指揮者として世界のトップクラスに上りつめ、アジアの音楽家が欧米で活躍する道を開いた。小澤征爾さんが88歳で亡くなった。
10歳でピアノを始め、桐朋学園で斎藤秀雄から指揮を学んだ。西洋音楽の本質を東洋人が理解し、表現することは難しいと思われていた時代だ。
そんな中、「外国の音楽をやるためには、その音楽の生まれた土、そこに住んでいる人間、をじかに知りたい」(「ボクの音楽武者修行」)と1959年、貨物船にスクーターを積んで渡仏した。その行動力がチャンスを呼び込んだ。
ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝を手にした後、カラヤン、バーンスタインという2人の巨匠に実力を認められた。73年から29年間、米ボストン交響楽団音楽監督を務め、2002年にはウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任するなど、次々と地平を切り開いていった。
「東洋人にどこまでできるかという実験をやっている」「死ぬまでにどこまで分かるようになるか、どこまでいけるか、という実験」。作家の大江健三郎との対談で、そう明かしている。
たぐいまれな日本人指揮者が加わったことで、クラシック音楽の世界自体も広がった。
それを可能にしたのは、恵まれた音楽性、努力ゆえだけではあるまい。時に「やんちゃ」と評される人間性が愛されたことも大きかったに違いない。
日本のオーケストラ育成にも力を注いできた。恩師の名を冠した「サイトウ・キネン・オーケストラ」を世界水準にまで育て、本拠の長野県松本市に音楽祭を根付かせた。弦楽四重奏やオペラを通じた若手の教育も続けてきた。
小澤さんの「武者修行」から半世紀以上がたち、指揮者の沖澤のどかさんや、ピアニストの藤田真央さんといった世界で活躍する若い音楽家が続いている。
21年のショパン国際ピアノコンクールで2位になった反田恭平さんは、海外から留学生が来るような音楽の専門学校を作るのが夢だという。
「音楽には本当に国境がない」。国や言葉の違いを超えて、人をつなぐ。小澤さんが信じた「音楽の力」がいま試されている。