横尾忠則さんが少年時代に見た空襲の赤 「何を描いても戦争の臭いがする」 創作の背景を聞いた(2024年9月8日『東京新聞』)

 
 鮮やかな色彩でポップとも前近代ともいえる独自の作風で知られる美術家の横尾忠則さん(88)。半世紀以上にわたる画業では、戦争を想起させるモチーフを繰り返すなど、死をにおわせる作品を数多く描いてきた。それはなぜか。自身の戦争体験と創作について話を聞いた。(飯田樹与)
アトリエでインタビューに応じた美術家の横尾忠則さん=東京都世田谷区で

アトリエでインタビューに応じた美術家の横尾忠則さん=東京都世田谷区で

 「想像力と実体験が合体するのかな。自分の体に染み込んでいるから、風景や花、何を描いても戦争の臭いが出てくるんじゃないかな」

◆「星まで赤くなるんじゃないかと」

 5歳の時に、太平洋戦争が始まった。幼稚園の桜の木に貼られたルーズベルト米大統領チャーチル英首相の似顔絵に向けて、「鬼畜米英」と叫びながら攻撃するなど、「日常の中に戦争の空気が漂っていた」。周りの子たちと同じく軍国少年に育ち、海軍飛行予科練習生(予科練)の制服にあこがれ、兵隊になることを夢見ていた。「かっこいいというイメージ、ビジュアルで国は子どもを洗脳していったんでしょうね。戦争に対してなんら疑問を持たなかった」と振り返る。
 幸いにして故郷・兵庫県西脇市は空襲を免れたが、夜になると神戸や明石のある山向こうの空が、「星まで赤くなるんじゃないかと思えるぐらい」真っ赤に染まった。両市とも40キロ近く離れているのに、爆弾がさく裂する音が体に響き、家のガラスがバリバリと震えた。目に焼き付いた赤の光景は、後に創作へ結び付いた。

◆「死の中にいた」経験

 「死に直面し、同一化する状態」も経験した。小学校の運動場。1000人ほどの全校児童が朝礼に臨んでいたところに、背後の山から4機のグラマン戦闘機が突如現れた。警戒警報も空襲警報もなかった。慌てて溝に飛び込み、目玉が飛び出したり、鼓膜が破れたりしないよう、訓練通りに親指で耳の穴を、残りの指で目をギュッとふさいだ。無音の世界から音が戻ってきたのは、戦闘機が轟音(ごうおん)を立てながら撃たずに通り過ぎてからだった。「死の中にいたと考えても良いかもしれない」
アトリエでインタビューに応じた美術家の横尾忠則さん=東京都世田谷区で

アトリエでインタビューに応じた美術家の横尾忠則さん=東京都世田谷区で

 橋のたもとの風景を描いた《火の用心》(1997年、横尾忠則現代美術館寄託)は、1996年から始めた赤い絵画シリーズの一作。画面全体が真っ赤に染まる中、円盤形のオレンジ色の光がいくつも飛び交い、ところどころに星雲のような藍色のもやがかかっている。神秘的ながらも、生気の無い異空間に飛ばされたかのようでぞくりとする。

◆考える前に、絵に表れる

 「描き終わってから、空に焼夷(しょうい)弾の光がババーッと飛び散ったのに似ているなと思った。頭で考えて絵を描くよりも、身体が恐怖を体験しているから、それが絵に表れる」。同シリーズの赤は空襲で染まった空の色に思えるという。「プロパガンダ的な戦争反対の絵は描いていないけど、画面を真っ赤に塗ることが、僕にとってひとつ戦争に対する批判なのかな」と話す。

◆魂の向上がなければ永遠に戦争は起きる

 グラフィックデザイナー時代のポスターから、いわゆる1980年の「画家宣言」以降のアクリル画や油彩画にも、戦闘機や特攻隊員、原爆のきのこ雲など戦争に関連しそうなモチーフを繰り返し描いてきた。
 ただ、それは特別、戦争をテーマにメッセージを込めて描いたわけではない。「この空間に飛行機が飛んでいたら面白いだろうなという程度で描くんだけど、それがB29だったりしちゃうだけ」と肩をすくめる。
 感覚としてするりと出てしまうからこそ、むしろ作品にメッセージを「込められない」のだという。その背景には、絵を描いては野山で虫や魚を追いかけた身体的な少年体験に加え、「ものを考える間も与えられない、ただ体を先に動かさなきゃいけなかった戦争体験がもしかしたら関係しているのかも」と考えを巡らす。
 戦後79年を数えるも、世界中で争いは絶えない。「欲望がコントロールできない限りは、戦争は永遠に起きると思います。解決するには個人の魂の向上しかないでしょう」

◆「考えないことに価値を求めている」

 絵を描いているときは、頭の中から言葉や観念を排除して空っぽの状態で臨むのだという。さながらアスリートだ。「だからすごいスピーディーに描きます」
 昨年、東京国立博物館表慶館で催された個展で新作102点を1年半あまりで制作したのもうなずける。そもそも、「考えないことに価値を求めている」からこそ、解を求めて作品を完結させることもしない。「社会全体が考えることを強制して、答えを出そうとするけれど、それが自分自身を追い詰めている。僕は生きにくくなりたくないから、知らなくていいわけです」と、力みなく話す。
 
 油絵のオイルの匂いがするアトリエ内には、背丈よりも大きな150号サイズのキャンバスがいくつも立てかけられている。それらは来年、世田谷美術館で開催予定の個展に向けた新作だ。すでに50点を描き終えたというが、「こういう風に描いてみよう、ああいう風に描いてみようという技術の実験」をしているという。
 腱鞘炎(けんしょうえん)のため、以前のようなリアルな描写の絵は描けないが、「震えた線もお遊びとして考えれば、そこからまた発展する」と年齢によるハンディキャップを受け入れる。「自分の身体を通して描いてこそ、喜びを感じる」という横尾さんの作品を見ると、こちらも自由に伸びやかに感じれば良いのだと変な力みが取れる。