文春松本騒動…竹中平蔵「便所の落書きに反応する人が問題だ」私も何度も嘘を書かれ「全部弁護士が確認」 ”日本の読者レベルの低下ににため息”(2024年2月23日) 

私もこうした週刊誌報道に悩むことはありました

社会に不満を持った人たちが溜飲を下げるために読んでいる

私は200兆円も不正に利益を得ていると嘘を書かれた

 たしかに日本には規制が多すぎるので、規制を緩和しましょうとは言っています。ですが、規制しなくてはいけない部分もいっぱいあるわけです。私が小泉純一郎政権の金融担当大臣をしたときに、規制を強くすることによって不良債権を処理したのです。それなのに私を新自由主義者だと決め付けるのは切り取り報道ですよね。

 それに私が不正に利益を得ているという報道も何度もありました。最高額は200兆円でした。私のどこにそんな金があるっていうんですか。私が格差を広げたともいわれますが、格差を測るジニ係数は私が内閣にいた期間は下がっていました。そのことはOECDの報告書にも書いてあります。非正規雇用を私が増やしたといいますが、90年代からずっと増えていました。そもそも私は厚生労働大臣をやっていません。またパソナ会長時代に利益誘導したこともありません。

 そういう私のデタラメを書いている記事を読めば不愉快になりますので、私は読まずに弁護士に渡すようにしています。訴訟できるかどうか見てもらっています。ただ、書く側もプロで、嘘だとわかって書いているわけですから、巧妙に"地雷"を踏まないように、自分たちに法的責任が及ばないように書いてはいるのです。例えば匿名関係者の発言を引用したり、断定を避け「●●の可能性がある」と書いたり。なので訴訟まで至るのはごくわずかです。

ゴシップ記事が溢れかえる社会は健全ではない

 ただ繰り返しますが、こうしたゴシップ記事が溢れかえる社会は健全ではないです。かつての便所の落書きが社会全体に一気に拡散する世の中って本当に必要なのでしょうか。社会的に責任のある立場にある人であれば、私生活に関してもある程度は明らかにされても仕方ない面はあります。ただし、あとは受け取る側の問題で、「まあ、そういうことがあるよね」とか、「でもそれは夫婦の問題だよね」と、読者側にも割り切る能力は必要です。それができないのが今の日本です。単純に日本は読者レベルが低下してきたのです。

 一方で、今の日本のマスコミに関しては、最近はしっかりとジャーナリズムをやっている報道機関が少ないように思います。ジャーナリズムというのは権力から独立していなくてはいけないのと同時に、大衆からも独立していないといけないのです。「こう書いたら、大衆は喜ぶだろうな」と記事をつくるのはジャーナリズムではありません。

「大衆から距離をとったらお金をつくれない」と思うマスコミ関係者は多いでしょう。しかし、それはあなた方が「大衆から距離を置くメディア」の価値を理解していないからではないでしょうか。なぜ今はテレビを観られなくなり、新聞も読まれなくなったか、それは大衆から距離を置いていないからです。大衆を媚びようとしてもYouTubeほどには面白くはなりません。

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竹中 平蔵

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