市民の意見表明を萎縮させる恐れをはらんでおり、それが確定したことを強く危惧する。
女性は「増税反対」などと声を上げたところ、警察官に体をつかまれ移動させられ、長時間付きまといもされた。
道警のこうした行為は言論への抑圧に他ならず、民主主義を危うくする。
それが憲法に反した過ちだったことが今回の決定で明確になった。当然の結果だ。
道警は重く受け止めて真摯(しんし)に反省し、再発防止のために検証を尽くすべきだ。
一方、断じて看過できないのが、高裁判決のうち、男性に対する警察官の排除行為について適法とした部分も今回、併せて確定したことだ。
市民には自由に意見を表明したり、政権を批判したりする権利がある。
街頭演説という場で政権を批判し、排除された状況は2人とも同じだ。
なのに高裁判決は、男性には他の聴衆による「危険性が切迫していた」として、道警が警察官職務執行法に基づき男性を「退避」させるなどしたことに合理性があったと認めた。
高裁は、男性が聴衆の1人から手で押されたことなどを根拠とした。だが押した側には何ら対処しなかった道警の対応を容認したのは極めて不自然だ。
「小競り合いが生じたようにはうかがえない」として、排除は行き過ぎだとした一審札幌地裁のほうがよほど納得できる。
何より危ぶまれるのは、男性の上告を退けた最高裁決定が、政権による異論排除の正当化に使われかねないことである。
治安維持のためとして言論が弾圧された過去の歴史を踏まえれば、危険の切迫を警察が恣意(しい)的に判断することなどあり得ない―と言い切れるだろうか。
表現の自由は、民主主義の根幹をなす。権力が力で封じ込めることはあってはならない。
言論を抑圧する動きに対し、私たちは絶えず目を光らせ歯止めをかけていかねばならない。