戦後80年を前に、「空襲を描く」試みが注目されている。当事者による体験画に加え、目立つのが戦後生まれの非体験者によるフィクションやノンフィクションの作品。体験者が減り続ける中、自ら見たことがない戦争のリアルにどう迫るのか。記憶継承の可能性は。(橋本誠)
◆母の体験を聞き「五感で感じるような」漫画に
「熱いとか、苦しいとか、においがすごいとか。五感で感じるように表現できないかと考えていました」
1945年3月の名古屋空襲を体験した母親を題材にした漫画「あとかたの街」(講談社)を2014年から連載したおざわゆきさん。少女が学徒勤労動員や東南海地震を経て空襲に遭う日常を描いた日々を、今年8月、静岡市のシンポジウムで語った。「数カ月ずっと毎日、自分の家の前にB29爆撃機が来たらどうなんだろう、どう逃げるかと想像していました」
「あとかたの街」の表紙を示し、制作の経緯を語るおざわゆきさん(左)=静岡市
空襲や原爆の現場写真は少ないのに対し、体験者が描く絵は1970年代から多数収集されてきた。静岡平和資料センター(静岡市)を訪れると、巨大なB29や逃げまどう人々、焼けトタンをかぶせた焼死体などの作品が展示されている。
NHKで沖縄戦体験画の募集に携わった文教大の井上裕之准教授はシンポで「戦争体験画には記憶違いがあるのではといわれるが、写真に比べてメリットも多い。カメラがなくても記録可能。出来事が起きてから撮影する写真と違い、自分が見た決定的瞬間や喪失物を再現できる。死者の撮影には是非の議論があるが、体験画に死者は多く描かれ、戦争の実像を伝えている」と指摘した。
体験画に加え、近年注目されるのが非体験者の絵。広島市立基町高校の生徒が被爆者に聞いて描く「原爆の絵」が有名だが、80年近く前の出来事の表現には困難も伴う。おざわさんは当時の写真を参考にしたが、漫画は立体的な表現が必要。空襲に備えて木造家屋を間引きして防火帯をつくる「建物疎開」のシーンは資料が乏しく、「柱に縄をかけてみんなで引っ張って倒す」描写に苦労した。
◆どう表現すれば、戦争の本質を伝えられるか
仙台空襲の体験を聴き取っている佐藤陽子さんは、平和展で証言と一緒に展示する絵を2021年から描いていると語った。印象に残っているのは、子どもがバラバラにならないよう1本の縄につかまって逃げた話を絵にした後、別の場所で縄を電車ごっこのように輪にして持っている写真を知ったことだ。「地域で違うのかもしれない。想像で描くことと実際はいろんなパターンがある」
縄につかまって逃げる子どもを描いた絵(佐藤陽子さん提供)
リアルな体験をどう作品に結びつければ、戦争の本質が伝わるのか。おざわさんは「ドラマ性は人の心を動かす意味で大事。『あとかたの街』もある程度、母の体験に肉付けをしながら描いた」という。名古屋市の資料館「ピースあいち」の協力で何人もの体験者に話を聞き、「これは違うとか、こんなことがあるはずないということがないよう、資料を穴が開くぐらい眺めた」と振り返った。
佐藤さんは、防空壕(ごう)で窒息しかかった重い証言に影響され、視覚的に描きすぎた経験を悔やんでいる。「体験画を見ると、絵自体が語っている。非体験者の私は証言を損なわない形で、展示に活用できるように描こうと思った」と話した。
【関連記事】「ばあば、青春を奪われた怒りはなかったの?」記者が祖母・横式かつ子さん(93)から初めて聞いた戦争体験
【関連記事】82歳の画家が初めて描いた戦争の絵 「命を削っても死ぬ前に…」幼少期の空襲体験と後悔に突き動かされ
【関連記事】82歳の画家が初めて描いた戦争の絵 「命を削っても死ぬ前に…」幼少期の空襲体験と後悔に突き動かされ