「妻は火の海の爆心地を懸命に逃げた」 被爆証言を学んだ中高生は5日に広島で開かれる平和集会に臨む(2024年8月3日『東京新聞』)

 
 毎年8月に全国の高校生らが被爆地に集まり、平和を学び交流する「全国高校生平和集会」が今年で50年の節目を迎える。今年は5日に広島市で開催され、約100人が被爆証言や同世代との対話を通じて核廃絶への理解を深める。東京都内からは20人が参加する予定。生徒は「50年間の開催は重みがある」と気を引き締める。(大野暢子)

◆都内の中高生20人が事前学習、被爆体験に耳を傾け…

核兵器の恐ろしさを伝える居森さん(右)の話に聞き入る横道さん

核兵器の恐ろしさを伝える居森さん(右)の話に聞き入る横道さん

 運営・参加の中心は部活や校外活動で自主的に平和学習に取り組む約20都道府県の中高生や教職員ら。集会は1974年に広島で初めて開かれた。広島、長崎以外では米軍基地が集中する沖縄や、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」が水爆実験で被ばくした問題を学ぶ目的で同市でも開催されたことがある。
 今年は「ウクライナ戦争と核兵器廃絶の課題」などの分科会を通じ学びと交流を深める。参加する都内の生徒たちは7月下旬、事前学習のため勉強会を開催。中高生20人が核兵器の非人道性を伝える活動をしている横浜市の居森公照(いもりひろてる)さん(89)の話を聞いた。
 居森さんが主に語ったのは2016年に82歳で亡くなった妻清子さんの体験。広島の爆心地に近い小学校にいた清子さんは火の海となった校庭を懸命に逃げ、200人以上いた児童で唯一生き残った。成人後に複数のがんを発症。居森さんに支えられ、晩年まで証言活動を続けた。

◆高2女子は「現地を目に焼き付けたい」と話した

 居森さんは「被爆から60年が過ぎたのに、清子に新たな病気が見つかることもあった。核兵器の恐ろしさだ」「私や妻が味わった苦しみを皆さんには経験してほしくない」と訴えた。
 参加者の明星学園高校2年横道琳人(あきと)さん(16)は「戦争について学び、同世代と語りたいとの思いが強くなった」と話した。高2女子(16)は「清子さんが被爆した小学校にも行くので、現地を目に焼き付けたい」と話した。
全国高校生平和集会の50年を振り返る記念書籍(大月書店提供)

全国高校生平和集会の50年を振り返る記念書籍(大月書店提供)

 8月下旬には、集会の開催を支えてきた教育関係者らが半世紀を振り返る書籍「核兵器と戦争のない世界をめざす高校生たち 平和集会・平和ゼミナールの50年」(大月書店)が出版される。編集に参加し、集会に40年以上関わってきた元高校教諭の沖村民雄さん(75)は「学校や地域で戦争を学ぶ機会は減っている。同じ志の仲間と出会える集会を継承し、発展させてほしい」と願った。
 書籍の問い合わせは同書店=03(3813)4651=へ。

 広島・長崎への原爆投下 1945年8月6日、米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイ」が人類史上初めてウラン型原子爆弾リトルボーイ」を広島市に投下。9日には米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム型原爆「ファットマン」を長崎市に投下した。45年末までに21万人以上が亡くなったと推計される。現在も多くの被爆者が放射線の影響による健康被害に苦しんでいる。