週刊文春が報じた、お笑いコンビ「ダウンタウン」松本人志の性的強要疑惑を巡り、各界の識者がさまざま論じているが、科学的な知見から最新のメディア報道を読み解く。(イトモス研究所所長 小倉健一)
● 賛否渦巻く「松本問題」
私はこう考える 松本人志氏の「過去の性行為を目的とした合コン」疑惑と、その後の文春を中心とする週刊誌報道を巡って、日本中で賛否が渦巻いている。文春の特集ともなった<松本問題「私はこう考える」>を、みんなでやっているようなものだ。私も宴席などへ赴くと、他に話すこともあるだろうと思いつつも、ついつい<松本問題「私はこう考える」>をやってしまうものだ。
今回は、<松本問題「私はこう考える」>を含めたメディア報道について述べたい。<松本問題「私はこう考える」>をこう考える、ということである。
「私はこう考える」という特集記事を最初にやり始めたのが、現在、月刊Hanada編集長の花田紀凱氏だと言われている。週刊誌編集長にとって、反響の大きい特集を毎週、毎週、続けていくことで部数を伸ばすというのが常とう手段である。しかし、毎週、毎週、特集を続けていくとネタ不足になる。それを埋めるのに使うのが「私はこう考える」特集である…というようなことを、花田氏から直接聞いたことがある。
今回の文春も、そうしたビジネス面からの制作だった可能性があるが、松本問題という賛否が大きい記事であることから、興味を引く特集となったのではないだろうか。 まず、前提となる話を提供しておいた方が良さそうであろう。
「松本問題」は、今後、どういう流れに進んでいくかということだ。これは1月24日号の週刊新潮が非常にわかりやすかった。松本裁判の行方は「文春だけが“一人勝ち”する」様相だ。
● 「文春だけが “一人勝ち”する」理由
<性的被害があったのかどうかを当事者間で争う裁判であれば、法廷ではストレートに「同意の有無」が争点になってきますが、あくまで今回は報道した側、文春が記事で松本さんの名誉を毀損したかどうかの裁判です>(弁護士の上谷さくら氏のコメント。週刊新潮)
これがどういうことかといえば、週刊文春は、一連の報道で、松本人志氏の行為を「性加害」とはしていない。後輩芸人が女性を高級ホテルへと集め、その日、その場で、性行為に及んだこと、参加した女性が嫌な思いをしたことが記事になっている。
文春側が裁判で示す必要があるのは、「自分たちが女性の証言が真実であることを確認するために精いっぱい取材したかどうか」であり、この点については違法性が認められることはほとんどないということだ。
しかし、事件は9年前で、訴え出た女性の証言の裏付けとなるような録音や物的証拠など、決定的な証拠が出なければ、裁判所が「性加害」を認定するかは微妙なところだ。
松本氏がXにも投稿した、女性が行為後に後輩芸人のLINEへ送ったお礼の文面については、元東京地検特捜部副部長で弁護士の若狭勝氏のコメントとして「性被害者が、加害者にお礼のメッセージを送ることは、精神的ショックをなかったことにしようとする被害者特有の心理の表れとして、刑事事件でもよく見受けられます」(週刊新潮1月24日号)というから、この証拠だけで松本氏も自分の行為が「性加害」ではなかったと証明することも難しいということだ。ゆえに、「文春だけが“一人勝ち”する」可能性が高いということだ。
● その場の雰囲気で受け入れたが 「後から嫌な感情に襲われた」女性もいる
月刊文藝春秋電子版(1月19日配信)では、作家で社会学者の鈴木涼美氏と三浦瑠璃氏が『松本人志は「裸の王様」だったのか』と題する記事で対談をしている。 彼女らにとって、女性にとっての性行為は<その場の雰囲気で受け入れてしまったけれど、実は嫌だった。さらに言えば、彼女にしてくれると思ったら一夜限りで、後から嫌な感情に襲われた女性もいると思う>(三浦氏)、<そもそも性行為自体、一対一であっても、後から意味が変わるものです。「その時は喜んでいたのに、時代や自分の気分が変わったからといって告発する女性が悪い」というセカンドレイプ的発言をしている勢力に材料を与えかねないので、慎重に言わないといけないのですが、実際そういった面はある>(鈴木氏)なのだという。
男の立場からすれば、実に困った事態だ。性行為をしておいて、後から女性が「性行為の意味合いを変える」のはOKなのだ。
「国際政治学者」として活躍する三浦氏は、同記事で<近年、各国のハラスメントを巡る問題では、「権力勾配」の問題が指摘されています。/松本人志さんを巡る議論では、権力勾配が2つ指摘されていますね。一つは、告白している女性の中にはタレントの卵がいて、芸能界の大物との間に立場の差がありすぎるのではないかと。もう一つは、飲み会をセッティングしたとされる後輩芸人と松本さんとの間のヒエラルキーです>というが、非常にバランスを欠いた指摘に思える。
