絵本や植物図鑑の挿絵などを手がけた画家の石津博典さん(1915~84年)が、太平洋戦争中に南方の戦地で描いた絵やスケッチ約200点が、東京都世田谷区の自宅で見つかった。次女で画家の米谷義子さん(70)は「生き延びられるか分からない状況の中、命を懸けて描いた。父が絵に込めた魂を感じ、改めて戦争を繰り返してはならないと思った」と話す。(昆野夏子)
◆話には聞いていたが…「まさか見つかるなんて」
絵画は今年6月、義子さんが自宅の物置小屋を整理中に見つけた。ほこりをかぶった箱を開けると、中から大量の水彩画やスケッチが出てきた。父から「戦地で絵を描いていた」と聞いていたがその絵を見たことはなく、「まさか見つかるなんて」と驚いた。
「夜襲されるアンボン。月明の夜のなぐり描き。眞暗の中でとにかく絵之具で描きました」。海の向こうに見える炎や煙。インドネシアの船上から空襲の様子を描いたとみられる絵の裏には、緊迫した様子が記されていた。
約200点の多くはスケッチブックに水彩で描かれていた。「検閲済み」の印が押された絵や、ノートの切れ端に鉛筆で描いた敵兵のラフスケッチなどもあった。同僚の兵を描いた絵は、厳しい目つきで銃を構えたり、刀を手にほふく前進したりする姿のほか、任地へ向かう列車で眠る姿も。義子さんは「仲間に頼まれて描き、帰国できた仲間には一部を渡していたのかもしれません」と推察する。
頭の上に籠を乗せてマンゴーを売り歩く女性や食堂で働く少女など、現地の日常の様子が分かる絵もあった。
義子さんは子どものころ、父から戦場での体験をよく聞かされた。「ジャングルの中で敵兵に遭遇したら、缶詰を恵んでもらえた」「火炎放射器の火で足にやけどを負った」「船の上に爆弾が落ちてきた」。ただ、当時はうまく想像できず、遠い昔の出来事と感じていた。
◆戦後は児童書や百科事典の挿絵を
博典さんが戦地に赴いたのは20代。帰還後、児童書や百科事典などの挿絵を手がけた。義子さんは「年を取ってから描いた絵の方が上手。でも、戦地での絵には感情がこもっている。『この一瞬を残さなければ』という使命感で必死に描いたのが伝わる」。
絵を見たことで、子どものころに聞いた戦地の様子が理解できたという義子さん。「映像や写真とは異なり、絵は感情も含めて後世に残していける。父の思いを受け止めたい」
◆戦時美術のあり方深める作品群
戦争画に詳しい千葉工業大の河田明久教授(美術史)の話 戦場でのスケッチは近年いくつも報告されているが、本格的な戦争画とは異なり、こうした作品群の研究はあまり進んでいない。それらが発掘されて研究が進めば、戦時美術のあり方が一段深い所から理解されるようになるはずだ。石津さんの作品群はその一つとして大きな意味を持つのではないか。