父が率いるチームの優勝を喜ぶ小久保春菜(カメラ・小泉 洋樹)
ソフトバンクの4年ぶり優勝を小久保裕紀監督(52)のまな娘も祝福した! 今年から本格的に芸能活動を開始したタレントでモデルの小久保春菜(25)が、スポーツ報知に歓喜のメッセージを寄稿。昨年のミス・アース・ジャパン準グランプリが、グラウンドでは決して見せることのない「パパ」の厳しくも優しい姿を明かした。(取材・構成=田中 昌宏)
パパ、そしてホークスの皆さん、優勝おめでとうございます。パパが1軍監督になってから毎日、中継やスポーツニュースで姿を見ては「きょうもお仕事頑張ろう」って気合を入れてます。パパがプレゼントしてくれた「HARUNA 90」ってプリントされたピンクフルデー限定ユニホームは、私の宝物です。私からのお祝いは何がいいかな。一緒にゴルフをラウンドすることかな。まだ打ちっ放しに通い始めたばかりで、全然下手だけどね(笑い)。
そのユニホームを着て、何試合か東京ドームや、みずほペイペイに行きました。祈るように応援しているファンの皆さんの様子を見て、ふとアルバムに収めている写真のことを思い出しました。ママとお兄ちゃんと一緒に手を重ね、ラジオに向かって“気”を送っている幼い私。食事中でも「打席には小久保です」ってアナウンスされれば、お箸を置いてテレビに集中したものです。
でも中高生時代は、正直「小久保裕紀の娘」って言われることにコンプレックスを感じていました。礼儀、あいさつ、食事の作法は特に厳しくて、友達が同情したほど。逆に2015年、プレミア12で侍ジャパンが3位に終わった時は、女子高なのに、学校であれこれ言われたり…。
でもその直後、パパとの距離が縮まった“事件”がありました。代表監督退任直後、家で過ごすことが多かった時期です。私も当時は陸上の七種競技で壁にぶつかっていた頃。ちょっと偉そうに「パパも壁にぶつかる経験をしたんだから、次はもっといい結果を残せると思うよ」って言葉をかけたよね。すると「春菜からそんな言葉を聞けると思わなくて、感動した。助けられた」って。後日、「あの時は外に出るのも怖かった」と話していたと聞きました。
昨年8月、ミス・アース・ジャパンで準グランプリとなりました。友人からのLINEは「春菜おめでとう」だったんですが、パパからは「残念だったね。惜しかったね」。私もトップを狙っていたので「うれしい」よりも「悔しい」が強かった。常々「一番じゃないと意味がない」って話すパパだからこそ、私の気持ちを理解してくれたんだなと感じました。
私の目標は2つあります。1つは、一生誰かに影響を与え続けられる人でいるということ。そしてもう1つは、パパと一緒にお仕事をすることです。“優勝監督”にインタビューする夢―。すぐにでも実現させたいです。だからパパ、これからもずっと「一番」でいてください。(モデル、タレント)
〇…春菜は趣味がジムワークとドライブ、そしてカラオケという。マイクを握れば必ず、小久保監督も大好きなDREAMS COME TRUEの「大阪LOVER」を歌う。福岡育ちで普段は「ガッツリ博多弁」だが、「ついつい関西弁の曲を口ずさむのは、和歌山出身の父の影響があるのかも」と笑った。