技術や経営環境に関する丁々発止の議論などではなく、多くの場合は社内政治の噂話など生産性とは無関係の時間の浪費に過ぎない。そして、そのような無駄な会合に限って、育児などの都合で出席できない人間は損をする仕組みがある。
例えば、ご褒美の「視察出張」などというのもあるが、時差のある海外などへ行く場合は前後1週間は家を留守にすることになる。こうした出張も、本当の効果は怪しいにもかかわらず、家族の事情で渋ると昭和生まれの管理職はネガティブな評価を下したりする。これも改めるべきだ。
地方で色濃く残る男尊女卑
3点目は、地方における男女格差の問題だ。高学歴の女性がUターンやJターンによって地方で就職すると、何の権限も与えられずに落胆するという話は、現在でも絶えない。
この結果として、どうしても優秀な女性は大都市圏に集中してしまう。これでは、女性活躍も少子化も劇的な改善は期待できない。
日本という国は、地方それぞれが特色ある伝統文化、食文化、言語、生活様式を維持している。その多様性が、そのままグローバルな社会に直接アクセスすることで、異文化接触のケミストリが生まれる中から、経済の再成長が期待される。東京一極集中には未来はなく、地方が直接世界と行き来する中で、初めてダイナミックな付加価値が創造できると言ってもいいだろう。
地方にはそのような潜在能力があり、その成否を決めるのはやはり優秀な女性を活かせるかどうかにかかっている。にもかかわらず、多くの地方政治家、地方財界人は男尊女卑の色濃く残る気風に対して、あえて改革の旗を上げようとしない。何とも情けない限りである。地方の経済社会の活性化こそ、日本が先進国に踏みとどまれるかの最後の一線であるにもかかわらず、こんなことではその一線をアッサリ割り込むことにもなりかねない。
問題は、地方における国政選挙や地方選挙では、どうしようもない世代間の人口格差により、結果的に高齢保守層の頑固な票を突き崩せないということだ。首長にも役所にも、また地方のメディアにも同じ構造がある。大都市圏以上に高齢者の発言権で強いコミュニティだからだ。
だが、世代が一巡するのを待っていては、それこそ多くの自治体は優秀な女性に見放され消滅してしまう。貴重な文化も失われ、日本経済の再成長へ向けた文化的資源も消滅するであろう。ここは、歯を食いしばって、「地方で女性が活躍できない」事例、理由を一つ一つ告発し、改善してゆくしかない。
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