かつて外資系企業に長く身を置き、現在は三菱マテリアル、資生堂、ヤマトホールディングスといった業界も男女比もさまざまな日系企業の社外取締役も務める得能摩利子氏に、今の日本企業の男女平等の現状をどう見るか、率直な疑問をぶつけた。
QUESTION 政府は女性管理職比率を30%以上にするという目標を掲げている。どう評価しているか。得能 私が社外取締役を務める資生堂グループは日本国内の女性管理職比率が2023年1月時点で37.6%となっている。これは決して数値目標を意識してこの比率になっているのではなく、能力で差配した結果であり、本来あるべき理想的な形だと言える。
ただ、資生堂のように管理職候補となる女性社員数が多い企業ばかりではない。男性社員が9割の会社からすれば、「女性管理職比率30%」という目標が不合理で無意味なものに思えるかもしれない。だが、そうした企業にも「これまで通りのままでいい」という考えを転換させる意味で、数値目標を掲げる意義はあると考えている。
もちろん、現実的に考えて、こうした企業がすぐに30%を実現することは困難であろう。それでも、目標を掲げることで、まずは5%から次は10%に、その次は20%に……と、30%に近づける動機付けにもなる。
女性管理職比率を上げるには、やり方次第でさまざまな方法がある。 理想は、入り口である採用の段階、次に中間管理職となる段階、そして、経営幹部を選抜する段階で女性の数を増やすことだ。こうした採用・昇進などの時期に合わせて何段階にも分け、それぞれにブレイクダウンした数値目標を設定するのである。
今すぐに30%を実現できなくとも、徐々に近づけるよう、ロードマップを描き、具体的な「数」を設定することで意図的にでも「裾野」を広げていくことが重要だ。
こうしたアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)に対しては賛否が分かれることは承知しているが、私は女性管理職比率を増やすためには有効な手段であると信じる。
これらはひとえに経営陣の〝揺るがぬ決意〟にかかっている。その決意を基軸に、先述した採用・昇進時などの地道な努力を織り交ぜていくのだ。
QUESTION
管理職に限らず、女性の数が増えることによって企業にもたらされる価値とは。得能 社会が変容し、人々のニーズも複雑化する中、「多様性」からしか生まれないような新しいアイデアや技術、製品、サービスなどが求められている。女性が増えることは、労働市場に参画する人口全体のパイが増えるということだが、それは単純な労働力の増強ではなく、新たな発想を生み出しうる存在が増えるということだ。
ただし、ここで誤解してはいけないのは、単に「女性」を増やしたからといって自動的に新しい発想が生まれるわけではないということだ。
日本企業では男性が女性に対して「女性の視点を生かした意見」「女性目線の提案」を求める場面がある。女性がいるほうが「女性目線」の商品開発などができるという発想かもしれないが、そこから離れる勇気を持つことも時には必要である。
そもそも、女性だから「女性の視点」「女性目線」を持っているわけではない。男性だってそうであろう。
あるのは「生活者」「消費者」の視点だと私は思う。その人ならではの「経験」から得られる視点と表現した方が正確かもしれない。
例えば、ある女性が「子育てをしていて、こんなことが大変と感じた」といった意見も、それはその時に子育てを「経験」していた「生活者」としての視点と捉える方が適切だろう。
男性だから、女性だから、という性差ではなく、「生活者」「消費者」として、さまざまな経験や視点を持つ人材が社内に増えることで、商品開発や販売、マーケティングなどさまざまな分野でビジネスチャンスが広がることは明白である。もちろん、経営や組織運営に関しても「女性」の視点は存在しない。
私は男女や人種、国籍に関係なく、多様な人材がいる外資系ラグジュアリーブランド企業にも長く身を置いてきた。日々のディスカッションでも、従業員が持つ多様なバックグラウンドからもたらされる視点は、日本人とはこうも違うものかと実感させられた。もちろん、意見のぶつかり合いは多く、議論慣れには時間が必要であるが、さまざまな意見が触媒になり新たな発想が生まれる素晴らしさを目の当たりにし、得難い経験をさせてもらった。
日本企業も、その重要性に気づいて変わり始めているが、中小企業も含めてさらなる変革を促すためには、多様性がもたらす価値を社会全体で認識し、共有することが必要である。
QUESTION
組織が変わりつつある中、働く側の人たちに求められていることとは。得能 日本では最近、男女問わず、責任を負うことを過度に避ける傾向があるように思う。私からしたら、非常にもったいないことだと感じる。商品、価格、マーケティング戦略などは部分ではなく、全体を見なければ分からないことが多い。実際、経営者になり、視界が開けて純粋に楽しかった。 なぜ欧米と日本人ではこうした違いがあるのか、海外での経験と比較したときに感じるのは「自己責任」に対する考え方だ。海外ではすべてが自己責任となるため、「自立」していることを前提にして物事を捉える。 誤解を恐れず踏み込んで言えば、日本の女性は、海外と比較して、自立心が薄いと感じることがある。自立とは、自らの力で食べていくために働くということだ。いまや男女で受けている教育は全く同じであり、格差もないにもかかわらず、社会に出るとなった瞬間に、女性は自立度が低くなることが少なくない。「男性が家族を養う」という戦後長らく続いた日本のシステムが女性たちをそうさせてしまった面も否定できない。ただし、女性を養う、守るというのは男性が女性を対等に見ていないということの証左でもある。 男女関係なく、個人として生きやすい社会をつくるには、やはり「男女平等」であることが不可欠である。 その上で、女性の意識改革も必要であろう。アファーマティブ・アクションに対する個人の複雑な感情を捨て、次世代の女性たちに対するノブレス・オブリージュ(高貴なる義務)として、一歩でも女性の地位向上に積極的にかかわっていくことが求められているのではないだろうか。 (聞き手/構成・編集部 梶田美有)
得能摩利子,梶田美有