<袴田巌さん再審>袴田さんの姿が突きつける死刑存廃の問い 制度の行方、カギは世論(2024年9月29日『毎日新聞』)

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報道機関に公開された東京拘置所の刑場の「執行室」。中央下は踏み板。袴田巌さんもこの東京拘置所に収容されていた=東京都葛飾区で2010年8月27日午前(代表撮影)
 58年前に逮捕された袴田巌さんにようやく再審無罪判決が言い渡された。事件が残した教訓を検証する。
 無罪判決が言い渡された法廷に、いるべき人の姿はなかった。
 確定死刑囚の袴田巌(いわお)さん(88)。超長期の拘禁生活によって精神がむしばまれ、出廷が免除されたためだ。かつては理路整然と潔白を訴えていた袴田さんは、死刑への恐怖で精神に変調を来した。
 「誤った裁判が私を死刑にした。私は天地神明に誓って事件の真犯人ではない。事件と無関係である」
 事件から9年後の1975年12月。袴田さんがしたためた手紙には、自分は潔白であると力強く記されていた。
 だが、80年に最高裁で死刑が確定。翌年には姉秀子さん(91)への手紙で、「死刑囚は終日が怖くてとても不安でたまらない。どこにいてもこわい」と心情を吐露している。死刑におびえた袴田さんの言動には異常が見られるようになる。
 面会に来た秀子さんには「食事に毒を入れられてるみたいなんだよ」と訴えるようになり、拘置所内では菓子の袋を頭からかぶって「強烈な電波が顔面を襲ってくるので防止している」と説明することもあった。
 手紙の内容も支離滅裂に。85年には「神のお告げを受けました。私たちの結婚の誓いが天で結ばれました」と書いた。計1万枚に上った手紙は95年を最後に途絶えた。
 2014年3月、再審開始決定とともに釈放された袴田さん。事件について問われても「そんなもん、ありゃせん」「神の儀式で袴田巌は勝った」と答え、「ローマ法王」「最高権力者」を自称して妄想めいた発言を繰り返した。
 妄想と現実の世界を行き来する日々は今も続く。袴田さんを診察してきた精神科医の中島直医師=多摩あおば病院院長=は「死刑が執行されかねない厳しい現実が今の状態を招いた可能性がある」と指摘する。
 死刑囚に対する再審無罪判決は袴田さんで戦後5例目だ。ただ、袴田さんは無罪判決が出る前に確定死刑囚の立場のまま、47年7カ月ぶりに身柄の拘束を解かれた。変わり果てたその姿は「死刑制度はこのままでいいのか」という問いを社会に突きつけた。
 死刑制度は生命を絶つ究極の刑罰だが、その運用は不透明な部分が多い。執行の時期や対象者は法相の判断に委ねられ、07年12月以降に執行された死刑囚では、確定から執行までの期間が最も短かったのは約1年4カ月、最長は約18年5カ月と大きな幅がある。
 世界では廃止の潮流で、国際社会からは厳しい視線が注がれる。
 死刑制度は変わるのか。
 カギとなるのは世論の動向だ。「国民世論の多数が極めて悪質、凶悪な犯罪については死刑もやむを得ないと考えている」。直近の執行となった22年7月、当時の古川禎久法相は執行後の記者会見でこう述べた。
 内閣府世論調査では、「死刑もやむを得ない」とする回答はおよそ8割で推移している。調査は5年ごとで、これまで通りなら次回は年内に実施される。袴田さんの再審無罪判決が影響を与えるのか、注目される。
 政治に働きかけようという動きも出てきた。死刑制度の廃止を目指す日本弁護士連合会が事務局となり、24年2月に「日本の死刑制度について考える懇話会」が設置された。法曹関係者や与野党の国会議員らが議論を重ねていて、国会に死刑制度の存廃を検討するよう求める提言をまとめる方向だ。
 日弁連で刑罰制度改革に向けた取り組みを進める小川原優之弁護士は「国は、死刑に関する情報と国際社会で日本が置かれている状況をもっとオープンにして、袴田さんの無罪判決を機に国民的な議論をすべきだ」と話す。