名門・米ボストン交響楽団の音楽監督を務めたほか、オペラの最高峰であるウィーン国立歌劇場の音楽監督に東洋人で初めて就任し、「世界のオザワ」と呼ばれた。
その姿は、多くの日本人を勇気づけてきた。日本のみならず世界の音楽界に残した足跡は大きい。その遺志を次代に繫(つな)いでいかなければならない。
昭和10(1935)年、旧満州国奉天(現・中国瀋陽市)に生まれた。幼少期からピアノを学び、桐朋学園で指揮者の斎藤秀雄氏に師事した。
34年に単身、渡欧して若手指揮者の登竜門である仏ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、頭角を現した。カラヤンやバーンスタインといった巨匠の薫陶を受け、研鑽(けんさん)を積んだことが後の飛躍につながった。
36年にニューヨーク・フィルの副指揮者に抜擢(ばってき)されて以降、世界のひのき舞台で活躍した。ベルリン・フィルなど欧米の名門オーケストラを率いて名演を披露し、評判を呼んだ。
ファンを魅了したのは、卓越した技術と全身を使った気迫あふれる指揮、情熱的な表現だ。加えて、曲への理解の深さと圧倒的な情報量は音楽家をも引き付けた。そこには、巨匠となっても早朝から譜読みを続けるたゆまぬ努力があった。
国内外の個性豊かな演奏家たちを束ね、たちまちオーケストラをまとめ上げるカリスマ性は小澤氏独特のものである。一方で気さくで飾らない人柄でだれからも愛され、業界内外の幅広い交流で知られた。
特筆すべき功績の一つは、次世代の育成に尽力したことだろう。師の名を冠した「サイトウ・キネン・オーケストラ」を創設し、毎夏、長野県松本市で音楽祭を開いた。世界から若手が集う修業の場となった。日本の教育プロジェクト「小澤征爾音楽塾」やスイス国際アカデミーなどでも自らの経験を惜しみなく伝え、交流を楽しんだ。
平成20年に文化勲章受章、23年に第23回高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。晩年は病気と闘いながらの音楽活動だったが、情熱は衰えなかった。
日本の音楽界の損失は計り知れないが、続く世代はいる。小澤氏が拓(ひら)いた道を受け継ぐ音楽家の奮起に期待したい。
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世界のクラシック音楽界に大きな足跡を残し「世界のオザワ」と呼ばれた小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが6日、心不全のため東京都の自宅で死去した。88歳。旧満州(現中国東北部)出身。葬儀・告別式は近親者で行った。後日、お別れの会を開くことを検討している。国境や世代を超えて愛されたマエストロだった。
情熱的な指揮で世界中を魅了した小澤さんが旅立った。関係者は「呼吸が乱れることもなく、静かに息を引き取られたと聞いています」と明かした。
“華麗なる一族”を良好な関係で率いたことでも知られた。
長男で俳優の小澤征悦(49)は、父親との思い出について「親父の紹介で10歳の時にスティーブン・スピルバーグと会った」などと明かしていた。
小澤さんの86歳の誕生日だった2021年9月1日に、NHKの桑子真帆アナウンサー(36)と結婚した。
長女はエッセイストの征良氏(52)。小澤さんは、10年に食道がんの全摘出手術から復帰した際、「ラグビーのチームのよう」と家族のサポートに感謝を述べていた。
シンガー・ソングライターの小沢健二(55)はおい。