病院と患者・家族の間に立つプロがいる 導入10年の「医療対話推進者」 どんな人が、どういう活動をしている?(2024年11月10日『東京新聞』)

 
 病院で、医療者と患者や家族に対話を促す「医療対話推進者」。医療事故が起きた際も、双方の混乱した気持ちを解きほぐし、それぞれが向き合うことで解決を目指す対話のプロフェッショナルだ。導入されて10年余り。知名度はまだ低いが、どんな人たちが担っているのか。生命を扱う現場で、陰日なたになって支える対話推進者の今を探った。(木原育子)

◆院内にいる「よろず相談」に近い存在

 「元気ですか」。振り向きざまに目と目を合わせてニコッ。看護師にそう声をかける。ある時は「何かお手伝いしましょうか」と言って、患者に駆け寄る。
 10月末、イムスリハビリテーションセンター東京葛飾病院(東京都葛飾区)。医療対話推進者の豊田郁子さん(56)がせわしなく院内を行き来していた。動きやすそうな薄桃色のエプロン姿が印象的だ。
パソコン上の記録を見ながら、病院内の潤滑油として働く豊田さん=東京都葛飾区のイムスリハビリテーションセンター東京葛飾病院で

パソコン上の記録を見ながら、病院内の潤滑油として働く豊田さん=東京都葛飾区のイムスリハビリテーションセンター東京葛飾病院で

 医療対話推進者とは院内にいて患者の困り事や疑問、不満を受け止める「よろず相談」に近い存在だ。難解な医療用語ではなく、日常会話にかみ砕いて説明したり、医師や看護師に患者の思いをつないだりする。
 万が一、事故が起き、患者や家族が病院に不信感を抱いたり、医療者も責任追及を恐れて萎縮したり悪循環に陥った時、それぞれの思いをくみ取り、双方が「対話」の場につけるよう促す役割もある。

◆担い手の1人は、長男を医療事故で亡くした当事者

 豊田さんは元々、医療事務職。だが2003年3月、当時5歳の長男理貴ちゃんを医療事故で亡くした。
 激しい腹痛で病院に行ったが「問題ない」とされ、いったん帰宅。だが痛みはやまず、希望して入院したが医師は病室に来ず、そのまま息を引き取った。たった1日で起きた悪夢。今でも当時はやった歌「世界に一つだけの花」を聴くと、悲しみがよみがえる。
 解剖すると、腸が2カ所ねじれて壊死(えし)し、緊急手術が必要だったことがわかった。だが、病院は「最善を尽くした」の一点張り。最後は「これ以上は第三者に判断していただかないと、わからないかもしれませんね」と突き放す口ぶりにショックを受けた。

◆医療事故時の軋轢を防ぎ、対話を促す役回り

 「医療事故が起きた時、遺族が願うのは、何が起きていたのか知りたいということ。説明を尽くし、原因を本気で調べる姿勢が必要だ。逃げずに向き合ってほしかった」と豊田さん。
患者の不安や悩みを医師や看護師らと共有する豊田さん(右から2人目)=東京都葛飾区のイムスリハビリテーションセンター東京葛飾病院で

患者の不安や悩みを医師や看護師らと共有する豊田さん(右から2人目)=東京都葛飾区のイムスリハビリテーションセンター東京葛飾病院で

 同じ境遇の事故遺族の勉強会に参加するうち、現在の勤務先の前身である新葛飾病院の清水陽一院長(故人)に声を掛けられ、2004年に「医療安全対策室・患者支援室」の責任者として着任。勉強会の取り組みが院内外に広がり、12年に「患者・家族と医療をつなぐNPO法人架け橋」を設立した。
 豊田さんは普段、病院内で医療安全と入退院支援を担う看護師や医療ソーシャルワーカー(MSW)とともに、患者・家族支援窓口にいる。多職種で定期的に会議や研修を開き、医療スタッフと患者や家族との意思疎通がうまくいっていないケースや、医療事故につながりかねない事態を未然防止していく。
 粟屋幸一病院長は「軋轢(あつれき)が起こらないよう立ち回ってくれる対話のプロ。結果的に病院と患者さんの両方を守ることにつながっている」と語る。
「豊田さんと出会い、医療対話推進者の可能性を理解できた」と語る粟屋病院長=東京都葛飾区のイムスリハビリテーションセンター東京葛飾病院で

「豊田さんと出会い、医療対話推進者の可能性を理解できた」と語る粟屋病院長=東京都葛飾区のイムスリハビリテーションセンター東京葛飾病院で

 「医療者と患者や家族の双方の話を聞いて一緒に考えていく。代弁者ではなく両者が向き合うことを支える。そうした公平性や中立性を超えたところに信頼があると思うから」と豊田さんの表情がふっとやわらいだ。

