長年にわたり、被爆者の救済と核兵器廃絶のために活動してきた97歳の被爆者、阿部静子さんが、広島原爆の日の6日、広島市で被爆体験を語り、核兵器の非人道性を訴えました。
阿部静子さん(97) 核兵器の非人道性を訴え
阿部さんは、右手が不自由になり顔などにケロイドが残ったことについて「18回手術をしましたが、元には戻りませんでした。右手は10センチ短くなり、口もゆがんで油断すると食べ物がこぼれる、今もなおそういう状態で暮らしています」と話しました。
そして、国の援護を受けられず苦しんでいた被爆者の救済を求めて70年近く前に、したためた詩を朗読し「核兵器のことをそれぞれ自分に引き寄せて考えてもらいたい。79年前、原爆に遭い、苦しみながら、泣きながら生きてきた被爆者の切なる願いです」と訴えました。
講演にはおよそ70人が参加し、阿部さんのひ孫の松田仁さん(10)は「ひいおばあちゃんの体験を聞きかわいそうだし怖いと思いました。一歩でも二歩でも核兵器をなくしていきたいと思います」と話していました。
阿部さんは「私のような被爆者を生み出す核兵器を絶対に使ってはいけません。日本も被爆国としてもっと力強く発信していただきたいです」と話していました。
末政サダ子さん(90)紙芝居で伝える被爆体験
末政さんは、爆心地からおよそ2キロの場所で被爆して爆風で足にガラスが刺さりながらも、母親から何かあった際の集合場所だと言われていた公園を目指したあの日のことを、涙を流しながら伝えました。
母親は、やけどで大けがをしていて、手の施しようがない人が多くいた当時、「骨を粉にして飲ませると効果がある」という話が広がっていたことから、末政さんは母親を救いたい一心で、小学校の校庭に埋められた遺骨を掘り起こして持って帰った経験を伝え、「核と人間は共存できない。原爆は人類の破滅を招きます」と訴えました。
このあと、生徒たちから聞いた話をどのように周囲に伝えたらよいか尋ねられた末政さんは、「命を大切にして、相手の目を見て話を伝えてほしい。戦争をしない国であるため、身近な人と仲良くすることが大事です」などと答えていました。
末政さんの話を聞いた高校1年の女子生徒は、「実際に体験した被爆者だからこそ、命を大切にしようということばがより伝わってきました」と話していました。
講話を終えた末政さんは「当時を思い出すとしんどくなって今でも涙が出ますが、これからも繰り返し伝えていきたい。人を殺すような核兵器を作ってはいけない、平和でないといけない」と話していました。