株最高値、今回はバブルにあらず 89年と違う企業と個人(2024年2月25日『日本経済新聞』)

編集委員 鈴木 亮

 

 


終値で史上最高値を付けた日経平均株価について報じる街頭ニュース(22日、東京・渋谷)

日経平均株価が22日、1989年に付けた過去最高値の3万8915円を上回った。過熱感を心配する声もあるが、89年当時と今を比べると、あらゆる状況が違っており、今の株高は実績に裏付けられた、堅実な上昇だ。日経平均の過去最高値到達は、まだまだ通過点とみていい。


1989年末の株式市場関係者は日経平均史上最高値の高揚感にわいていた(1989年、東証大納会の様子)

あのころ、東京証券取引所には立会場があった。筆者も最高値を付けた日の大納会、当時は半日立ち会いだったので、午前11時過ぎ、立会場の手締めの輪に加わっていた。東証8階の兜クラブでは、昼間からビールが振る舞われ、つまみは相場が上がるようにと験を担いで唐揚げ、コロッケなどが並んでいた。大手証券の広報担当者も顔を出し、「来年の日経平均は4万5000円ですね」などと明るい展望が語られていた。まさか翌90年、半値に近い2万円割れ寸前まで急落するとは、誰も想定していなかった。

今から思えば、89年末はいびつな株高だった。日経平均ベースの予想PER(株価収益率)は62.58倍と今の(22日終値ベース)16.47倍に比べ、大幅に高い。予想1株あたり利益(EPS)は622円と、今の2373円の4分の1程度、予想配当利回りは0.38%と今の1.73%に比べて大きく見劣りする。

個別銘柄のPERを見ても、三菱重工業が51倍台、日立製作所東芝が40倍台、新日鉄が65倍台、丸紅伊藤忠商事は100倍を超えていた。高いPERを正当化するため、証券業界はQレシオと呼ばれる投資指標を生み出した。 株価を1株あたりの実質純資産で除したもので、帳簿上の純資産の含み益を加算して算出した。当時の含み資産といえば不動産だ。東京湾周辺に工場跡地など巨大な土地を持つ企業、例えばNKK、川崎製鉄や、東京ガスなどがウオーターフロント銘柄とはやされた。

1989年、不慣れな個人投資家と資産運用に走る企業

89年末の朝刊記事にもあるように、当時は個人投資家が十分な知識もないまま、株式に資金を投じていた。外国人投資家の参戦は少なかった。買いの主力の一つが企業だった。企業の買いといえば、今なら自社株買いを連想するが、当時は違う。特定金銭信託やファンドトラストと呼ばれる資産運用に、企業は走った。本業の事業利益よりも、運用益の方が大きい企業は珍しくなかった。

当時はエクイティファイナンスと呼ばれる資金調達が盛んだった。転換社債、ユーロドル建てのワラント債(新株引受権付社債)の巨額発行が目白押しだった。10億ドル規模のワラント債転換社債も3000億円など大型で、いずれ株式に転換されるので需給悪化要因なのだが、お構いなしだった。調達した資金を設備投資や研究開発投資に充てていれば良かったのだが、これらの資金の多くは運用に回った。証券会社は資金調達と資金運用をセットで企業に提案し、運用成果をこっそり保証する例まで出始めた。バブル崩壊後、約束した利回りは達成できず、証券会社は損失補塡を余儀なくされ、後に大きな社会問題となる。


証券会社による損失補塡はバブル崩壊後の大きな問題となった(損失補塡について会見する関要・日本証券業協会専務理事㊨、1991年7月29日、東証

株が上がるから買う、買うから上がる。週刊誌やテレビのワイドショーは株高の話題で盛り上がり、投資初心者が好景気で手にしたボーナスを株につぎ込んだ。大手証券会社の1年目女性社員のボーナスが、長年メーカーに勤務する父親のそれを上回ったなどと話題になったのも、このころだ。89年は日銀が不動産バブル潰しで利上げを開始していたのに、株価は逆行するように上がり続けた。

こんなめちゃくちゃが、いつまでも続くはすがない。90年、年始から下落が止まらない日経平均は、4月に3万円を割り込む。5月にいったん3万3000円台まで回復し、「やれやれ、これで下落局面も終わった」と兜町には安堵の空気が流れたが、本当の地獄はそこからだった。以後は、小手先の対策が次々と出たが、効果は一瞬で株価下落は止まらなかった。PKO、プライス・キーピング・オペレーションと呼ばれた公的資金による株価買い支えも、空売り規制も効かなかった。まるで今の中国をみているようだ。2009年に日経平均は7000円割れ寸前まで追い込まれた。


終値バブル崩壊後の最安値を更新した日経平均株価(2009年3月10日、東京・日本橋

翻って、今の株式相場は89年当時とは、何から何まで違う。62倍台のPERは16倍台と大幅に低下した。配当利回りは4.6倍になり、時価総額は606兆円から932兆円に増えた。89年末の時価総額上位には日本興業銀行、第一勧業銀行など大手銀行が並んでいた。当時の株高要因の一つが、株式の持ち合いだった。お互いに安定株主として保有し、決して売却しない。銀行は取引先企業と株式を持ち合い、大手生保は保険の大口法人顧客となる企業の株式を保有した。今は持ち合い構造がどんどん見直され、今年に入って、金融庁が損害保険会社に政策投資目的で保有する株式の売却を促している。

2024年、過熱感なき堅実な株高

かつて手元資金を株式や不動産につぎ込み、巨額な損失を負った企業は今、自社株買いなどの株主還元や、大型M&A(合併・買収)などの成長戦略に資金を使い始めた。大幅な賃上げは続きそうだし、企業業績は3期連続で過去最高益を更新する。こうした改革を評価する外国人投資家が日本株を買っている。外国人投資家が日本の変化を評価したことは、これまでもあった。2003年の小泉構造改革、2013年のアベノミクスだ。今回、岸田内閣は大して貢献しておらず、民間主導の改革であることを評価したい。


新NISAを説明するポスター

暗い時代が長かったから、日経平均が過去最高値を更新すると、「こんなに上昇するのはおかしい。こわい」と感じる市場関係者もいるだろう。マクロ経済はデフレから脱却できても、染みついた心のデフレ、マインドのデフレはなかなか払拭できない。日経でもバブル当時の兜町を取材し、今もなお取材の現場にいる記者は数人しかいない。証券会社の役員も平成入社組が大半で、筆者がかつて直接取材し、今も証券経営の第一線にいるのは、大和証券グループ本社の日比野隆司会長くらいだ。

それでも今年に入って、新たな少額投資非課税制度(NISA)を通じ、6000億円もの新規資金が日本株市場に流れ始めた。コツコツと積み立てNISAで将来に備える今の個人は、何の知識もないまま、儲かりそうだからと、株を買っていたバブル時代の個人とは大違いだ。89年当時のバブルに比べたら、今はバブルとは呼べない、地に足がついた堅実な株高だ。これが日経平均3万8915円は通過点だと考える最大の根拠だ。