女優の山本陽子さん
恋、日活の先輩、後輩、友…山本陽子さんを巡る相関図
1984年7月、テレビ朝日「海よ眠れ」制作発表での(左から)高橋英樹、山本陽子さん、原作者の澤地久枝氏(沢地久枝)、南田洋子さん
テレビ朝日「黒革の手帖」の制作発表で笑顔をみせる山本陽子さん(右)と萬田久子(1981年撮影)
日本テレビ「二度目のさよなら」制作発表に出席した沖田浩之さん(左)と山本陽子さん(1984年撮影)
山本陽子が81歳で死去、「おはん」「放浪記」ほか出演(2024年2月22日『ステージナタリー』)
山本陽子が2月20日に死去したことを、所属事務所の三陽企画が発表した。81歳だった。
「おはん」(1988年上演)より、山本陽子。
「放浪記」(2009年上演)より。
「おもろい女」(2015年上演)より。
山本のおいである、三陽企画の日塔謙太郎代表取締役は「亡くなる数時間前まで一緒におり、いつもと変わらぬ様子で帰宅の途へついたので、所属事務所代表であり、家族でもある私自身いまだに信じられません。死因は帰宅直後の急性心不全でした」と明かす。
また日塔代表取締役は、山本が4月に出演予定だった「そして誰もいなくなった」に触れ、「今回このようなかたちで皆様へ突然の訃報をお知らせすることになったのは残念でなりません。4月公演、アガサ・クリステイー原作の舞台『そして誰もいなくなった』の稽古を間近に控え、台本と向き合う日々でした。やり遂げられなかったこと、共演者、公演関係者、観劇予定のお客様へご迷惑をお掛けすることになったことは大変申し訳なく思いますが、今頃本人は向こうで『こっちの話し方のほうがいいかしら?』などと役作りに励んでいることと思います。
常に傍らにいた私から見ても最期の瞬間まで自由に生きた幸せな人生でした」と述べた。さらに「家族として、所属事務所代表として、これまでの皆様からのご支援、ご声援に心より感謝を申し上げます。
なお、故人の遺志により、葬儀は親族のみで執り行わせていだだきますことお赦しください。知人・友人の多い故人でしたが、供花、香典、弔電等もご辞退申し上げます。日をあらためてお別れ会を企画させていただければと思います」とコメントした。
山本は、1942年生まれ。1963年に日活第7期ニューフェイスに合格し、芸能界へ。舞台では「おはん」「放浪記」などに出演。近年の舞台出演作に「おもろい女」「仮縫」「祇園の姉妹(ぎおんのきょうだい)」など。