私もこうした週刊誌報道に悩むことはありました
昨今、お笑い芸人・松本人志さんの週刊誌報道が話題です。私と松本さんは一度すれ違ったことがある程度の関係でしかありませんが、私もこうした週刊誌報道に悩むことはありました。 いわゆるゴシップ記事の社会的ニーズは高いです。ですが、ゴシップ記事が溢れる社会が良い社会かというと、そう思いません。人の不幸を喜ぶ、私生活をのぞき込む……。それって不健全なことではないのでしょうが、社会にはそういう部分はあります。とくに人々の不満が募れば募るほどそういったニーズは増大していきます。
つまり今の日本は社会の不満が高まっているのです。株価がバブル期以来の過去最高を更新し続けている一方で人々の実質賃金はおよそ2年にわたり下がり続けています。相対的に貧乏になり続けているのです。その根本原因は日本の成長力が低まった「失われた30年」にあり、雇用の流動性を失った経済で、企業も家計も政府からの補助金に頼るようになり稼ぐ力を失ったのです。政府の負担が増せばそれは税金にも転嫁され、国民の不満を更に高めることになっています。
社会に不満を持った人たちが溜飲を下げるために読んでいる
話を戻すと、こうしたゴシップ記事とはそうした社会に不満を持った人たちが溜飲を下げるために読んでいるのです。はっきり言えば、読む人がいなければ週刊誌などは経営が成り立たなくなるわけですから、そもそも読む人にも責任があります。社会がいくら暗くても、それぞれやりがいを持って生きていたら、そんな芸能人のゴシップなどどうでもいいと思うのですよね。読む側に、自分なりに明確なやりたいことがあって、それに向かって努力していたら、それが成功しつつあったら、そんな他人の私生活を暴くような記事に「いいね」なんてしません。
さて、私も何度も"嘘"を書かれました。例えば私が「アメリカの資本と繋がっている」とか「アメリカ原理主義者だ」とか。あと「新自由主義者だ」とかですね。普通に経済学を勉強している人間だったら、市場を開放するとか、できるだけ自由を与えるべきと思うのは自然のことですよね。さらにそれだけで社会全体の全てが良くなるなんてことも一言も言っていません。
私は200兆円も不正に利益を得ていると嘘を書かれた
たしかに日本には規制が多すぎるので、規制を緩和しましょうとは言っています。ですが、規制しなくてはいけない部分もいっぱいあるわけです。私が小泉純一郎政権の金融担当大臣をしたときに、規制を強くすることによって不良債権を処理したのです。それなのに私を新自由主義者だと決め付けるのは切り取り報道ですよね。
それに私が不正に利益を得ているという報道も何度もありました。最高額は200兆円でした。私のどこにそんな金があるっていうんですか。私が格差を広げたともいわれますが、格差を測るジニ係数は私が内閣にいた期間は下がっていました。そのことはOECDの報告書にも書いてあります。非正規雇用を私が増やしたといいますが、90年代からずっと増えていました。そもそも私は厚生労働大臣をやっていません。またパソナ会長時代に利益誘導したこともありません。
そういう私のデタラメを書いている記事を読めば不愉快になりますので、私は読まずに弁護士に渡すようにしています。訴訟できるかどうか見てもらっています。ただ、書く側もプロで、嘘だとわかって書いているわけですから、巧妙に"地雷"を踏まないように、自分たちに法的責任が及ばないように書いてはいるのです。例えば匿名関係者の発言を引用したり、断定を避け「●●の可能性がある」と書いたり。なので訴訟まで至るのはごくわずかです。
ゴシップ記事が溢れかえる社会は健全ではない
ただ繰り返しますが、こうしたゴシップ記事が溢れかえる社会は健全ではないです。かつての便所の落書きが社会全体に一気に拡散する世の中って本当に必要なのでしょうか。社会的に責任のある立場にある人であれば、私生活に関してもある程度は明らかにされても仕方ない面はあります。ただし、あとは受け取る側の問題で、「まあ、そういうことがあるよね」とか、「でもそれは夫婦の問題だよね」と、読者側にも割り切る能力は必要です。それができないのが今の日本です。単純に日本は読者レベルが低下してきたのです。
一方で、今の日本のマスコミに関しては、最近はしっかりとジャーナリズムをやっている報道機関が少ないように思います。ジャーナリズムというのは権力から独立していなくてはいけないのと同時に、大衆からも独立していないといけないのです。「こう書いたら、大衆は喜ぶだろうな」と記事をつくるのはジャーナリズムではありません。
「大衆から距離をとったらお金をつくれない」と思うマスコミ関係者は多いでしょう。しかし、それはあなた方が「大衆から距離を置くメディア」の価値を理解していないからではないでしょうか。なぜ今はテレビを観られなくなり、新聞も読まれなくなったか、それは大衆から距離を置いていないからです。大衆を媚びようとしてもYouTubeほどには面白くはなりません。
大谷翔平の愛犬「デコピン」にほっこりしてしまう
統一教会問題が連日ワイドショーで報じられた時も私はウンザリしました。統一教会の関係者でもなんでもありませんが、まるで魔女狩りのように「統一教会は悪い存在である。そこで講演したり、応援したりした議員は全員悪い人間だ」と大衆に媚びていました。霊感商法の被害件数は減少傾向にありました。不正や寄付を強要するような問題も出てきましたが、それは自民党の政治家の問題ではありません。取り締まりをしていたなかった当局側の問題であり、批判するべき対象は取り締まりの枠組みではないでしょうか。
ただ私は大衆メディアの存在そのものを否定しているわけではありません。プライバシーの侵害とか名誉棄損にならない範囲でやる分には問題ないでしょう。「例えばドジャーズの大谷翔平選手が犬を飼った」「名前はデコピンだ」「ぬいぐるみを食いちぎった」というのはジャーナリズムではありませんが微笑ましいじゃないですか。私もよく読んでいますし、ネットで大谷選手の大活躍をみることで活力を得ています。
竹中 平蔵