今年のノーベル平和賞に選ばれた「日本原水爆被害者団体協議会」。その構成団体の一つに所属し、“核兵器のない世界”を訴え続けてきた女性がいました。4歳の時、広島で被爆した水野秋恵さんが考える「平和」とは。
4歳の時に被ばく、“核兵器のない世界”を訴える
2024年10月14日、椙山女学園中学校・高等学校。校内で行われていたのは、平和と教育をテーマとした講演会「愛知県教育研究集会」。
「『待機しておれ』と言われた兵隊さんが、『お菓子を持って帰っているから食べにおいで』と呼びにきてくださったんです」、「原爆がバーンと落ちて。(その兵隊さんが)がれきをどけて、私たちを引きずり出してくれた。(現在でも) 腕にけがが残っているんですけど、助けていただいた」と、当時の状況を明かしました。
その後、愛知県に移り住み、被爆した経験を語る活動などを通して、強く訴え続けてきたのは“核兵器のない世界”。 2016年取材時、水野さんは、「(核兵器のない世界のため)一歩前進したらどうなのって言いたい、まず。一歩二歩前進してもらいたい」と答えていました。
「“自分が生きているから平和”ではない」
2024年10月11日に発表されたノーベル平和賞。ノーベル平和賞に選ばれたのは、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)でした。