最後の開催となった「蘇民祭」で、かけ声を上げながら境内を練り歩く男衆(共同)
■2月19日 いまをときめくドジャース・大谷翔平の出身地は岩手県奥州市。2006年2月20日に水沢市、江刺市、前沢町など5市町村が大合併して誕生した。大谷が生まれたときはまだ水沢市だった。かつては小沢一郎衆院議員(立民)の選挙区で「小沢王国」ともいわれた水沢には「蘇民祭」で知られる黒石寺(こくせきじ)がある。
下帯姿の男衆たちが押し合いへし合い、手にすると無病息災が約束されるという「蘇民袋」の争奪戦を繰り広げるこの奇祭も、17日が最後だった。729年に東北地方初の寺院として行基が開いたとされる名刹(めいさつ)で、祭りも1000年以上続いていたという。
争奪戦はあらかじめ登録している人に限られ、寺によると例年の3倍近い約270人。地元青年団らを合わせて300人ほど。TBSの夜の「ニュースキャスター」で生中継され脚本家の三谷幸喜さんからは「生だからポロリがあるかも」と、神事にはそぐわぬコメントも飛び出した。「警察の目もある。ポロリが見えた時点で終わり」と寺の関係者。
これほど注目を集めた祭りも檀家の人たちが高齢化し運営が難しくなって歴史に終止符を打つことになった。この日は岡山市の西大寺でも五穀豊穣を願う「裸祭り」が開かれた。1万人近い裸の男たちが湯気をあげながら、投げ入れた2本の「宝木(しんぎ)」を巡り激しい争奪戦を繰り広げた。
こちらの祭りの起源は1510年頃とされ、国の重要無形民俗文化財に指定されている。その倍も歴史がある「蘇民祭」が高齢化や担い手不足で消えていくことに納得がいかない人も多いのではないか。1000年の重みをもう一度考えてみてはどうだろう。(今村忠)
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蘇民祭体験ルポ 男衆のるつぼでもみくちゃになって感じたこと 1000年の伝統行事、これが本当に最後なのか?(2024年2月19日『河北新報』)
冷気にさらされながら「ジャッソー」「ジョヤサー」
午後5時過ぎ、下帯姿で休憩小屋を出た。日中の最高気温は平年を6度近く上回ったとはいえ、風が吹くとかなり寒い。
庫裏の庭を埋め尽くす男衆の群れ。西の山並みの残照がほぼ消えるころ、先頭が動き出した。寺の下を流れる瑠璃壺(るりつぼ)川で身を清める「夏参り」だ。「蘇民将来」と唱え、水を3度かぶる。「ジャッソー」「ジョヤサー」。掛け合う叫びがひときわ高まる。声を出さないと冷気に心が折れてしまいそうだ。
夏参りの後は本堂などに参拝。これを3巡する。次で終わりと安堵(あんど)した時、隣の青年が残念そうにうめいた。「あと1回だけか」。全てが一度きりの貴重な瞬間なのだ。1000年の営みに改めて思いをはせた。
小屋で2時間ほど暖を取る。9時半ごろ、蘇民袋争奪戦に向かう。本堂は男衆でぎっしりだ。袋を目指し密集が渦を巻く。体が浮き上がる。肘、膝、頭、顔、ひげ…。あらゆる部分が押しつけられる。人いきれが満ち、全身は汗まみれ。痛みと熱気で気が遠くなる。蘇民袋にさわることは何とかできた。
もみ合いは1時間以上も続いただろうか。最後まで袋を握った男が取り主に決まり、祭りは終わった。あいさつや宣言はない。例年と同じ終わり方だという。
古代からの文化、再生に期待
「本当に最後か。終わる感じが全くない」。記者を受け入れた休憩小屋を仕切る奥州市の飲食業近藤一大さん(59)が高揚した表情で言った。「寂しさはじわじわ来るのかも。これだけ多くの人が支持する祭り。なくすのは惜しい」
肉、魚、乳製品などを断つ精進を1週間続け、下帯だけで寒気の中に飛び出す。小屋で酒を酌み交わし、参加者同士が語らう。励まし合う。新鮮ですさまじくも素晴らしい体験だった。一部で思われるような際物的な祭りでは決してない。真摯(しんし)な思いが支える古代からの貴重な文化だ。
祭りは当日だけではない。1カ月ほど前から宗教的な行事が続き、檀家(だんか)だけが執り行えるとされる。少子高齢化での終焉(しゅうえん)は時代の流れなのだろう。
それでも「またいつかは」と思いたい。体験したのは歴史の終わりではなく、再生の始まりだったのかもしれない。