● 6年以上にわたって 無罪の人間がキャリアを追われた
ちょっと検索すれば、すぐにわかる問題だが、アメリカで起きた「#metoo」運動などで、確かに権力を利用した「極悪な性加害」の実態が明らかになったのは事実だ。
しかし、ハリウッドで実力派俳優だったケビン・スペイシーは、2001年から2013年の間に4人の男性に性的暴行をしたなどとして計9件の罪で訴追されていたが、「12時間以上の審議の末、サザーク刑事法院の陪審団は、性的暴行の罪7件、同意なしに性的行為に及んだ罪1件、同意なしに挿入を含む性行為に及んだ罪1件の計9件の罪状について、無罪評決を言い渡した」(BBC)。
実に6年以上にわたって、無罪の人間が、キャリアを追われたのである。「権力勾配」の問題を持ち出すだけでなく、権力がある側が必要以上に過剰な攻撃にさらされることを踏まえる必要もまたあるのではないだろうか。
● 賠償金に何億円もかかるのであれば ジャニー喜多川氏の性犯罪は明るみに出ていない
橋下徹氏は週刊文春電子版(1月31日配信)で、「名誉毀損認定の際の賠償額はもっと引き上げるべきです。アメリカでは、先日、トランプ前大統領に約123億円もの名誉毀損の賠償額を負わせる判決がありました」という。橋下氏のこの意見に追随する有識者も多い。
しかし、まず、大統領と報道機関をごっちゃにすべきではない。さらに、大事なのは真実であり、賠償金ではない。賠償金を上げれば、当然、報道機関は報じる自由を失う。賠償金が何億円もかかるものであれば、ジャニー喜多川氏の男児性虐待問題がここまで明るみに出ているとは思えない。橋下氏は公職から離れているというのに、言論の自由、表現の自由の大切さが理解できないのだとすれば、残念だ。
「文春がやりすぎ」だという有識者も多かったが、むしろ、文春が取材した事実を隠していることの方が私は怖いと思う。真実は可能な限り、私たちの目に見えるテーブルの上に出してほしい。権力者、公職者、オピニオンリーダーが相手ならなおさらだ。
● 男性も女性も性的な欲求の パターンがかなり似ている
話がそれたが、まとめに入ろう。「私はこう考える」の一連の特集や記事で一番印象に残ったのが、FLASH(2月6日号)に掲載されたフェミニスト・田嶋陽子氏のコメントだ。
<「女はただの“穴と袋”だ」と見ているんでしょう。時代遅れですよ>
報道されているように、その日、その場で、松本氏が性行為を始めたのが事実ならば、当時の松本氏の劣情を表す、最も適切な表現だと感じた。ただ、田嶋氏のコメントは、松本氏にのみに批判の矛先があるようにも思うが、「愚かな男」すべてに向かっているようにも見える。
確かに、男は愚かな動物である。しかし、同時に、女性だって、男性を性的な対象としてみることもあるだろう。米ニューヨークタイムズ紙(2023年10月15日)では、『男性の自慰行為の頻度が女性よりも高いことを示唆するデータはあるが、女性がセックスを欲していない、あるいは男性が常に欲しているというのは事実ではない』として、最新の研究調査「Does Sexual Desire Fluctuate More Among Women than Men?」(エミリー・A・ハリスら)の中から「男女の欲望の変動は一週間を通じて非常に似ていることがわかった」と結論付けている。同研究データでは次のようなことも述べていた。
「よく、男性の性的経験は生まれつきの、生物学的な衝動が原因で、常に性欲が高いと言われます。それに対して、女性の性的な感じ方は、人間関係や社会的な状況に応じて変わると見られがちです」
「私たちの研究でわかったのは、短期間で見ると、男性も女性も性的な欲求のパターンがかなり似ているということです(ただし、長期間で見ると、女性の欲求の変動がもっと大きい可能性があります)。男性も女性と同様に、性に対する欲求が変わり、ストレスを感じるなどの一般的な感情状態や、パートナーとどれくらい親密に感じるかなどの、関係に関する状態によって影響を受けます」
「刹那的な性衝動」は男性だけに起こるのではなく、また、性行為の相手との「関係に関する状態」によって性に対する欲求が変わるというのは女性に限った現象ではないようだ。
フェミニストに、「おまえは『女をただの“穴と袋”だ』としか見てないだろう」とののしられれば、震えるしかないが、男女の性差を論じていく上で、科学的な知識は不当な偏見を吹き飛ばしてくれるだろう。
小倉健一