週のはじめに考える 地域医療守り抜く覚悟(2024年11月10日『東京新聞』-「社説」)

 
 言わずもがなではありますが、大災害時、お年寄りや乳幼児、心身が不自由な人たちにはさまざまな助けが必須です。元日に能登半島を襲った地震で、改めて、支援のあり方が問われたのは透析患者でした。透析が受けられる能登半島の4病院が断水などで治療を続けられなかったのです。
 人工透析は、腎臓の機能が低下した患者に対し、血液中の老廃物などを機械でろ過する治療。一般的には2日に1度のペースで通院して、1回の治療に4時間ほどを要します。患者は全国に40万人近くいます。
 実は、透析は大量の水、電力を消費します。ゆえに災害に弱い。東日本大震災などでは一時的に透析を受けられない「透析難民」が発生しました。能登地震でも、400人近い患者が、医師らでつくる石川県透析連絡協議会や自衛隊などの協力で半島外の病院へ搬送されました。平常の医療体制に戻るまでには3カ月かかりました。

◆透析には水・電力が必須

 地方の、しかも同じく半島に立地する医療機関にとって、能登の例は人ごとではありません。美浜クリニック(愛知県美浜町)は知多半島南部で唯一、透析を受けられる病院で、1市3町の100人余が通院しています。離島からフェリーで通う人もいます。
 月-土曜の診療日は全40床が埋まります=写真。1回の透析では1人あたり100リットル以上の水を消費するので、患者40人で計4トン。貯水槽はありますが、2回分、8トンほどにすぎません。災害時に活躍する一般的な給水車では1台分を丸々使っても、40人の1回分にも足りません。
 停電も怖い。非常用電源はありますが、備蓄している軽油85リットルは40人の1回分。透析の回数を減らしたり、治療時間を短くしたりするなど緊急時の対応はできないことはありませんが、それも2週間ぐらいが限界だといいます。長引けば呼吸困難や意識障害などの症状が出て、命にも関わります。
 美浜クリニックただ一人の医師浅野麻里奈さん(44)は愛知県内の公立病院で内科医として勤務してきました。へき地の医師不足が叫ばれる中、地域医療に尽くそうと決意し、昨年11月、志願して院長に就任しました。その直後に能登地震が発生したのです。
 大災害への備えは以来、脳裏から消えない課題ですが、その後、能登でも活動した厚生労働省DMAT(災害派遣医療チーム)の近藤久禎事務局次長による講演を聞く機会があったそうです。
 DMATは、1995年の阪神大震災で、平時レベルの救急医療なら500人の命が救えたのに、医療の初動体制が整わなかった反省から生まれました。能登での活動も踏まえて近藤次長が講演で語ったことが、ずっと耳に残っているといいます。
 災害時の医療と言えば、がれきに埋もれた人たちを助け、治療するイメージをもたれがちだが、注視すべきはそこだけではない。地域の医療、福祉を支えて、いかに平時の体制を取り戻せるか。それこそが災害医療の主眼だ-。

能登の教訓生かさねば

 能登地震の際、透析患者や入院患者、施設入所者らが大量に被災地外へ搬送された結果、病床逼迫(ひっぱく)が生じた施設もあったようです。金沢市内の病院ではベッド数が足らず、一般の救急搬送を断る事態も起きたといいます。南海トラフや首都直下地震では、透析患者だけでも数万人の「難民」が発生すると想定されており、対応策を講じる必要があります。
 浅野さんは今夏、自院が極めて優位な場所に立っていることを知りました。水資源に乏しい知多半島では1961年に通水した「愛知用水」により木曽川の水が引かれているのですが、クリニックのすぐ近くを用水が通っているのです。能登地震で「難民」の深刻さを知った町側の理解もあり、災害時にはホースで取水し、治療に使えることになったのです。
 これなら、万が一の際に、クリニックから他病院へ搬送するのではなく、むしろ、逆に、外からの透析患者を受け入れることも可能かもしれない、と浅野さんは考えています。ただ、水は確保できても、なお電気の問題は残ります。
 さらに、自身を含め、看護師や運転手ら50人近いスタッフはクリニックまで駆けつけられるのか。道路が寸断されたら患者の送迎はどうするのか…。一つずつクリアしていくほかありません。何としても地域医療を守る-。列島のあらゆる地域で、そうした覚悟が求められるのではないでしょうか。