◆医療業界でも認知度は低い

 ただ、豊田さんのような元医療事務職で事故遺族という医療従事者と患者の双方の思いがわかる存在は珍しい。
 厚生労働省の統計によると、診療報酬として、対話推進者の配置などを要件とする「患者サポート体制充実加算」を届け出ているのは、全国約8100病院のうち2873病院で35.4%。看護部長220人余へのアンケートによると、対話推進者の「認知度が低い」と答えたのは45%に上る。病院内でもよく知られていない実態が浮かび上がる。
 調査した東京医療保健大の本谷園子助教(看護管理)は「対話推進者の権限が曖昧だからだろう。患者や家族に言いにくいことを言ってくれる『便利屋』ではなく、医療の質向上や安全確保に対話推進者は欠かせない、という意識改革が必要だ」と話す。
 認知度の低さには設置経緯も影響しているようだ。 話は医療事故が相次いだ25年ほど前にさかのぼる。医療者が握る情報が質量ともに患者や家族を圧倒する「情報格差」や医療紛争の急増が課題となった。対策の一つとして2013年、対話推進者に関する指針が作成され、導入された。

◆トラブルから「逃がしてくれる存在」という誤解も

 そして2015年10月、予期せぬ死亡事案が起きた際に原因を探り、再発防止につなげる「医療事故調査制度」が始まった。医療事故が起きた医療機関が、調査結果を第三者機関に報告する仕組みだ。
2015年2月に開かれた医療事故調査制度の施行に係る検討会=東京都千代田区で(伊藤遼撮影)

2015年2月に開かれた医療事故調査制度の施行に係る検討会=東京都千代田区で(伊藤遼撮影)

 患者安全に詳しい名古屋大病院副院長で、患者安全推進部長の長尾能雅(よしまさ)教授は対話推進者について「患者とトラブルになった時、現場に駆けつけ、医療者をバックヤード(裏庭)に逃がしてくれる存在として期待する医療機関もあるが、それは誤解だ」と指摘する。
 「医療は難解な専門用語も多く、説明時間も不足しがちで情報遮断が生まれやすい。この弱点を対話推進者が補う可能性がある」と語る。そして「対話推進者が医療事故に関する情報を拾い上げることもある。日々の対話は患者の目を医療に行き届きやすくし、透明性の向上や情報格差の解消、相互理解に大きな役割を果たす。自然な形で医療の質や患者の権利が確保される」と続ける。

◆医療事故調査の中核に位置付けるのは「違う」

 一方で、長尾教授は、安全管理者の立場の医師や看護師が担うべき医療事故調査の中核に、対話推進活動を位置付けるのは違う、とする。「患者安全の目標は不幸な事故死の撲滅であり、特に調査や分析などにおいては、対話推進者とは別の専門性や視点、距離感が必要となる」
 ただ、医療事故調査制度については、医療機関からの事故報告件数が少ない。日本医療安全調査機構によると、制度が始まった15年10月〜23年末までの8年余に報告された医療事故は計2909件。当初は年間2000件を見込んでいただけに、低迷ぶりは否めない。事故を疑う案件が起きても調査するか否か、判断が病院側に委ねられているためだ。
医療事故調査制度の充実を求めて署名活動を続ける「医療過誤原告の会」のメンバーら=9月、東京・御茶ノ水で

医療事故調査制度の充実を求めて署名活動を続ける「医療過誤原告の会」のメンバーら=9月、東京・御茶ノ水

 特に、最先端医療で高度な手術にも臨むであろう大規模病院ほど報告は少なく、600床以上230施設のうち48施設はいまだ一度も報告がない。
 地域差も大きく、人口100万人に換算した年間報告件数で福井県は1.0だが、宮崎県は5.2で、差は5倍超。その地域の病院トップの意識によっても大きく変わる。

◆まずは存在を知ってもらうことから

 今後、対話と医療は新たな化学反応を生むのか。
 対話推進者の指針改定に取り組む稲葉一人弁護士は「どう可能性を広げていくか、ひとつの岐路に立っている」とした上で、「対話推進者の指針は、医療事故調査制度との関係がしっかり明示されておらず、整理していく必要がある。年内をめどに対話推進者の指針改定案を取りまとめたい。まずは多くの人に、その存在を知ってもらうことが始まりの一歩だ」と見通す。

◆デスクメモ

 「私、失敗しないので」。人気ドラマの主役医師の決めぜりふだ。仮にそんな傑物がいたとしても、患者や家族は常に丁寧な説明を求めている。医療事故調査や対話推進者の制度が十分浸透したとは言い難く、情報格差は存在する。患者らの視点に立ち、制度の実効性を高めてほしい。(北)