学術会議と政府 文書の開示を速やかに(2024年3月1日『東京新聞』-「社説」)

 菅義偉首相(当時)に日本学術会議会員への任命を拒否された学者らが、判断過程を記した公文書を開示しないのは違法だとして、東京地裁に提訴した。同会議は独立機関であり人事への政治介入は許されない。政府は裁判で争わず速やかに文書を開示すべきだ。
 日本学術会議法は「政府から独立して職務を行う」と規定する。真理を追究する学問の世界は、政治権力から独立していなければならない。政治に迎合すれば、真理の姿も歪(ゆが)められてしまうからだ。人事の上でも独立性を担保することが必須条件である。
 1983年に当時の中曽根康弘首相が「政府が行うのは形式的任命にすぎない」と国会答弁したのも独立性を担保するためだ。同様の答弁は何度も繰り返され、確立された政府解釈となっていた。
 それを破ったのが2020年の任命拒否である。学問の自由などを侵すとして約1300もの団体が抗議声明を出したが、政府は任命拒否を撤回せず、説明責任を果たさないまま今日に至る。
 政府は公文書の開示請求に「不存在」「公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼす恐れ」を理由にほぼ「不開示」と決定した。任命拒否の経緯や理由、根拠が不明のままだったため、不開示は違法として当事者の学者6人や法学者ら計169人が提訴に至った。
 文書が作成・保存されていなかったとしたら、行政手続法や公文書管理法、情報公開法などに反し「違法な不作為」に当たるとしている。同感だ。
 行政は国民主権を原理とし、公正性や透明性、説明責任の3原則で動く。任命拒否はこの原則を踏みにじっているからこそ、問題がくすぶり続けるのだ。
 原告の記者会見では開示された公文書も公表された。6人の氏名と肩書にバツ印が書かれ、菅首相が任命拒否を決裁する約3カ月前、安倍政権当時に官邸側から学術会議事務局への伝達内容を記録した文書という。開示がこれだけでは不十分である。
 原告側が「重大な政治判断をした以上、判断過程や基準が明らかにされないのは不合理で許されない」と述べたのは当然だ。
 かつ6人は「優れた研究または業績がある科学者」であることを政府に否定された状態。人格権の上でも負の評価を背負わされている。早急な名誉回復が必要だ。